温泉
サモシール島をバイクで巡る。4段変速、クラッチなしのヤマハ。以前、原付に乗っていたし車の免許も持ってはいるが(国際免許証はない)、どうなることかと多少の不安はあった。
昨日の朝は、風の中に一人旅の寂しさを感じとった。今日は、財布の中に一人旅のやるせなさを見つけた。二人乗りする相手がいれば、レンタル料も折半できるのに。実際、そうやってバイクを楽しんでいる(楽しそうに見えるのは、レンタル料が半分ですんだからではなかろうが)旅行者の姿を少なからず目撃していたこともやるせなさの理由か。
そう言えばインドのプーリーでは、宿の人と楽しいツーリングをしたっけ。おそらくその彼はまだインドにいるはずだ。
簡単に説明を聞いて試運転。しかし、すぐに慣れるもんだ。ちょっと辺りを走ってみても、坂は多いし道はいたるところデコボコしているからギアがいるのだろう。ギアを変えるごとにエンジン音の調子も変わるが、そいつには聞き覚えがあった。新聞配達や、郵便配達のバイクの音と同じだ。
「島を一周するのは、ちょっと無理だろう」と聞いたから、まずはトモッへ行って、いったんここトゥットゥッへ戻り、その先のアンバリータ、シマニンド、パングルーランまで走り、そして引き返すことにした。
道は基本的には湖に沿う一本だけだ。まずは湖を左手に見ながら、多少ぎこちないギアチェンジを繰り返して出発。細い道にみやげ物屋が立ち並ぶ先に、石造の墓が3つ並んでいる。バタッ人の王のものだそうだ。初代から三代までのもので、その三代目の王だけがキリスト教徒であったため、他の二つとは趣が異なる。
そう言えば、そんな題名の映画があったような気がする。三代目はクリスチャン、いやちょっと違うな。
シダブダル王の墓には、彼の大きな顔が彫られているが、これは何とも言えず情けなさそうな表情をしていた。
ここまではコンタクトレンズにサングラスだったのだが、風防がないどころかヘルメットすらかぶっていないものだから、直接風を受けることになる。このままずっとサングラスをしていると、一日が終わった頃には逆パンダになっているだろうし、外したら外したでコンタクトレンズが風に奪われそうになる。トゥットゥッに戻ったついでに、今朝付けたばかりのコンタクトを外して、眼鏡に替えた。
今度は逆に、湖水を右手に眺めながら北西へひた走る。起伏が激しいが、ひときわ高い坂の上に出たとき、それまで隠れていた湖が、唐突に姿を現した。電車や車で海のそばを走っていると、ふいに開けた風景の中に海が見えることがある。それと同じような、瞬間の感動だった。
アンバリータはトゥットゥッからわずか5キロ。確かに一度姿を消した人家が再び密集し始める場所が、ちょうどそれくらいの距離の所にあったのだが、肝心の昔の石造建造物の遺跡を見落としてしまったようだ。ここでうろうろと探し回るよりも、とりあえずは先に進むことにした。時間があれば帰り道に寄ってみればいいだけのことでもあったから。
朝の湖はきれいだ。トゥットゥッと違い、道路が高い位置にあるから、ふっと横に目をやると180度全て湖が飛び込んでくる。
シマニンドの博物館で伝統的な踊りを見た。
受け付けで渡された説明には、日本語もあった。大抵、観光地で出会うこの手のものは、ネイティヴの日本人の手によるものではないと思われる文章が多いのだが、これは明らかに日本人の文章であった。
生け贄役の水牛はもちろん殺さない。これはショーなのだから。6、7種類の楽器の演奏に合わせ、伝統衣裳に身を包んだ10人程度が踊りを踊ったり、祈りを捧げている。それぞれの場面では英語での解説が、雑音も音声も区別ができないようなスピーカーから流される。
間もなく、真昼を迎える頃合だった。空から、そして真っ白な地面から容赦のない熱と光が浴びせられる。日陰の部分は、とうにビデオカメラを構えた団体客に占領されている。
ただ一つだけ、「うん、いいなぁ」と思ったのは、踊り手の一人の少女の微笑み。彼女は終始にこやかだった。
さて、バイクにカギを差し込んで、再び走り出す。次なる目的地はパングルーラン。何を隠そう、今日のツーリング?で一番楽しみにしていた村だ。ここがなければ、わざわざバイクを借りようとも思わなかったというほど。
僕がこの上なく引きつけられたのは、温泉。
何も温泉は日本の専売特許ではない。日本的な楽しみ方というのはあるにしろ、同じ環太平洋造山帯に属するここインドネシアでも、熱い湯が湧き出すのは当たり前と言えば当たり前だ。僕は実際に行ってみるまでは想像だにしなかったのだが。
バイクは一本道を疾走する。しかし、いくら他の車やバイクがほとんど通らないからとは言え、気は抜けない。唐突にアスファルトが欠けて穴になっていたり、あるいは鶏や水牛が我が物顔に闊歩しているからだ。
鶏は間抜けだ。そして滑稽だ。こちらが近づくと、脇にひょいと避ければよさそうなものを、進行方向に死にもの狂いで駆け出す。空をつかまえることのできない翼をいくら羽ばたいてみたところで、逃げ切れるわけもない。そうは言っても、沿岸にいる兵士が沖合いから砲撃された時、横によけずに弾の進路に駆けていったということを聞いたことがあるから、ひょっとしたらそれほど笑ってもいられないかもしれないのだが。
シマニンドから1時間ほど走った。看板が出ていたので、そこを右に折れる。ちょっとした集落を抜けると、道は細くなり上へ向かっていく。
一つ「プール」と掲げている看板を見かけたが、とりあえずは行ける所まで上っていく。一番上のゲストハウスに続く細く急な道を、1速でなんとか上がる。上りはともかくとして、バイクで帰る時はかなり恐怖心をあおられそうなほどの傾きだ。
軒先にバイクを止めると、たった一人だけイスに座っていた老人が、家屋の向こうを指さす。
わほっ! さっそく水着に着替えてつかる。
温泉と言っても何もない。そこにあるのは山肌である。上の方から流れてくるお湯が、おそらくは自然に空いたであろう穴にたまっているから、そこに入るのだ。泳げるほどではないものの、手足を伸ばしてもなお余りある大きさの池?だ。そしてもちろん、その湯船からは再び下方へ流れている。
眼下にはトバ湖、頭上に熱帯の空。湯に打たれながら、僕は幸せをかみしめていた。
2時間以上かけて、出たり入ったりを繰り返した。その間、団体客を中心に20人ほどの旅行者が訪れたのだが、ただアメリカ人カップルを除いては全てが手足をちゃぷちゃぷと浸す程度であった。
また、何も観光客だけではない。ほんの小さな女の子が、赤ちゃんを抱いてやってきた。10才にもなっていないだろう彼女はお湯で皿を洗い、その赤ん坊の鼻をかんでいた。
立ちこめる硫黄の匂いにつられれてか、小さな蝿が何匹がぶんぶんと飛んでは、水辺で手足をこすり合わせている。
指先は、そのままこそげ取れるのではないかというほどに白くふにゃふにゃになった。
温泉、とくれば自ずとその次は酒であろう。食事としてではなく、つまみとしてミーゴレンを注文する。ビンタンビールはそれほどおいしいものだとは思っていなかったが、さすがにこの状況では、これ以上にうまい飲み物はないと思った。
下りは怖いだろうなとシラフの時は感じた斜面も、酒の入った僕の前ではただの道路だ。濡れた髪を風になびかせ、大声で歌なんぞを歌う僕の横を風景がびゅんびゅんと流れていく。「酒が入っているからこそ慎重に運転せねば」などという良心のささやきすら、瞬く間に歌声と風の音にかき消されていった。
沿道の子どもに手を振ってみたり、「ハロー」なんて言葉に笑顔でこたえてみたり。これだから酔っぱらいってやつは……。
アンバリータの遺跡が、人に聞いても中々その場所が分からなかったのは、遺跡が塀に囲まれた中にあるからだった。入り口の幅は1メートルもない。中にあったのは、石造りの会議場や、首を跳ねた処刑台などが残っていた。
日が暮れると、宿の上の方のパブからやかましい音楽が流れてくる。そんな店に行くヤツは何を考えておるのだ。けれども、そこから流れてくるのが久川綾やら林原めぐみやらだったら、「こんな所で」とは思いつつもふらふらと店に入り、ビールでも傾けながらしみじみとしてしまうだろう。そんなもんだ。
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