祭りの前夜

 相変わらず手際のよいチャイ屋の親父。今日最初に作ったチャイをぱしゃぱしゃと数カ所に振りかけていた。彼なりの祈りなのか。
 再びガンガーに船を浮かべる。2時間で50ルピー。
 ガンガーの向こうの地平線から朝日が昇る。地上に出た瞬間の太陽はとても不確実な球体に見えた。
 やはり今日も朝日の中、大勢の人が沐浴をしたり洗濯をしたり体を洗ったりしている。

沐浴
 川を下ると、漕ぎ手が「お茶しようよ。おごるから」と言い、舟を下りた。ガートを昇り、路地の入り口へ。テラコッタに入った熱いチャイ。「タバコもやるか?」と誘われたけど、僕は吸わないんだ。
 帰りがけに彼は「ちょっと待ってくれよ」と言って岸辺で用を足した。
 もうすぐ久美子ハウスの前にさしかかる。有名な日本人宿だ。インド人と結婚した日本人女性がやっている。別に僕はわざわざ日本人の多いところに泊まろうとは思わないのでさしたる興味は持たなかったが、話のネタにはなるだろうと思い写真でも撮っておこうかと思った。
 すると、岸辺に白い物体が浮かんでいるのを発見した。発泡スチロールか何かだろうと思ったが、近づくとそれは幼児の上半身であった。ぶよぶよとしていて真っ白な死体だった。
 天寿を全うできずにこの世を去った人の遺体は、焼かずにガンガーに流される。
 昼前にラームナガル城へでも行こうかと思い立った。
 ガートが途切れる辺りまでガンガーに沿って歩く。道に上がってリクシャーを拾う。しかしちょっと中心部を離れただけでもう英語が通じない。電卓を示して料金を打つように言っても、どうやら電卓がよく分からないようだった。うまい具合に近くにいた子どもが仲立ちをしてくれて15ルピー。
 随分と状態の悪い道を通った。あまりにガタガタ揺れるものだから、内臓があっちこっちに行ってしまいそうな感覚がして少し気分が悪くなった。基本的には乗り物には強いはずだったのだが。
 ホーリーは明日だというのに、気の早い子ども達が現れて太い竹の棒で道をふさいだ。手には水鉄砲。リクシャワーラーが「1ルピーやってくれるか」というようなことを言ったので、彼らに渡した。トリックオアトリートみたいだ。
 城は対岸にあるから橋を渡る。これは浮橋になっていて、電車の車両を一回り小さくしたくらいの大きさのタンクがずらっと浮かび、その上に板が渡されている。
 橋を渡った後で、舗装された道路に出るまでは砂地でしかもかなりの傾斜だった。リクシャワーラーは片足づつ体重をかけがんばってペダルをこいでいたのだが、ついに「ちょっと下りてくれ」と。
 ラームナガルに着いた時、距離的にも仕事量としてもかなりのものだと思ったから、20ルピーを渡して「おつりはいいよ」とジェスチャーで示したら、ものすごくうれしげな顔になった。
 ラームナガル城は旧藩王の城で、博物館ともなっている。
 象に乗るための座席だとか、銃や剣、その他の武具や美術品が薄暗い石造りの建物の中に陳列されいてる。ほこりをかぶったり、くもの巣がかかっていたりする。
 対岸を見渡す場所に出る時に通った半地下になっている廊下には明かりがなく、今にも壁の穴からコブラがシャーッと牙をむいて飛び出したり、矢が飛んできたりしてそうでその雰囲気はよかった。
 ちょっとした建物に上って川を眺めていたら「ここはシヴァの寺だ。靴で上がるんじゃない!」とおじいさんに怒鳴られた。僕の口から発せられたのは謝罪の言葉ではなく、「そんなことを言ってもどこにも表示もないし分からないよ」と言い訳の言葉だった。当然宗教的施設に敬意を払うべきだったとは思うが、何だかとっさに言い訳が口をついて出てきた自分自身がおかしかった。インドに馴れてきたかな、という気がしたものだったから。
 昼は宿近くの店でターリーを食べた。どちらかというと観光客用の店だったが、たっぷりと量があり野菜も豊富で16ルピーだった。しょっぱくない熱々のダールがよかった。ここに至って初めてダールをうまいと思った。
 店先のタンドリーではナンを次々と焼いていた。
 夜はまたまたイェルチコでビール。トマトサラダ(トマトを切って、レモンをかけてあるだけ)も食べたけど、別に腹具合はなんともならなかった。
 途中で相席になった二人の日本人は、店のすぐ外で色水にやられたと言う。
 彼らはデリーから東に向かっていた。僕はデリーについては都会だということもありあまりいいイメージを持っていなかったのだが、「僕はデリーの裏道なんか汚くって大好きだな」とその一人は言った。
 一杯チャイをひっかけて、夜のガンガーに出た。ちょうど火葬のシーンにに出くわした。親族だろうか、集まった男の内の数人が泣いていた。
 子どもが「インドのホーリーだ!」と声を上げて、色水をかけてきた。去年の夏にカオサンで買ったシンハビールのデザインのこのシャツは気に入っていたんだけどな。青く染まってしまったから、仕方がないので明日もこれを着て祭りに出かけることにした。
 夜が更けると、街のあちこちで火が焚かれ、爆竹が鳴り音楽が響いていた。


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