ホーリー祭

 朝方は宿の子と一緒に色水を詰めた水風船を屋上から通行人めがけて落としていた。基本的に誰にぶつけてもいいことになっているそうだ。
 ずた袋を担いだゴミ拾いの少年をめがけて、宿の子が唾を吐いた。それ自体は命中しなかったのだが、どうも僕がやったものだと思われたらしく、ものすごい目つきでにらんできた。怖いと思ったし、そんな目つきをする彼は幸せな状況にはいないのかもしれないとも考えた。祭りの日もお構いなしに黙々と働く子どももいるんだ。
 上からだけではイマイチおもしろみに欠けるので、意を決して表へ出た。
 ガンガーに至る曲がり角のチャイ屋は今日はやっていなかった。T字路の中心に薪が積まれ火が燃えていた。それを囲むように人が集まっている。
 ところがそこに行き着くわずか数十メートルの間に、いきなり撤退することに。バケツ一杯の緑の水を浴びせられたため、身につけている貴重品類が濡れそうになったからだ。パスポートやチェックを入れて首から下げていた袋も、財布代わりのカオサンで買ったウェストポーチもベッドの上に置いた。
 ミネラルウォーターの入っていたボトル2本に色水を詰め込んで、いざ参戦。
 やはり外国人は標的になりやすい。随分と射程距離の長いしっかりとした水鉄砲から、単なる入れ物といったものまで武器は多様だが中身はとにかく色水だ。様々な色の水が僕に集中して浴びせられる。いくらインドとは言え、それなりに冷える。なるほど火を焚くわけだ。
 しかし暖をとっていても容赦なく水がかかるし、僕の武器をはたき落とそうともくろむ、ちゃっかりとした子どももいた。水風船が体に当たる瞬間にはかなりの衝撃がある。なぜだかわからないが僕のことを「ナカムラー」と呼ぶ者もある。誰だそいつは?
 道端に座っている一人の男が「こっち来て座れよ」と手招きしてきた。
 ところが何を言っているのかさっぱり分からない。「酔っぱらってるのか?」と聞くと「その通り! 何が悪いんだ」と吐き気がするほどに酒臭い息を吹き付けてくる。やれやれ、単なる飲んだくれだ。
 子どもの間に混じって水をぶっかけ合いながら観察していると、どうやら有利な戦法は、射程距離の長い物で遠くから的確に狙うか、バケツにたっぷりと水を汲んで一撃必中で懐深く飛び込んでくるかのどちらかであるということがわかった。水風船のように補充に手間がかかる物は論外だから、僕はひたすらに2本のペットボトルで応戦していたが、やはり弱い。
 次第にエスカレートするとテラコッタまで投げてくる子がいた。これはさすがに痛かった。しかし、まだそいつはましな方だった。
 バイクで通りかかった男は、子ども達に囲まれて全身に牛の糞をぬりたくられていた。しかも、服の中にまで。しかしそこまでされても彼は一向に怒ろうとしない。それどころかニコニコしている。
 他人事のように様子をうかがっていたら、僕にも糞が投げられた。背中にべっとりと命中したそれは、未消化のワラだろうか、ざらりとした感触だ。どうもヴァラナシでは牛糞に縁がある。
 加えて、今度は4、5人の大人に絡まれた。飲み慣れない酒を朝からかっくらっているものだから、力の加減というものを知らない。眼鏡ははたき落とされるし、尻も前もまさぐってくる。やれやれ、飲んだくれの上に変態暴力親父だよ。
 その間に子ども達は競ってジーパンに手をかけて、ずたずたに裂いた。シンハのシャツも首回りに手をかけて破こうとしていたが、なまじ丈夫なものだから市中引き回しの刑のようになる。
 「もういいだろう」と言い出す人間なぞいるはずもなく、手加減だってしない。
 両目ともレンズが欠けた眼鏡を拾う。ポケットに入れていた部屋の鍵(と言っても自分の南京錠の)がなくなっていたので真っ青になったが、そばにいた一人が拾ってくれていた。危ないところだった。
 ほうほうの体で宿に戻り、バケツに水を汲んできてもらう。シャツもズボンも脱ぎ、頭から色の付いていない水を何杯も浴びる。すると親父が「膝が赤いのも色水のせいか」と聞いてきた。血だ。膝をすりむいたのなんて、何年振りのことだろう。

宴の後で
 シャワーを浴びたけど顔の赤い色は落ちなかった。インドの服なんてすぐに色落ちするくせに、ホーリーの色だけはしつこい。その後しばらくは、いたる所で色が残っている人を見かけた。特に金髪の人間は黒髪よりも余計に色が目立っていた。
 結局、この時身にまとっていたものは全部捨てざるを得なかった。
 ようやく人心地が着いて上から眺めていると、車もリクシャーもそして牛もみんなカラフルに染まっている。破けたクルターなどが道端のあちこちに打ち捨てられていたが、僕のジーパンもその中の一つだった。
 時折数人の集団が、大声で叫びながら練り歩く。そう言えば、牛もよく「ブモォーー」と雄叫びを上げていた。
 疲労困憊したので、しばらく横になった。
 「2時以降はもう大丈夫だよ」と聞いていたので、午後はのんびりとガンガーに沿って散歩した。水浴びしながら色を落とす人がいる。
 先ほどまで色水にまみれていたはずの子ども達が、こざっぱりとした服を着ている。小さな女の子は、フリフリのドレスで走り回っている。ひょっとしたら、ホーリーの日は子どもにとっては新しい服を買ってもらえる日なのかもしれない。そう言えば宿の子もピカピカの服とジーパン、それにつやのある革靴を履いて得意そうにしていた。
 ガートの近くでチャイをすする。「ガンガーの水じゃないだろうな」とぼそっとつぶやくと、すかさずそこの子どもが「ガンガー水、ないよ」と。日が沈む直前に、雲が切れて辺りに一瞬光が満ちた。
 ガンガーなんてただの川だ。単なる汚染の激しい川だ。けれど、そこに集まる無数の人の想いによって、ガンガーは聖なる川となる。牛と猿と生きている人と死んだ人の街、ヴァラナシ。
 日が暮れかける頃から、午前中の激しさはすっかりと失せて、道行く人は互いの額に赤い粉を塗っては抱き合う。僕も宿の親父と色を塗って抱き合った。「ハッピーホーリー!」と言って。
 まるで街全体が幸福というヴェールに包まれているかのように行き交う人の顔は皆微笑んでいる。とは言え、昼も夜もだけど、ある年齢以上の女性の姿はほとんどみかけなかった。
 実は昨日の内から、宿の主人に両替を頼んでいたのだが(もちろん正規のルートではない)、彼の父親が手続きをするらしく「申し訳ない、父親は酔っぱらって寝てるんだ」ということで、手持ちは100ちょっとしかないままだった。
 「いいよ、貸すよ」と言われたので、200ばかりお願いした。「借用書、ちゃんと書くよ」と僕は彼の僕への不信感と、その逆とを払拭するために言ったのだが「いいさ、私はあんたを信じてるし、あんたも私を信じてる。それでいいだろ」と。
 向かう先はやはりイェルチコだった。借金して飲むなんて、人の本質はどこにいようと変わりがないものだ……。
 しかし残念なことに他の多くの店と同様、入り口にはシャッターが下りていた。
 昼を食べ損ねていたので無性に腹が減っている。人の流れに沿って、ガンガーの方へ歩いた。
 ヴァラナシじゅうの人(女性を除く)が出歩いているのではないかと思われるほど賑やかだ。あちこちでは音楽が響き、輪になった人が踊っている。
 まさに、祭りだった。


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