豪華列車

 それにしても夜中の雨はすさまじい勢いだった。
 おかげで空はくっきりと澄み渡っている。下痢は最も危険な地点は回避されたようだが、それは単に緊急事態ではなくなってきたというだけで、下痢であることには変わりがない。まだしばらくは日本から持ってきた薬を飲み続けることにしよう。しかし、加えて鼻水が出てきた。どうやら風邪にも冒され始めた気配。
 出発の夜まで、荷物をどうしようかと考えた。ゲストハウスでも半額払えば夜まで部屋を使ってよいことになっていたが、どうせ日中は外にいるのだからもったいない。
 一端駅まで出て、クロークに預けることにした。
 サイクルリクシャーに頼んで、駅まで行った後に宮殿まで20ルピーで行ってもらうことに。ところが、荷物を預けてさて、と思っていたら途中、中央郵便局を過ぎた辺りで、「ゲストハウスへ行くんだろ」と聞いてくる。「宮殿って言うたやろ」「じゃ、50ルピーだ」
 まったく。リクシャーを下りて、僕はスタスタと歩き出す。もちろんこの時点では1パイサだって払わない。彼は後を追いながら、25まで値を下げてきたが知ったことではない。100メートルほど無視して歩いていたら、ただ乗りよりは金と言うことか、あるいはふっかけることを諦めたのか「20でオーケーだ」
 ジャイプルの「プル(あるいはプール)」には「城壁に囲まれた街」という意味がある。そういえば、中学校の地理で習ったジャムシェドプルという地名もあったっけ。その街が何で有名なのかは忘れたが。鉄工業だったかな。
 城門をくぐる。
 下りた時、彼は懲りずに「25だ」と言うが、その顔は笑っている。思ったほどの距離はなく、20でもやはりそれなりだったような気がしなくもない。だからこそ彼は甘い観光客だと思ってふっかけてきたのだろうか。
 宮殿の入り口近くで「僕は学生だ」と言って、唐突に学生証を引っぱり出してきた妙に背の高い男がいた。いや、普通はそんなことをするか? どう考えたってまともじゃない。何かしらの魂胆がある奴ほど、それを悟られないようにするためか盛んに自分がどれだけいい人間か、ということを示そうと躍起になる。
 普段でもよほど暇を持て余していて、かつ元気でないと相手をする気にならない。それなのに僕は風邪をひいていたものだから、「一人で歩きたいんだ」と邪険に突っぱねる。
 けれどしつこい。「インド人は嫌いか?」との質問をされた。「そう思う時だってある」と僕は答えた。けど、無視しておけばよかったのかもしれない。
 「一人でいるのが僕の旅のスタイルなんだ」と言うと、すかさず「じゃあ、そのスタイルを変えてよ」ときたものだ。さすがに呆れてそれ以上言葉を発する気にもならなかった。
 ジャンシン2世が建造した宮殿ではカメラの持ち込み料として、50ルピーを請求された。そんな大金を払ってまで、とはとても思えなかった。
 「だったら、カメラ持ち込まないよ。あんたが預かってくれるかい」「そいつはいいけど、俺が取って逃げてしまうかもしれないよ」と軽く冗談を飛ばしてきた。
 僕はどうするべきか少し考えて、一度スイッチを入れた。「ほら、フィルムの残りの表示が14になってるだろ。後でまた見せるよ」
 中はあれこれと展示されているが、唯一「細密画」だけは見応えがあった。ハガキやテレカほどの大きさに、どうやって?と思うほど緻密に絵が描かれている。

風の宮殿
 風の宮殿は修復が完了したばかりらしく、きれいだった。5階か6階分ほどの高さを小便臭い螺旋状のスロープを歩いて上る。
 見晴らしはよく、街がぐるりと乾いた岩山に囲まれていることが見て取れる。
 バザールをまっすぐ歩いた先にある州物産店で時間をつぶそうと、歩き出す。
 若い男がにこやかに近寄ってきた。
 「国はどこだい」「韓国だよ」とおきまりの嘘をつく。「何してるの」「ソウル大学の学生さ」「お父さんの仕事は」「コンピューターのプログラマー」
 まるで会話例のようにとんとんと進む。本題はここからだ。「僕は輸出の関係の仕事をしているんだけど……」
 それほど感心があるわけじゃないんだけど、話しの流れから何となく聞いてみたんだという風を装って続ける。
 「ところでクレジットは何を使っているの? ビザ、アメリカンエクスプレス、ダイナース?」
 こんな手に引っかかる旅行者なんているんだろうか。ばかばかしいので、彼の言葉を遮って「君としゃべってても何もおもしろくないから、バイバイ」と。
 昨日の空に立ちこめていた灰色の雨雲が、最後の一滴まで地上に降り注いだようでカッと照りつける太陽。清々しいとは思うが、いかんせん体調がすぐれない。暑さも加わって余計に体力が失われる。
 表通りはおもしろみがないので、自然とバザールの一本裏手の道を進む。ラクダの引っ張る荷車が道をふさぎ、進むことのできないバイクなどがエンジンをふかすものだから、とんでもない空気だった。
 仕方がなく表通りの戻って、ジュース屋で休息。しばらくここの軒先でだらだらしようともくろんでいたら、再び何とか大学で織物の勉強をしているとか言う背の高い男が向こうからやってきた。
 握手をしようと手を出して、「僕は君と話しがしたいんだよ」と言うものだから、「僕はしたくない」と一言だけ返すとようやくと雑踏の中へ消えていった。
 物産店は午後3時までがランチタイムということで、知らずに薄暗い店内に入り込んだ僕に対して、中にいた従業員は表の表示を見るようあごをしゃくった。
 仕方がないから屋台でバナナを買って道端に腰掛けむしゃむしゃやっていた。
 レジの後ろの壁にはトラヴェラーズチェックも含めたレートが表示されていたから、てっきり両替ができるものだと思ったら「ノー」と言われてしまった。
 今日は土曜なので銀行はもう閉まっている。列車の切符は持っているから、とりあえずデリーまではたどり着けるが、手持ちの現金が多少心許ない。
 「だったら、チェックで何か買えばいんだな」「イエス」だった。
 とりたててほしいものは見あたらなかったが、96ルピーの小さな色褪せたオレンジのクッションカバーが目に留まった。指の先ほどの丸い鏡が織り込まれているのがラージャスターン的だ。これならバックパックに入れてもかさばらないし、実用的だから誰かのみやげにしても悪くないだろうと思い、20ドルのチェックで支払った。カウンターの男は「なんでこんなに安いのにチェックを使うんだ」と驚いていた。
 ところがつりは610ルピーのはずが、その場で数えてみると600しかない。ガヤの駅でも「つりの1ルピーくらいはいいだろ」と支払いを渋られたことがあった。こうしてみると、リクシャーとか屋台の人間の方がお金にはしっかりしている。彼らにとっては1ルピーの価値が大きいからなのか。
 「結局あんたは両替がしたかっただけなんだな」と言われたが、まったくもってその通り。
 駅の方向へ歩く途中、また一人寄って来る。「どこから来てどこへ行く。インドはどうだ」と、これもまたおきまり。「ところで」(この言葉がくせ者だ)「その時計いいね、売ってよ」
 「電車がもうすぐでるから、じゃあね」とすたこら歩いた。
 今まではずっと5ルピー単位でやっていたのだが、初めてもっと細かく値切ってみた。結局駅までのサイクルリクシャーの料金が8ルピーだった。
 クロークに荷物を引き取りに行ったら、たったの6ルピーだった。駅って便利だということを知った。
 シャワーの設備もついている(と言っても、安宿のそれと同じ程度の)待合い室で、ゆっくり読書。
 シャタブディエクスプレスは10分前にはホームに入って、定刻に動き出した。
 なるほど、お金を払えばサーヴィスは受けられるものだ。
 英語のアナウンスもあり、またシタールの響くBGMも流れている。車両に入る前から冷気が漂うほどに冷房がきいている。ミネラルウォーター、甘ったるいマンゴージュース、お茶にお菓子(砂糖の固まりよりも甘い)を配るファーストフードのような制服を着たボーイ。
 夕食にはまずトマトスープが出た。その次が出るまで40分かかったが、テラコッタに入ったヨーグルト、ご飯にかけられたカリフラワーなんかが入った野菜カレー。グリーンピースとマッシュルームのカレー。ダール。アチャール(辛い漬け物)。アルミホイルの中にあるものはナンだろう。やはりナンだった。
 予想通りに別段うまいものではない。けれど二日振りにまともな食事だった。体が弱っていたため全部を食べることはかなわなかったが。
 しかしこれだけのものがあったとしても、インドであることに変わりはない。窓枠をとめるネジが穴ときっちり噛んでいない、ペンキがはみ出している、前の座席についている小物入れのゴムの網がだらりと伸びきっている、テーブルの隅の方が徹底的に黒ずんでいる等々。
 日本の田舎で電車に乗って「お、ボロイな」と思うよりももっとだ。
 4時間と30分で、予定より15分早くニューデリー駅到着。
 わっとばかりに人が群がるが、だるいから全く相手にしない。夜、ということだから構内のリタイアリングルームに泊まろうと計画していたのだがなんと250ルピーの部屋しか空きがなかった。
 とりあえずは仮の宿として歩き方で探した、駅から比較的近い宿にした。
 安宿の集まるメインバザールの店はほとんど閉まっていて、通りも暗い。


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