事故

 水に入り、岩の上で寝転がって、暑くなるとまた川へ。あるいは本を読んだり、ビールを飲んだり。もちろんビールの付け合わせはフライドポテト。これは「風の歌を聴け」の影響である。どうしてもつまむものにはフライドポテトがほしくなってしまう。
 「しっかりと冷えたビールを」と念を押してから頼むと、「ギンギンに冷えている(It's bloody cold.)」と言って持ってきた。このbloodyもそうだけど、それ以上に耳にしたのが、とにかく何にでもくっつけてしまうfuckingという単語。こういう言葉を乱発されると、あまり愉快な気分にはなれない。
 筒井康隆の「パプリカ」という小説も読んだ。愉快な小説とビール、それに川からの風。こんなやり方で、ブキッラワンでの時間をのんびりと過ごした。
 結局、4泊したわけだが、他に何をしたかと考えてみても、せいぜいオランウータンの餌付けを見学したくらいか。
 次の目的地はトバ湖。いったんメダンを経由して、パラパッという湖岸の町へ。そこからは舟で湖に浮かぶサモシール島へ入る予定だ。夕方までには着くだろう、そう見積もった。
 軽いけどかさばる蚊帳を、封を切らずにこの宿に置いていった。
 通常のバスだとメダンまで2000ルピア。町の入り口で待っていると、ジャングルを共に歩いたドイツ人の兄弟もやってきた。彼らの目的地はブラスタギ。
 ミニバスの運転手がこちらへやってきた。「メダンまで直通で2500ルピアで行くけど、どうだい」
 思わず僕の口をついて出た言葉は「高い!」であった。彼は得心がいかぬようで「500ルピアは、我々にとっても大きな金ではない。しかも普通のバスだと3時間の所、ミニバスだと2時間で行けるんだ。何より、あんたはインドネシアに来るのに大金を使っているんだろ。それで500のが高いというのはどういうことなんだ?」
 正論だ。理にかなった疑問だと思う。何でもとりあえず「高い」と言うのはすでに条件反射みたいなものだった。けれど、言われた側にしてみれば不愉快な言葉にもなりうるのだ。僕は「いろんな人が乗ってくるバスの方が楽しいから」と答えたが、彼の疑問を解消するには役立たなかったようだ。
 そう、確かに短い時間や快適さを求める時もある。けれど、できるだけ安く行こうというのが基本にある。時間はかかっても、混雑したバスでも、安い方がいい。あえて言うならば、安い方の選択肢を取る自身が楽しいのである。しかし、これが加速するとある種の旅人が持つ嫌らしさのようなものを身にまとうことにもなる。
 彼の問いかけによって、そうすることが常に正しいと考えていた自分を踏みとどまらせる視点に気付いた。
 行きのバスはそれほどでもなかったのだが、今回はものすごく混んでいる。市がたっている所で、山盛りになった真っ赤な唐辛子が鮮やかだった。
 窓越しに見える風景は、ほとんどがゴムのプランテーションだ。幹の部分に樹液を受けるカップがくくりつけられている。あるいは、整然と並んだヤシ。例えば葉の裏側の影になった部分まで熱帯の陽光を十分に浴びている。あらゆる空間が濃厚な光に満たされている。
 メダンに着くと、ドイツ人兄弟と別れの挨拶をして、アンプラスバスターミナルへ移動する。トバ湖へのバスはそちらのターミナルから出ている。
 アンプラス行きのミニバスに乗り込む。真昼のアスファルトの上はこの上なく暑く、そして運転手が絶え間なく吸うタバコの煙が後ろの座席へ流れ込む。1速と2速の時、やけに踏む込むから、エンジンの音がものすごい。
 街並みは退屈だから、空想を始めた。その内容自体はあまりに下らないから記さない。下らないけど、それを考えることは楽しい、そういう類のものだ。
 退屈な時間ができたら、本を読むかものを考えるかというのが二大選択肢ではないだろうか。そう言えば、昨夏ラオスで出会った人は、「月が消滅したらどうなるだろう」という壮絶なことを考えながら、国境を通るバスを待っていた。
 はっと我に帰ったとき、長身の二人組の男が車内に上がってきた。すでにアンプラスのターミナルに到着していたから、慌てて料金を払って下りる。
 彼らが急かすように聞いてきた。「どこへ行くんだ」「パラパッまで」「だったら、これだ」とすでに多くの乗客が席に着いている目の前のバスを示す。
 確かに空想に入り込んでいて、ぼーっとしていた。寝てたわけではない、と思う。目覚めたという感覚がないから。白昼夢を見ていたのか。けれども、気を引き締めるときにはきっちりとそうすべきだったのだ。そのバスの客層を見て、おかしなツーリストバスではなく、少なくとも公共の乗合バスだと確認した。「チケットは5000ルピア」と言われても「それは、ウソだろ」と彼らを無視して席に着いた。けれどもその先がいけなかった。バスの中にまで乗り込んできた彼らは、やっぱり「5000だよ」と。周りの3、4人に「本当にこのチケットでいいのか」と聞くと皆うなずいたから、支払った。歩き方に3500とあったから、多少の値上がりはあっても、5000はおかしな数字だと思わないではなかった。微妙なところだ。
 すぐにバスは出発した。ようやくと頭が正常になるにつれ、本当にこれはパラパッに行くのか、そして料金はこれでいいのかという不安がわき起こる。
 僕がすべきだったことは、運転手に行き先と値段の確認をとることであった。彼ら二人はどういう存在だったのだろう。チケットを売ると、バスを下りた。そして動き出して間もなく車掌が乗客から料金を回収し始めたのだった。彼は先ほどやり取りを見ていたから、よもや僕からは請求しないだろうとは思った。そして実際そうだったのだが、僕だけ過剰に支払ったのではないかという疑問が頭をうずまいていた。
 まるっきり相手のペースに乗せられてしまった。お金よりなによりも、むしろ自分で何もしない内にバスは動き出してしまったことの方が数倍くやしかった。
 隣の席の人に聞くと、確かにパラパッ行きのようだ。
 座席は狭いが、これくらいならまだ大丈夫だ。ひざを、一つ前の座席に押しつける。つまりそれくらいの間隔ほどしかない。
 3時間が過ぎたところで、どこかのバスターミナル。乗客は全員下りた。車掌がバスの後ろに置いてあった僕のバックパックをつかんで「こっち、こっち」と手招き。
 10人乗りのミニバスに連れて行かれた。そして運転手に1000ルピアを渡していた。
 赤ん坊も含めて15人が狭い車内にひしめいていた。左端は本来は通路になっているのだが、そこにもイスが置かれていた。かなりきつい。本来は二人掛けであろう横長の席に3人が詰め込まれている。隣の欧米風の長髪の初老の男は「トゥットゥッに滞在してるんだ」と言っていた。
 先ほどからずっとくすぶっている疑問について尋ねてみた。「メダンからパラパッまで5000ていうのは、ぼったくられたんではないだろうか」
 「メダンからここまでで3500で、ここからパラパッまでが1000だから、そんなに払いすぎているわけではない」
 払いすぎているのではなく、そんなに払いすぎているわけではない、ということである。プラスアルファの部分が、乗り換えを指示してくれるということに含まれているのだろうか。しかし、メダンのターミナルできっちりと行動していたのなら、払う必要のなかった500ルピアであった。
 巨大な音量で歌が流れる車のスピードメーターは100キロを越えていた。まっすぐな農村の一本道を軽快に走る。スペースの関係上、後ろ向きに座らされた10代半ばくらいの女の子の顔の造作は、思春期の今の時期にしかない力強い不安定な予感のようなものを秘めている、ゴリラのような顔だった。僕はそれほど思春期の女性に詳しいわけではないが、なんだかそんな気がしたのだ。
 運転手は曲に合わせて歌を口ずさんでいる。と、左前方に停車している一台のバスが見えた。「あれ、これってヤバイんじゃいかな」と、まるでアナウンサーがニュースを読むように何の逼迫感もなく思った。その瞬間、運転手も気付いて急ブレーキをかけて、それでも間に合いそうないので、ハンドルを左に切った。
 事故なんてあっけないものだ。ドン、ガシャン。それだけ。
 僕が危険を感知して(感知しただけで、危険だと認識はできなかった)から、車が止まるまでが実際のところどれくらいの時間だったかは分からない。気がつくと、車のガラス特有の形の破片が散乱していた。そして赤ちゃんが火のついたように泣いた。幸いなことに、僕は無傷だった。衝突の瞬間に、前の座席で足を打ったが大した痛みではない。シャツに引っかけていたサングラスが床に落ち、わずかに歪んでいた。
 ドアは内側からは開かず、誰かが外から開けてくれた。なんとかして外に出ると、口を切って血を流している人や、打撲で顔が腫れている人もいた。
 幸いだったのは、この車はフロントのエンジン部分が突き出した形になっていたこと。その右端と前方のベンツの大型バスの左後ろがぶつかっていた。のっぺりとしたフロント部分であれば、前に座った人たちのケガはもう少しひどいものになっていたかもしれない。
 こちらの車のエンジンルームは、ちょうど対角線の所までひしゃげていた。対して、ベンツはバンパーに傷が入った程度だ。車を買う時は、ベンツも考慮に入れよう。ちなみにこちらは、イスズの車であった。
 いつの間にやら事故現場を、集まった人が囲んでいた。子ども達が中をのぞき込んだり、あれこれと車をいじくっている。誰が連絡したか、バイクに二人乗りした警官がやってきた。
 被害に遭った人も、それに野次馬もみんなうまい具合に、道端のバナナの木陰に自分の場所を確保している。
 影が段々伸びてきた。移動の日は、大体においてそうなのだが、目標とする到着時刻が段々と先送りになって行く。出発前は昼過ぎには着くんじゃないかと思っていたけど、今はもうそれが今日中に着けばいいかに変わっている。
 先ほど言葉を交わした旅行者は、病院に行って来ると言い残して、もと来た道をミニバスを拾って引き返していった。
 その後、何台かミニバスが通り過ぎるが、どれもいっぱいだ。
 さて、とりあえず言葉は無理だろうから、他の乗客が次に取る行動に同調しようと思った。しかし、人の顔を覚えるのが苦手な僕の記憶に辛うじて残っていたのは、十代の女性と一人の老女だった。他は乗客なのか野次馬なのか見分けがつかない。そのおばあちゃんが動いた。彼女は自分の荷物をとって、止まってくれたミニバスに向かう。よし、遅れないようにバックパックを持って後に続く。車の後部の窓にはパラパッと書かれていたが、念のため隣に座った人に確認する。そう言えば赤ん坊を抱いた彼も先ほどの同じ車に乗っていたっけ。
 今回はなんと赤ん坊と幼児を含めて22人が乗った。事故を起こした車より多少は大きいが、余裕がないことにはかわりがない。当然と言えば当然、納得できないと言えばできないのだが、ここで新たに1000ルピアを支払った。これは、一緒に乗り込んだ人もそうしていたからだ。最初の車の運転手から取り返さなくては、と気付いた時にはもう彼は見あたらなかった。警察にでも連れて行かれたのだろうか。
 進む進む。段々と道は上っていく。湖面の標高は海抜900メートルある。
 ある曲がり角を過ぎたら、ぱぁっと湖が開けた。そしてその上には太陽が。スモークのかかった窓ガラス越しだが、十分に美しい光景。いくつかの地点で、ぱらぱらと乗客が下車していった。
 地図を指して、「ここに行きたい」ということを伝えようと思い、ザックをごそごそしていたら、隣のおじさんが「どこに行くの?」と聞いてきた。「トゥットゥッまで」と答えた。先ほどの旅行者もそこに滞在していたし、パラパッからサモシール島へ渡る舟はトゥットゥッに着くから便利だろうと考えたからだ。
 運転手が何事か尋ねてきたが、言っていることがわからない。代わりに隣のおじさんが口を開いた。「どこまで行くんだ?」「彼はトゥットゥッに渡るんだ」という会話がなされていたのだろう。
 多めにバス料金を支払い、乗ったミニバスは事故に遭い、今度はどこで下りたらいいかも分からない。そんなギリギリの所でも、なぜかしら物事は進行する。今回は、彼の親切に救われた。
 船着き場に停泊していた一隻の舟に乗り込む。夕陽が湖面に反射してまぶしい。
 乗客の中には旅行者の姿も目に入ったが、ここにも欧米系の人しかいないようだ。
 出航を待っていると、大きな荷物を抱えた僕にさっそく客引きが寄ってくる。5、6人はいるが、誰もが少年と呼ぶにふさわしい年齢だ。口々に自分の宿を宣伝したり、あるいは案内のビラを手渡す。日本語の単語をいくつか知っている一人の口から出たのは、「ヤクザ」「オンナ、カウ? タカクナーイ」だった。
 そんな客引きに僕は、こんな宿を探していると伝えた。「部屋がきれいで、安くて、それにビールも安く飲める所」
 もちろんこれは宿に食堂が付設されているだろうと考えたからだ。すると口々に「メニューには5000と書いてあるが、4000でいいよ」と全員が。
 サモシール島に下りて、とりあえず隣り合う二つのゲストハウスを実際に見てから決めることにした。どちらも湖に面した斜面にいくつかのコテッジが建てられている。
 結局、エルシーナという方に決めた。驚くほど広い部屋には、新しいダブルベッドがあり、しかもその上にはマットレスが2つ乗っていたから、ふかふかである。さらにバスルームもついている。もちろん、ビールは4000。
 これだけそろって3000ルピア。ここに来て、また物価がガクンと下がったようだ。
 コテッジの脇の階段を上がった所にあるフロントでチェックインして、何はともあれ、日の沈んだ湖面を眺めながら、ビンタンを一杯。


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