宴の後

 前日の疲れか、2時過ぎになってようやく目が覚めたら全身がだるくて、動こうという気になれなかった。しかも軽い下痢までしていた。
 それでも、ゆっくりよたよたと歩いて近くの店へ向かう。数十メートルの道のりがやけに長く感じられる。「ハロウ」と声をかけてくる子どもにも、「マスター」と呼ぶリクシャワーラーにも反応を返す余裕がない。ただ足を交互に前に進める。
 ペプシを一息に飲むだけの力も出ない。店の前に腰掛けて、なめるようにしてのどの乾きを潤す。
 牛が尻尾を上げて糞を落とし、ヴェールをまとったイスラームの女性がいて、サイクルリクシャーが通り過ぎ、腰布一枚だけの老人が徘徊し、蝿が体にまとわりつき……。
 昨晩、日本の友人に宛てた手紙を書いていたが、郵便局までたどり着ける気力も体力もなかった。
 帰り際に水を一本買って、その重みによろけながら再びベッドに倒れ込んだ。
 何も食べず、ただたまに水で口を湿らす。それだけの一日だった。
 それにしても、目一杯はしゃいで、一晩ぐっすり寝ればすっきりと回復という時代はいつの間に去って行ったのだろう。
 そのまま再び眠りの淵に落ちていった。
 翌朝にはとりあえず「チャイでも飲もう」という気分にはなった。
 ガンガーに出て、「イチマイ、イチルピー」と声をかける子どもから絵はがきを10枚買い、ぬるい7upを飲みながら、久々に友人達に近況を知らせる手紙を書いた。
 時々、2頭の牛が角をつき合わせて暴れていた。
 路地を歩き回りようやく見つけた小さな郵便局で切手を買った。書き終えたばかりの絵はがきと、昨日出すつもりにしていたエアログラムを窓口に渡した。局員はその場で消印を押し、無造作に手紙の束の上に重ねた。
 旅先からの思いをつづった手紙が無事に届きますように。
 完調の体ではないが、足は自然と決まった場所へ向かう。
 「軽い味のビールもらえるかな」と言うと、「だったら、キングフィッシャーだよ」
 マトンマサラとプレーンライスを注文する。けれどやはり体調が思わしくなく、食べきることも飲みきることもできなかった。
 「今日でヴァラナシも最後だ」と話しをした。すると、「税金分はサーヴィスしとくよ」と、すでになじみになったボーイが言う。
 チップとして10ルピー渡した。ギブアンドテイクだ。
 席を立つ際に「よい旅を」と声をかけてくれた。
 ゲストハウスのオーナーは凝りもせず「工場に来て写真を撮れ」と言ってきた。どうやら彼は僕のことを覚えていないらしかった。一人苦笑する。
 今回は6日間の滞在だった、チャンダに別れを告げ、オートリクシャーを拾って鉄道駅へ。
 インフォメーションで何番線か尋ねると「8番線へ」と言われたが、すぐに付け加えて「けれど6か7かもしれないので、行ってから確かめるように」とも。
 その横の黒板に、列車番号らしき数字とヒンディー語が並んでいたが、行の最後にある数字はどうやら入線するプラットフォームの番号らしかった。チケットを見て自分の乗る列車の番号を確認すると、どうやらそれは7番線のようだった。
 その列車に乗っている乗客に尋ねて回って確認をとった。
 街を抜けると、森の向こうに夕日が沈んでいく。走り出してすぐは蒸し暑い車内だったが、スピードが出るにつれ風が吹き込んできた。
 考えてみれば、ペワ湖を渡る風も、ブッダガヤの麦畑を吹き抜ける風もあった。僕は常に風を感じていたような気がする。風が気持ちいい旅っていい旅なんじゃないかな。


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