反省

 ナヴラングの目の前で2.5ルピーのチャイを飲んで、体を目覚めさせる。朝一はうんと甘いのがいいのだけど。それと、客はできればインド人ばかりがいい。ま、場所柄同類ばかりが集うのは仕方がないか。
 「日本からか?」とやけにのんびりと聞いてきた初老のドイツ人男性は、明らかにタバコではない紙巻を吸ってとろんとした目つきだった。
 メインバザールの中で見かけた電子メールのサーヴィスを行っている店へ。1キロで60ルピーだった。金築君がおもしろそうだからと後ろで見ていた。もちろん日本語のシステムが入っているわけはないので、アルファベット入力。キーをたたくことだけを考えたら、ローマ字の方が楽なのだが、それでは受け取った方が読みづらいだろうと拙い英文を作成する。僕が世話になっているパソ通のアドミンに出して、そちらのネットに転載してもらう。
 ところが、果たして僕の錆び付いた頭では、どうも正しい英文かどうかの確証がつかめない。金築君に「reachは他動詞か自動詞か。go back toかgo backか」などと質問をすると即答してくれた。さすが東京大学の学生だ。でも僕だって1回生の夏だったらそれくらいはできていた、と信じたい。
 ニューデリーの中心部、コンノートプレイスにあるバンクオブインディアで両替。
 コンノートプレイスは、それなりに整備された公園で、中心には噴水まである。ここから放射状に道が延びている。ここだけならば牛の糞や乞食に出くわすことはない。靴磨きや耳掻き男はやって来るようだが。
 ある意味においてはインドらしくないインドである。
 しかし僕が両替を試みた銀行は果てしなくインドだった。
 「ビルの反対側から入れ」「階下だ」「奥で聞いてくれ」と散々たらい回しにされたあげく、なんとかマネージャーという札のかかっている部屋にいる、偉そうな男のところにたどり着くと「そこの男に聞け」。そこの男は「この部屋の外だよ」
 システム、それ自体が存在しないのか僕が理解していないのか。「もう、さっぱりわけがわからない」とその男に言うと、「あなたは単にトラヴェラーズチェックを両替したいだけなんだな」と確かめたから、ようやくここで現金が手に入るのかと安堵した。ところが、他の行員に「おまえ知ってるか?」と尋ねている。
 「ひょっとしてあんたもどこでできるか知らないのか」と半ば諦めながら聞いてみると、「知らない」
 ちゃんと入り口には「外貨両替」と書かれているのに……。
 いい加減に見切りをつけた。
 すぐ隣にあった旅行代理店で「T/C取り扱い」とあったので100ドルのチェックにサインを入れる。
 100ドル分も替えてもむしろ使い勝手は悪いし、もしもの時にも危険だからこれまでは20ドル単位のチェックを使っていたのだが、今回はちょっと大きな買い物をする予定があった。
 次の目的地プリーまでの1等車のチケットと、みやげにするための世界最高と言われる紅茶を買うためだ。
 しかし出てきた30数枚のルピー札を念入りに数えると、100ルピー札が一枚足りなかった。彼があえて渡さなかったかどうかは定かではないが、きっちりと目の前で足りないことを示すとあっさりと渡された。
 両替だけでここまでの目に遭ったのは初めてだ。
 ニューデリー駅の外国人用の発券オフィスは、さすがにインド人がいないだけにきっちりと列が作られ順番が守られていた。そこに入るまでに「そっちには窓口はない」とどこか違う場所へ連れて行こうとするインド人には出会ったが。
 「ファーストクラスはエアコン車しかありませんが」と、申込書の内容をコンピュータに入力した窓口の女性が言ってくる。
 余計お金がかかるな、と迷いはしたもののとにかく一度は一等に乗ってみたかったので「それでいい」と返事をした。
 けれど、なぜだか、プリンターが吐き出した切符は2等の寝台だった。いつもの三段ベッドだ。「これでいいでしょうか」と窓口の女性が尋ねてきた。わけはわからないが、面倒だったから「まあ、いいか」
 「3ルピーのおつりが出ますか」「いや、2.5しか細かいのはないな」
 すると、今までの経験からすると意外にも、彼女は「それでいい」と2.5だけ受け取った。
 なるほど、ごまかして小銭を取ろうとするのではなく、単に大して気にしないという考え方なのであろうか。
 出入口の横にあった、立体的な地図で、今いるデリーとこれから向かうプリーとを探した。プリーはカルカッタの南にあるので、ちょうと亜大陸を横断することになる。切符を見ると、行程は1926キロメートルと印刷されている。旅好きが集まったサークルの飲み会に友達の友達に誘われて顔を出した時、隣の席になった人が「プリーはいいよ」と言っていた。それにインドで出会った旅人もプリーのことを「のんびりとできる」と教えてくれたので、そこを今回の旅の最終目的地にした。もちろんカルカッタアウトだからとにかく一度東に向かわなければならないので、都合もよかった。
 オールドデリーの中心部、チャンドニーチョウクは僕にはちょっと人の数が多すぎた。とりあえずその突き当たりにある「赤き砦」まで歩いた。かなりの大きさだ。パキスタンのラホールを向いているからラホール門と呼ばれるこの砦の入り口に向かって歩いたつもりが、声をかけてきたオートリクシャーが「おい、入り口は逆だよ」と。
 今更戻るのも億劫なので、中に入ることは諦めた。元々それほど見たかったわけでもないのだし。
 人混みに流されるように、元来た道をぶらぶらしていると「クルター、パジャマー?」
 ちょうど一着あってもいいなと思っていたところだったので、条件反射的に無視しようとしたけれど、思い直して彼に着いて行く。彼は器用に人の間を縫って進むものだから、何度か立ち止まっては振り返っていた。
 しかし入った店では値段も色もピンとくるものがない。それなりの買い物をする時は、少しでも迷いがあったら買わないことにしている。その後、数件のぞいたがどこも似たようなもので、レディーメイドだったり白しかなかったりで結局買わずじまい。
 表通りから一本入ったら、今までよりさらに人と店がひしめいている。たまにスモークがかかったガラスのドアの入り口にガードマンが立っている店もある。中はエアコンが効いているんだろうなあとうらやみながら横目で見ていると、さっとドアが開けられる。うす汚れたなりをしていても日本人だと見られたからだろう。でも、僕は入らない。
 ナヴラングのフロントで「歩き方」で紹介されていた、かのゴルバチョフにも贈ったことのあるという超高級紅茶店の住所を示し、場所を尋ねた。すると「紅茶ならうちでも売っている」と口を挟む男がいた。
 まあそれほど急いでいるわけでもないので、もちろんそこで買うつもりなどもないのだが、好奇心から彼の店へ。ナヴラングのすぐそばにあるサクラという旅行代理店だった。数カ月前のヤンサンが転がっていたり、富士山を背景に走る新幹線を写したポスターなどが何枚か壁に貼られている。喜ぶ日本人もいるのかもしれない。
 「副業でみやげ物も商っている」と言う彼に促されるまま、奥の部屋に通された。そしてドアが閉められた。
 浮世絵のデザインのコースターの上にチャイのコップが置かれたが、ほとんど口を付けなかった。
 こちらが何を言うまでもなく、彼がしゃべり出した。
 「私も色々な国をまわったから、旅行者の事情は知っている。決して無理強いしたりもしない。私はデリー大学の学生だったのだよ」と言いながら、国際学生証を取り出した。
 そんなものはカオサンなら100バーツで売っているし、おそらくインドでも簡単に偽造できるのではないか。
 そしておきまりの展開へ。まるで僕は予め筋を知っている劇を見ているような、奇妙なそれでいてどこかしら違和感のある空気の中にいた。
 「で、何で払うんだい」
 ここで言う「何」が現金かカードかという選択を尋ねているのではない。彼は言葉を続ける。「ビザ?アメックス?それともダイナースかな?」
 「もちろん現金即決さ」「おお、そうか。日本人は大体クレジットカードで払うものだからてっきり……」
 「僕は韓国人で、日本人は嫌いだ」と相変わらずのウソをつく。
 けれども、この時の僕はこんな対応をする自分に嫌気がさしていたし、以前のようにやりとりが楽しいとも思えなかった。
 相手にも、そして自分自身にもどうしようもないアホらしさを感じて、席を立った。
 「旅慣れた」、という言葉は諸刃の剣だ。これまで出会った旅人の中にはそのどちらの意味でも慣れた人達がいた。そしていつの間にか僕の頭には「こうなりたい」「こうなってはいけない」という価値観の体系が生まれていた。明らかに僕はその後者に近づきつつあった。
 この状況そのものが悪いわけではなく、自分自身がそこに楽しさを見出せないことに問題の本質がある。楽しめない旅、そんなものは僕にとってはもはや旅ではなかった。
 ちょうど晩飯に行く前に原さんと、ルンギやベッドカバーを売っている店を数件冷やかした。気に入ったデザインのベッドカバーを見つけたのだが、値段が折り合わなかった。黒と暗い青が基調で、幻想的な魚が泳いでいた。まるである種の夢を具現化したような。
 別の店で、僕たちは香港人だった。店員はもちろん日本語で話しかけてきたが、僕たちは分からないふりをした。店員が「そうか、てっきり日本人だと思ったんだけど」と言うと、原さんが「僕は少しなら日本語分かるよ」と、「コンニチハー」と妙なアクセントで発音する。
 店員は「ああ、そいつはおれも知っているよ」とうれしそうに言った。そこで調子に乗った僕は「それはどういう意味なんだい?」と英語で二人に尋ねる。
 と、原さんは「hello」と言い、同時に店員は「How are you」と口にした。
 こうやって言葉は微妙にその姿を変えながら伝達されていくから、あちこちでおかしな日本語を耳にするのだなあ、と僕ら二人は笑いながら食事に出かけた。
 そう言えば、「コマネチ、コマネチ」「ガチョーン」と言いながら近づいてくる男もメインバザールの中程でよく見かけたっけ。ついでに言うと、ガチョーンの方は、手を下の方から振っていた。


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