サイクリスト・ハルキスト

 首都ニューデリーにも野良牛はちゃんといる。けれど、今まで見たことのない飼い犬というものも見た。ヒモを付けて散歩させている光景に出くわしたのだ。
 メインバザールを散歩しながら、朝一番のチャイを飲む。店の少年に2ルピー渡したら「あと、50パイサ」と言われた。物価の高さからも都市にやって来たことを実感する。
 ナヴラングホテルという安宿がドミトリーで50ルピーだったので、ベッドが空くまで待とうと思っていた。するとフロントの男が「ダブルルームか」と尋ねる。え、だって僕は一人なのにと思ったら、後ろに一人の日本人が並んでいた。ダブルで100だから二人でシェアすることに。
 その彼、原さん、は重装備の自転車を引いていた。その自転車のペダルを踏みながら、シンガポールからバンコク、そしてカルカッタからネパールを横断して数日前にデリーに到着したところだった。目指す先はイスタンブール。

サイクリスト
 「僕みたいなのをサイクリストって言うんですよ」と、全身が徹底的に日焼けして、額に巻いた赤いバンダナはすっかり色あせている彼は言う。
 「確か中公新書で、自転車に乗って世界一周をした人の話しを読んだことがあるなあ」と言うと、
 「もちろん持ってますよ」
 部屋が空くまで彼の話しに聞き入った。
 水は常に3リットルは持っている。田舎の食事はホントウにまずくて米に石が入っているのなんかもはや気にならない。山の水を飲んだら、どうやら寄生虫を飼ってしまったようだと知り合った医大生に言われた。予備のタイヤは2本持っているがインド製のものを外側にしている、そうでないとパナソニックのは辺りの人の興味を引き取られる危険性だってあるから、等々。
 さらに驚嘆すべきは、これが彼の初めての海外の体験だった。
 「いやあ、ヴィザって何かも知らなかったんです」
 彼もそろそろ読む本が尽きてきたと言うので、ちょうど僕が読み終えた「二都物語」と、推理小説を好む彼の「五匹の子豚」とを交換する。
 昨晩とりあえず泊まったキランから荷物を移して正午にチェックイン。するともう一人の日本人が現れた。金築、という名前の学生だった。その雰囲気から僕は早稲田か慶応の学生だろうと勝手な確信を得た。
 元々ダブルとは言え、ベッドが3つ並んだ部屋を二人で使うように言われていただけなので、フロントが「3人でもいいだろうか」と持ちかけてきた。だったら一人30ちょっとで済むなと考えたのは、単なる皮算用だった。結局、一人45で収まった。ドミトリーよりも安い値段で、多少は快適な部屋を手に入れられた。
 ニューデリーの駅前の通りには多くの食べ物屋が並んでいるが、その中で一軒のうまいラッシー屋を見つけた。メインバザールの入り口すぐを右に曲がった所にあり、店と店との隙間で商売をしているような所だ。バナナラッシーで10ルピー。キーンと冷えていて甘くてよい。ラッシーを撹拌するには、普通は専用の泡立て器のような道具を、まるで原始人の発火装置のように両手で回転させる。しかしここではそれを電気がやってしまう器械を使っていた。
 原さんが以前に行ったチベット村でモモを食べに出かけた。オートリクシャーで20ルピーだった。行き先はISBTという長距離バスターミナル。そこからは歩けるらしかった。
 確かに着いた先にはバスが何台も停まっていたが、建物の雰囲気は鉄道駅ではないかという気がした。しかしアルファベットの表記がないので定かではない。原さんが何も言わないので、さして気にも留めなかった。
 しかししばらく歩いてみると、どうやら僕のイヤな予感は正しかった。ここに至って、初めてリクシャーにやられた。
 そこからチベット村まで、結局小一時間歩いた。
 久しぶりに目にするチベットの人々は、僕の気持ちをなごませた。モモもうまかった。ただ、ビールがなかったことだけが残念だったが。
 同じ不満を抱いた金築君とメインバザールにあるゴールデンカフェという飯屋へ。ここはメニューにはないが、頼むとビールが出てくる。ビンではなく、普通は飲み水を入れる金属製の容器に入れ替えて出てくる。
 ここで彼が東大の人間であることを聞いた。1年生だった。僕が持つ東大生のイメージとバックパッカーというものが今一つしっくり来なかった。もちろんそれは一方的な偏見だが、雑談の一つとして彼に率直に語ってみた。彼もそれを認め、自分について述べた。
 「ガリガリ勉強するやつと、ちゃらけたヤツが大多数で、そこからこぼれた俺みたいなのがインドに来るんですよ」
 そして僕は自分の大学についての感想を。
 「確かに、ウチも九割九分までは、ほうきで掃いてガンガーにポイっと放り込んでやりたい奴等や。燃やすための薪ももったいないから、そのままで」
 僕も彼も多分にシニカルな人間らしく、そう言った話題は格好だった。
 しかも意見が一致したのはこれだけではなかった。彼もハルキストであった。
 「彼の作品には、導くものがある系と、困惑系とがある」
 それほどビールを飲んだ訳でもないのだが、なんだか熱っぽく語った。
 春巻きをつついていただけだったので、多少もの足りなさを感じた僕らは、屋台でカバブを求めた。羊肉を串に刺して炭火で焼き、それを小さな紫タマネギとともに食べる。
 インドの首都デリー、なんだかいい街ではないか。


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