日本人宿

 ようやくと、本当にようやくとたどり着いたプリー駅。しかし新たな土地に来たという快感がそんな疲弊した気分を吹き飛ばした。
 車内にリクシャワーラーが乗り込んでくる。しかしとにもかくにも、インド出国が6日後にせまっている。カルカッタからバンコクへ飛ぶ。まずはカルカッタ行きの鉄道の切符を押さえておく必要があった。
 宿代を浮かせるためにも夜行を取った。予約自体は問題なくとれたのだが。しかしすんなりとは終わらなかった。係員が「10ルピーのつりを出せ」と。
 「隣のカウンターにでも聞いてみろよ」と10ルピーが手元にない僕がうんざりしながら言っても「いや、お前がどこかそこら辺の店でくずしてこい。それまでチケットは渡さない」
 仕方なく、予約オフィスを出てミネラルウォーターを一本買った。
 プリーでの宿は既に決めていた。最後だから少々贅沢にいこうと歩き方をめくっていて見つけたサンタナロッジ。何と刺身が食べられるらしい。
 5ルピーで駅からサンタナまで行くことになったが、例に漏れずリクシャワーラーは行き先を知らなかった。人に聞いてみてどうやら自分が思ったよりも遠い所にあるらしいと考えた彼は「10だ」と言ってきた。
 突然に大粒の雨が降り出したので、サイクルリクシャーから下りて近くのチャイ屋に駆け込んだ。そこでチャイを飲んでいる間に通り雨は過ぎ去った。
 「10ルピー出せ」と相変わらず要求してくる彼ともめていたら、店の人が仲介してくれて「そりゃあ、5だよ」
 CTロードに沿って宿と観光客向きの店がちらほらと並んでいる。けれど閑散としていて、それは期待以上だった。
 マーケットを通り越し、突き当たりにあるサンタナで呼び鈴を鳴らして出てきた男に「部屋はあるか」と英語で尋ねた。するとえらい流暢な日本語での返事が返ってきた。
 この宿のシステム、といったようなものがきれいに紙に書かれてしかもイラストまで入っていた。三食付き、5杯のチャイまでついて部屋はどこでも一律100ルピー。僕が選んだのはツインの部屋だった。一人だからシングルでも構わないのだが、荷物を広げるスペースとしてもう一つのベッドを使いたかった。
 部屋に付属しているシャワーは水しか使えないが、共用でホットシャワーも使える。
 温かいシャワーを浴びて長旅の疲れを落とす。髪を洗うと、ようやく人心地がついた。
 「お腹、減ってる?」
 と昼食が出る。サラダとジャガイモのカレー、ご飯、魚のフライ。ぶつ切りにして内臓を抜いた魚をカリカリになるまで揚げられていた。多少塩気がきつかったが、香ばしいタマネギとニンニクが食欲を刺激して、いくらでもお腹に収まった。
 サンタナには大きな本棚があって、おそらく千冊よりもっと日本語の本が並んでいた。車中で読んだ一冊を寄贈したら「マンガ1シリーズか、それ以外の本を5冊読んでいいよ」
 普通は一日一冊で1ルピーだった。本棚をざっと眺め回すと僕の好きな作家のものもかなり並んでいた。どちらかと言うとカタイ本(肯定的な意味において)が多かった。「深夜特急」やら「ノルウェイの森」などが何冊もあった。あとは漱石、カフカ、村上春樹、龍、司馬遼太郎などなど、それなりの作家のそれなりの本が多い。旅に出ると本を読む、というのは何も僕だけではないようだった。そして嗜好も何かしら共通するものがあるように感じられた。
 僕はとりあえず「ダンス・ダンス・ダンス」の中で主人公が読んでいたカフカの「審判」を手にした。以前、読んだことがあったはずなのだがうまい具合にすっかりと忘れていた。
 屋上で上半身裸になって流れる汗をそのままにページをめくった。
 数十メートル先がもう海岸だった。先ほどスコールをもたらした分厚い雲がまだ洋上に浮かんでいた。
 先ほどリクシャーで来た道を逆にたどり、駅近くの郵便局まで歩いた。
 海岸に出ると、やはり話しに聞いていた通り。波が砂浜に打ち寄せるその軌跡に沿って、10センチ前後の茶色い棒状の物体がずらっと落ちている。
 宿で聞いた話しによると、少し漁村を離れるといいビーチがあるようだ。
 僕はいわゆる日本人宿はこれまでどちらかと言うと避けていた。日本人宿と言うのは、日本人が集まる宿だ。端的に言って。有名なニューデリーのウプハールや、ヴァラナシの久美子ハウスなどの噂は結構耳にしていた。
 確かに知る人のない外国にあって、同国人と出会うとほっとしないわけはない。しかしそれを求めるのは僕の旅のスタイルとは違う。そこにいれば日本語で用が足り、ある意味でぬるま湯のような気分に浸れる。日本人が集まれば経験的、確率論的に、日本人的なものの考え方やコミュニケーションと言ったものの密度も高まってくる。僕は日本にいてもそう言ったものは苦手だ。否定するわけではない、僕にはそれがしっくりこないというだけのことだ。
 ただし、日本語の本が充実しているというのは大きな利点である。
 ある日、長期滞在していた日本人の一人が誕生日を迎えた。同じように長くいる人たちが祝っていたが、僕もビールを一杯ご相伴に預かった。
 確かに、すごくいいことだというのは分かるけれど、どうしてみんなを巻き込むのだろう。日本人宿は、そりゃ日本の一般的状況よりはましなのだろうが、やはりこの日本人的なところが僕にはなじまない。ともかくも大勢(集団として力を持つという意味においては体制かも)側に入ってしまえば楽で楽しいのだろうけど。
 夕食は、揚げたゆで卵がごろんと入っているカレー、なすの炒めもの、相変わらずキャベツ?とトマトのサラダ。カレーの中にはパパイヤの漬け物のようなものの甘みと酸味がうまかった。ここまでは一日100ルピーの中に含まれるが、僕はアジのたたきとよく冷えたビールを1本別に頼んだ。魚を食べたいと予め頼んでおくと、その日の夕方にはとれた魚を持ってきて「今日はこれだけど、どうする?」と、自分で食べ方を選ぶことができる。
 その日僕が食べたたたきはなんだかとてももったりとしていて、少々生臭かった。噛みきる時のぷりっとした感覚から確かに新鮮なものではあろうと思ったが、どうも違和感があった。それでも久々の生魚だし、すり下ろしたショウガがそれなりに毒消しになるだろうと思って平らげた。
 10人近くの宿泊客は皆日本の人だった。それが一同に会し、それほどの会話もなく食べ終わった人から食後のチャイを飲んで出ていく。僕は何だか学校の給食の風景を思い出した。そして僕は給食が大の苦手だった。
 ご飯をたっぷりとお代わりしたこともあって、結局僕が一人、その食堂に残ることになった。
 停電は頻繁に起こった。しかしおかげで、星がすさまじかった。眼鏡のせいで全天が見えないのがくやしかったが。時折、沖の方に稲妻が光っていた。


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