目覚めれば、湖の上
早朝、と言っても8時前だが、部屋の外に出た僕の耳に入るのは、湖水の波の音、鳥の声、虫の声。標高900メートルという高地の冷涼な朝の空気と相まって、一人旅の寂しさをが胸をよぎる。
レンタルバイクで島をめぐるのは明日にして、やはり初日は自分の足で辺りを見て回ることにした。舗装された道は湖に沿った一本しかないから、迷いようもない。
さんさんと輝く光あふれる道端には、赤や黄色や紫の花が咲いている。
道沿いにはいくつか「レストラン」とか、「コールドドリンク」という看板を掲げた売店や、シャツや雑貨などのみやげ物屋が並んでいる。まあ、どこにでもある欧米向けの観光地。
丘になっている草地を上ってみた。墓、だろうか白と水色のコンクリートでできた家の模型のような物の上に十字架が立っている。イスラム教徒の多いスマトラ島にあって、この一帯だけは例外的にカトリック信者が多いらしい。
辺りでは縄につながれた水牛がのったりと草を食んでいる。
ふと歩みを止めて空を見上げる。すると気付くのは、最もうるさいのは自分の足が草を踏む音と、背負った袋のペットボトルの水がちゃぽちゃぽと規則正しく鳴る音だったということ。
ブキッラワンでは日本まで絵はがきを出すと、600ルピア(実際には郵便局がないので、どこで買っても手数料として100ルピア上乗せされた額を請求されたが)だったのに、ここでは700ルピアだった。
「ブキッラワンでは600だったのに、何で700なの」と尋ねると、店のオヤジは言った。
「政府のやることはどこかイカレてるんだ」
4通分、2800ルピアのところを細かいのがなかったので1万ルピア札で払おうとしたら「釣りがないから、後で払ってくれよ」と、こっちが疑ってしまうほどあっさりとそう言われた。逆に僕の側が「あそこのエルシーナに泊まってるから」と慌てて知らせた。
みやげ物屋を何の気なしに物色していたら、青い絞り染めのシャツが目に留まった。その時点では全く買うつもりはなかった。けれど、すかさず寄ってきた店のおばちゃんに、参考がてら値段を尋ねてみた。
「2万だよ」
これでもう絶対に買わない、と思ったはずだった。相手を追い払う目的でなぜだか半端だが見当違いに安い6千という値段を口にしてみた。すると予想外に乗ってくるではないか。あれよあれよと言う間に値段は半分になり、さらに下がってくる。結局2万対6千は、7600で決着してしまった。いいなとは思ったが、そのつもりはなかった。それでも最後の方は冗談半分に100単位でじりじりとこちらの言い分を上げていったら、あっけなく「7600でいい」ということに。
それがどの程度妥当な値段なのかは分からない。ゲストハウスで「これいくらくらいだと思う」と聞いたけど、返事は「2万くらいじゃないの」だったから、これはあまり参考にならない。
次の目的地に漠然とブキティンギを考えた。そこに行く間に赤道を越えることになる。サモシール島のいくつかの旅行代理店をのぞいてみると、ブキティンギ行きのツーリストバスは赤道のモニュメントにも立ち寄るという。今回の旅の一つ目の目標が、上海、香港の直通列車に乗ること。そして二つ目が赤道を越えることであった。ちなみに三つ目はジャワ島のボロブドゥール遺跡を訪ねること。
赤道のモニュメントと言われても、どんなものであるかは不明だが、とりあえずは「ここが赤道だ」と分かるようになっているのだろうから、このバスを利用してみるつもりだった。
ただ、どこも「出発はパラパッ」ということであった。それなら直接パラパッ側の旅行代理店だと少しは安いかもしれないと考え、舟に乗った。ちょうどエルシーナの真下から乗ることができるから便利だ。
人が横になるだけの幅と長さしかない、木の舟に乗った男が、あさぎ色の湖水に網を沈めてゆく。
みやげ物屋が立ち並ぶパラパッの湖岸の道は面白味がなかった。なんだろう、高々数キロも離れていないのに、島の方がぐっと雰囲気が優しい。極端に言えば、こちらは殺伐としている気がする。
残念なことに、バスの値段は変わらなかった。せっかくだからと、帰国便のチケットの相場を聞いて回った。ジャカルタ発のガルーダで400ドルというのが一番安かった。けれどこの時の僕は「だったら、ジャカルタで買ったらさらに安いのではないか」と思い、その値段を記憶しておくにとどめた。バリ発は割高になるので、ひょっとしたらバリ島には入らずに終わるかもしれないなと思わないではなかった。
両替は1ドル2430ルピアというのが、とりあえず提示されているレートとしては最もましな額だった。やはりメダンの銀行で多めに替えておくべきだった。
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