ニューデリー発プリー行き

 早朝、二人を起こさないように静かに荷物を整える。別れの挨拶は昨日の夜の内にすませてあった。
 それでもやはり起こしてしまったようだ。もう一度「それじゃ」とドアを開けた僕の後ろから声がかけられた。
 初めての海外を自分の足と自転車だけを頼りに駆けるサイクリスト、大多数の東大生の間からこぼれてインドに来たハルキスト、二人がもう一度眠りについたナヴラングホテルを後にする。
 「マスター、どこへ行くんだ」と寄ってくる朝から商売熱心なリクシャワーラーに、「そこの駅までだよ」と返事をする。
 今日もまた暑い一日になりそうだと予感させる空気の中、いつもよりも引き締まった気分で駅へ向かう。それはなにも、未知の土地を訪れる期待や、あるいは今まで経験したことのないほどの長時間を列車で過ごすという不安からだけではない。それはプリーがこの旅の最後の目的地になるからだ。
 自分の乗るべき列車を見つけ、座席を確認する。出発時刻までは余裕があるので、プラットフォームのスタンドでチャイを求めた。
 ソーサーの上に乗った小降りのティーカップ。小さなカステラのようなケーキが4切れ付いていた。一瞬、サーヴィスだろうかと思ったがそんな考えはすぐに消えて無くなった。またまた頼みもしないのに勝手にケーキまで出して……と思ったが、一つ1ルピーならまあいいかと考え直して、何食わぬ顔で受け取った。チャイを飲みケーキをかじり、あるいはチャイにケーキを浸して食べた。
 ところが10ルピーでつりが出ない。「チャイが2ルピーで、ケーキは一切れが2ルピーだ」と相手は言う。
 「いいか、僕は『チャイを一杯くれ』としか言ってない。あんたが勝手に出したんだ」
 しばらくやりあった。僕は「5ルピーで妥協しよう」と当初頭にあった値段で妥協しようと持ちかけた。けれど相手の態度は相変わらずだ。乗客と話をしているい制服を着た人間(駅員だろうか、鉄道警察だろうか)に事情を話して助力を求めようと思ったが振り向きもしなかった。
 どうもその時「May I help you?」と僕はとんちんかんな言葉を発したような気もする。
 よしどうしてもつりを出さないのならと、僕は並んでいたお菓子を1パックつかんで「ほな、代わりにこいつをもらっていくで」と言ってタラップに足をかけたら、ザックをつかんで引き戻された。
 結局は相手が5ルピーを出した。
 確かに、何も言わずにケーキが出てきた時、トラブルが起こることは予想できた。結果として相手が僕をだましたのか、僕が相手をだましたのかは分からなかった。けれど本当に旅慣れていれば、何も言わずにすっとそれを相手に返しただろう。嫌らしさを身に付けた自分が嫌な存在に思えた。
 おかげでもう一眠りするつもりだったのに、完全に目が覚めた。
 4月1日、朝6時35分。37時間半プラスアルファの旅へ出発。
 車内に乗客の姿はあまり見えない。一瞬だけ高層ビル群が見えた後は、草原や畑といった、ただ見慣れた風景が続く。思い思いの方向を向いた人が朝日の中しゃがみこんで用をたしている。
 僕は座ったり、横になったりして思いを巡らせた。
 旅というのは誰に強制されたものでも、社会的なシステムとしての無言の圧力からでもないから楽しいのだ。全てが自分に決定権があり、そして責任がある。もちろんそう思うのは僕以外にも大勢いるから、結果としてある程度の型は存在するけれど、それは決して予め決められたものではない。
 生き方・生活・考え方・人との関係、それぞれに僕には理想とするスタイルを持っている。必ずしもその通りだけではやっていけないのが村上作品の人物とは異なるところだが。
 けれど努力はしているし、その理想自体をとても好ましいものだと僕は思う(だから理想なのだが)。
 小さなほうきで車内のほこりを無造作に掃き出す少年へ喜捨をする。
 「ダンス・ダンス・ダンス」を読む。暇なものだから、ペースを計りつつ。さらに、解釈できない部分を後の暇つぶしのために書き出す。
 合間に原さんと交換して手に入れたクリスティーの「五匹の子豚」を一息に読んだ。さすがだ。相変わらず結末が予想外でおもしろい。
 通路を挟んだ向かいのおじさんは、黒の靴下、緑のズボン、それに濃いピンクのシャツ。胸には赤や青の刺繍が入っている。まるで「フォーチュンクエスト」のトラップのようだと思った。
 昼には駅弁のプーリーを食べた。バナナも一房買って、おやつにした。退屈しのぎに英字新聞を買ってざっと眺めた。この新聞はしかし、新聞紙として役に立った。トイレットペーパーを車内で使いきったからだ。
 夜の7時過ぎ、どこかの駅は停電のためか真っ暗だった。周囲の草むらやそして木の上にまで、無数の蛍が輝いていた。特に木の方は、まるで電飾されたように明るかった。
 9時過ぎにヴァラナシの駅。車内で何度も「コールドドリンク」と言って、ブリキのバケツに入れたジュースを売っていたので、なんだかのどが渇いた僕は、冷えたペプシを一本買った。
 プーリーを次から次へと大鍋で揚げて、相方が葉っぱの皿に載せて賽の目に切ったジャガイモのカレーをかけていた。作る方も、そして買っていく方も勢いがあった。それにつられて僕もそいつをおいしく食べた。それに、ミカンを半キロ5ルピーで買った。
 翌朝、6時半に目覚めた時にはすでに電車は止まっていた。
 数十メートル前方の踏切でデモのようなものが行われていた。
 ここで少なくとも4時間の足止め。
 ようやく走り始めたが、辺りの風景が変化してきた。青々としたものではなく、乾いた大地が延々と広がっていた。暑くて、しかも砂埃が舞い込むので気分が悪くなる。無理して目を閉じて眠っていても、べっとりと汗をかく。
 赤茶けた土地に、地球のしわのように唐突に山が現れた。しかし唐突にまた平面に戻る。なだらかな山ではなく、大きな手がちょっと地表をつまんでできたような地面の隆起だった。
 日没間際、かなり大きな駅に到着。しかしプリーではなかった。
 細かいのがなく、1ルピーのサモサを一つ食べただけで、それ以降は食べ物売りがいるような大きな駅がなかったため無性に腹が減っていた。
 オムレツパンを二つも食べた。なんのことはないのだが、フライパンでトーストを焼き、そこに流し込んだ卵でくるんだもの。単純な味だが、無性にうまかった。4個の卵と8枚のトースト(と言っても日本の食パンよりは小さい)が胃袋に収まった。
 分かりやすいもので、つい先ほどまでは暑さと空腹と退屈とに打ちのめされていたのだが、すぐに元気を取り戻してきた。
 予定ではプリー到着の4月2日、午後7時50分。列車はまだカラクプルにいた。別に奇跡は期待していなかったので、どれくらいプリーまでの距離があるのかを地図で調べた。未だに西ベンガル州。カルカッタから西へ100キロほど。オリッサ州のプリーへはあと300キロ。
 夜中に雨が降り出した。どこからか車内に水が漏ってくる。
 一体、いつになったら着くのだろう。4月3日、午前2時40分、すでに列車が動き始めてから44時間ほどが経過した。予定の時間は過ぎているから眠りこけるわけにもいかない。
 嵐だ。3秒おきに稲妻が辺りを真っ白に照らし出す。雷鳴が轟く。トラップあんちゃんが降りた駅では、真夜中だと言うのに鳥が甲高い声で騒いでいた。
 別に言葉を交わしたこともなかったのだが、彼がいなくなったことで僕は孤独感を覚えた。
 この世の終末というのはひょっとしたらこんな状況なのかもしれない。
 午前7時45分。49時間が経過。僕はブバネーシュワルの駅で朝のチャイを飲んでいた。
 そこを過ぎる辺りから、また風景は生彩を取り戻してきた。昨日の嵐が夢かと思えるほどに。
 水田に草が茂り、椰子の葉が風に揺れる。
 水が「流れている」川に安堵感をおぼえる。乾期のただ中にあってもなお滔々と水をたたえている。海が近いのだ。
 確か一度進行方向が変わった。電線が見当たらないから、ディーゼルにつなぎ替えたのだろうと思う。まさかそこがプリーで、折り返しデリーに向かっているのではないかとの不安はなくもなかった。
 しかし隣に座った男性が拙い英語で「プリーに行くのか」と聞いてきたので安心を得た。
 再び大きな駅に着いた。そう、プリーだった。総計52時間と30分。車内で2泊した。単純計算で平均時速を割り出すと、36.7キロメートル毎時であった。


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