インドなのだ

 部屋にバスルームがついていて大いに助かった。夜中、ぱちっと目が覚めてはトイレに幾たび駆け込んだ。
 しかしタージマハルを見た僕は、すでに昨日の内にジャイプル行きのバスを押さえていた。電車であれば何時間かかろうと、トイレがあるからまだ救いがある。
 最も避けたかった事態に僕は落ち込んでいた。
 定刻の10分前に出発したバスには驚いた。周りの乗客はシートを倒してゆったりとしているのに、僕の所だけリクライニングが不調だった。ああ、マレーシアの快適なバスが懐かしい。
 30分に一度ずつくらい、嵐が襲う。前触れもなく、気がついたら翻弄されている。前のシートに左手をかけ、頭を乗せて踏ん張ってみたり、がたぴし音をたてる窓に頭をもたせかけてみたり。抵抗する術を持たない僕は、ただただ吹きすさぶ嵐が過ぎゆくのを待つばかり。できるだけ気付かないふりをしてみる。どうでもいいことを頭に思い浮かべる。
 収まったと思えるのもつかの間で、その次にはさらに勢力を増して戻ってくる。反比例して僕の抵抗力は弱るばかり。
 ラージャスターン州に入ったことを示す看板があった。その途端に、ラクダをよく見かけるようになった。野生のそれではなく、荷車を引っ張っていたりする。辺りの風景も乾いた感じだ。道端の砂の上には、大きな獣の骨が転がっている。砂漠の国、ラジャースタン。
 人の様子にも変化が見て取れた。ターバンを着用する男が多い。それも白だけではない。ショッキングピンクや、蛍光のオレンジといった派手な色も次々と目に飛び込んでくる。
 昼の休憩時、バスを降りた。崩れたレンガの塀で囲まれた狭い一角へ行った。みな考えることは同じだ。先人達の遺したものがそこかしこ。それでも背に腹は代えられない。
 蝿が群がる、枯れ草が尻に刺さる。
 インド経験値を一挙に稼いだ。3つほどレベルアップしたんじゃなかろうか。はぐれメタルを倒した以上の安堵感と充実感。
 再び走り出すバス。
 無性にのどが渇く。一気に水分を腹に入れてはまずいだろうという予想があるから、ペットボトルの水を一口だけ口にして、ゆっくりゆっくり咀嚼する。じわりとのどを湿らせ下ってゆく。
 バスは5時間でジャイプルに着くと聞いていた。実際にそれくらいで到着した。
 とにかく何でもいい。部屋にトイレのついた宿へ落ちつきたかった。歩き方を見て適当に決めた所へ行くようにリクシャワーラーに言う。多少は迷いながらもたどり着き、部屋も確保した。しかし彼に払うべき小銭の持ち合わせがなかった。フロントで細かくしてもらおうと思ったが、ゲストハウスの兄ちゃんも、宿代に100ルピー札を渡したら「今、10ルピーのおつりがないから後で渡すよ」と。とりあえず領収書は書いてもらう。「どういうことを書いたらいんだ」と聞いてくるから、とっさに僕はチャンダの親父がカードの裏に書いた領収書の文句を思いだし、その通り伝えた。
 「僕のことを信じてくれよ」と言う彼の気持ちも分からないではない。そうできたら、とも思うがそうしてはいけなかった。
 表で待っている模様入りのターバンを巻いたリクシャワーラーにとりあえず100ルピー札を渡した。もちろん彼も小銭を持っているわけはない。彼はなんとか細かくしてもらおうとそこら辺の店に入っていった。数軒当たってようやく50札と10札が5枚できた。けれど25で話しがまとまっていたから、20だけだと彼は納得しなかったし、僕も「じゃあ30でいいや」と言うわけにもいかなかった。とりあえず70だけ手元に返してもらい、「ちゃんとあと5ルピー、つりをくれ」と言った。
 視界から消えるほど遠くまで言ったが、ちゃんと10分くらいで戻ってきた。
 ゲストハウスは車の修理工場が立ち並ぶ通りの真ん中に位置していた。そこ自体は緑も多くそれなりの雰囲気が保たれてはいるのだが、しっくりとこない。相変わらず何が僕にそう感じさせる要素なのかはつかめないが、「あ、この街はダメだ」と感じた。
 たかだか数時間この街にいただけでそんなことを言われても困る。いい所だって一杯ある。あんたはそれを探すべきだ、なんて議論は無意味だ。そんな訳の分からない義理のために旅をするのではない。僕が気に入らなかった、それだけだ。
 庭のベンチでペプシを飲み、ミカンの種を口から飛ばした。いくら嵐が再来しても、すぐそこにトイレがあるという安心感をようやく得たからだ。
 とりあえず今日は体の調子を整えることにして、明日の夜にはシャタブディエクスプレスに乗って、デリーまで出よう。
 シャタブディエクスプレスは「主要都市間、観光地を結ぶ特急列車」「すべてA/C車両で高級感はRajdaniに負けない」と歩き方にはある。せっかくだからあれこれ乗ってみたいという理由もあるが、やはりそれ以上に速く移動したかったからこれに乗ることにした。もちろん、その分料金は安くないが。
 予約センターには外国人用の窓口があった。しかしそれは老人用でもあり、かつ自由戦士用でもあった。確かにFreedom Fighterとの表示があったのだが、どういった人々を意味するのかは不明だった。
 申込書に必要事項を記入し、その列に並んだ時、僕の前には4、5人しかいなかった。
 けれど、結果として僕の順番が回ってきてようやく目的のチケットを手に入れるまでにたっぷり1時間と30分はかかった。
 まずは割り込み。「何やってるんだ、並べ」と僕は文句を付ける。けれど彼らの口から出るのは、いかに自分がここに入ることが正しいのかという主張だけだ。曰く「彼に順番をとっておいてもらった」「元々並んでいたが、申込書を書き直すように係員に言われたから列を離れていただけだ」……
 僕がそれでもいちゃもんを付けると、一人が反撃してきた。随分と彼は演説をぶった(もちろん、大部分は聞き取った)が、「悪いが、あんたの英語は下手くそだ。一体何と言ったのか、極めて理解しづらい」とゆっくりとそして丁寧に、しかし吐いて捨てるように言った。
 ヤな奴だ。自分で自分をそう思った。体調が悪い時は、インド的なものが「ムカツク」。前の親父のハゲ頭も、耳の穴から生えているふさふさした毛も何もかも。
 係員は、作業を中断して目の前のチャイをすすり、同僚としゃべっている。
 申し込みではなく、キャンセルの手続きをとる男がいた。しかしどこかに行っては何かを書いてまた戻って来る。その間、そいつのためだけに列は進まない。
 そしてインドはさらに僕を打ちのめした。目の前でコンピュータがダウン。30分くらい、小さなモニターの左上で白いカーソルが点滅を続けた。
 ザックを左肩から右肩へ掛け変えてみたり、重心を置く足を変えたり、息を目一杯吸い込んでは長いため息を吐いてみたり。
 もう諦めた。
 後ろに並んだ男(おそらく彼もインド人だろう)が僕に同情するかのように「ずいぶんと遅いね」「俺はあんたの後ろにちゃんと並んでいるよ」と話しかけてきた。
 油断した。ようやく僕の前の人間が全て去った時、そいつがすっと後ろから申込書を窓口に出した。
 「もうすぐ出ちゃうんだよ、列車が」と言い訳をする彼の手にしたチケットにプリントされた日付は、今日のものではなかった。
 けれど、帰りがけに飲んだラッシーは、いやうれしかった。3軒ほど売っていそうな店を物色したのだが「ない」と言われ続けた。
 そしてようやく、「ラッシーあるかな」「イエス」「バナナラッシーは?」「イエス」
 15ルピーという値段を聞いて高いと思ったが、何の何の。
 ちゃんとたっぷりのバナナはすり下ろしてあり、氷も入っているし、砂糖も溶けきれない分がじゃりじゃりと残っている。半分ほど飲んだあたりで、つぼに残っていたものも足してくれた。500ミリリットル以上はあっただろう。一杯で腹がふくれるに充分だった。僕はバナナラッシーたるものかくあるべき論者なのだ。
 帰り際、しゃかしゃかとラッシーを作ってくれた親父が店の前に入り口に座っていたので、「ここのラッシーはインド一だよ」と行ったら、ニヤリと片目をつむって親指を立てた。うーん、アメリカナイズされているな。
 しかし僕は、腹が立つときには怒るが、こうやって愉快な気分を得られた時はそれを正直に相手に伝える。
 まだ夕方と呼ぶには早すぎるが、とりあえずは腹もふくれたし、それに駅ではずっと立っていてかなり疲れていたので、とにかく今日のところは寝ることにした。枕元に紙を置いて、臨戦態勢をとって。


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