スロヴェニア

 エルシーナに滞在中の宿代と食費を精算する。ここでは食事をしてもその都度ではなく、部屋ごとに決められたノートに記しておき、それをまとめてチェックアウトの時に支払うことになっていた。
 電卓を叩いて、雑多な足し算をすると、最後にイコールを押したとき、見事に40,000という数字が出た。5万ルピア札を渡して、おつりが戻ってくるのを待っていた。
 バスのチケットを買った旅行代理店では、トゥットゥッを出る7時の船に乗ればいいと聞いていた。ところが、宿の人は「7時にはないよ。次の船は8時15分」と言ってきた。「急ぐのなら、トモッまでバイクで送ってあげるけど。そこからの船に乗ればバスに間に合うでしょ。7千でどう?」
 冗談じゃない。「おいおい、そんなもん僕に払う義務はないだろう。とりあえず旅行代理店に聞いてみるから、電話貸してくれない」と、焦った僕はまくしたてた。
 「安心しな。7時半ってのがあるから」
 どういうことだ。うまいこと言って、バイクに乗せてお金を取ろうという魂胆か。それとも単なるジョークのつもりか。
 何はともあれ、船に乗り座席についた。僕の隣におばさんが陣取った。そして隣に座ったもう一人のおばさんと話しをする。しかし熱を帯びてくると、顔だけを向かい合わせているのに飽きたらず、徐々に体ごと向き合うようになっていく。必要とする座席のスペースが増えた分、必然的に僕の方へにじり寄ることになる。一言もなく、彼女は体をずらし、そして僕はじりじりと元いた場所から避難する羽目になった。
 なんてことだ。宿での不可解な会話もあって、僕の心は妙にささくれ立った。こんなことではいけない。という認識はあったのだが、より大きな不愉快が胸の中に渦巻いた。
 ブキッラワン、そしてトバ湖と自然が豊富な所ばかりを動いてきたから、街の活気や雑踏を求める気持ちが強くわき起こっていた。村上春樹の「風の歌を聴け」にもこんなセリフがある。「海ばかり見てると人に会いたくなるし、人ばかり見てると海を見たくなる。変なもんさ」
 バスの運転手は出発の前に、所要時間や休憩についての説明を述べた。そして最後に、「もし緊急事態が発生したら、私に声をかけて下さい。ジャングルトイレットのためにはいつでも停車いたしますので」
 バスは走る。蛇行した山道を。1時間以上が経過してもまだ湖が視界に入っていた。
 外は小雨が降りしきっている。おかげで涼しい。
 昼前の最初の休憩は温泉場だった。喫茶店のような店の裏が、石灰質のちょっとした丘のようになっていて、そこの合間を湯気を立てながらお湯が流れている。そして、数人がその石灰を掘っていた。温泉、と言うのはトイレの隣に設置された小部屋のことだった。流れてくるお湯をパイプ伝いに浴槽に集められていた。これもまた魅力的ではあったが、服を脱ぎ着しているだけの時間はなかった。
 温泉につかる代わり、その山を上ってみた。すると作業員の一人が「こっち、こっち」と手招き。洞窟がそこにあるらしい。それは巨大なものではなく、ちょっとした穴ぐら程度ではあったが、美しさは並ではなかった。
 体をかがめて足を踏み入れたそこは、湯煙が立ちこめる幻想的な空間。天井からは一抱えもあろうかという太さの石灰の柱が、もこもこと生えている。そして足元にたまっている湯は、どういうわけでだか、鮮やかな青や緑が透き通って見える。底にはまた、丸みを帯びた大小様々な鍾乳石が並んでいるのがはっきりと見える。珊瑚礁もかくや、というほどの色の世界。ひっきりなしにコポコポという音が優しく耳をたたき、硫黄の匂いが鼻をくすぐる。悪夢の具象のようにも思える一種、異様な美しさ。
 バスの他の乗客はそれぞれトイレに入ったり、あるいは喫茶店で何かを飲んでいたりで、ここに気付いたのは始めは僕だけだった。人と違う行動をとると、ひょんなところで珍しい体験に出会えるものだ。別に人と違うことを狙っているわけでもないが、何となくそのように帰結してしまうことが多い。
 一心に爪にやすりをかけている、でぷっとしたおばさんが、通路を隔てた僕に話しかけてきた。
 「何を読んでいるの」「チェーホフの桜の園」 いささかぶっきらぼうに答えた。
 大体において、読書を中断されるのは好みではない。傍目にも明らかなように、本を読むという行動を選択しているのだ。その態度は、それ以外の僕の行動の可能性の否定を示しているはずだ。ちょっと考えてみれば分かるはずだ。楽しみを分断されること、相手がそれと気付かない頭の悪さ、その双方とも僕は嫌いだ。
 「うーん、日本語は縦に書くのよね。私にはさっぱりだわ。けどね、わたしのところの8才の子どもは日本語を知りたがってるのよねえ。日本のアニメが好きでね。ほら、なんだったけ、ソンゴクウが出てくるあの……」
 「ああ、ドラゴンボール」
 「日本へは、一度だけ行ったことがあるけど、何でもかんでも高くてまいったわ」「昔ね、チュニジアに住んでいたことがあるのよ。数学教師の資格を持っていたから、数学とフランス語を教えてね……」
 僕が口を挟もうとしても、相槌を打つ間しか与えられず、もったりとした英語で話し続ける。たまに「ほら、あのぅ」と頭の中のくもの巣をはらいながら、単語を思い出そうとする。
 そうすることによってますます自分にのめり込んでしまい、僕は会話の相手ではなく、独り言を話しかけられるだけの対象になってしまう。僕の代わりに「はい、そうですか」「へえ、それはそれは」という言葉を覚えさせた九官鳥でも務まる。けれども鳥には「ほお、そうなんですかおば様」的な笑顔は作れないだろうけれど。
 昼食を挟んで、バスは相変わらず順調に走る。遅い午後の休憩の時、ちょっと賑やかな街角だったので、僕はうろうろ辺りを歩いてみた。
 道端でドゥリアンを丸ごと売っている人に、なんとか覚えてきたインドネシア語で「いくら」と聞いてみる。大体、値段は1000以上というものが多いから、インドネシア語実践練習では1から10を覚えるよりも1500とか2000という数字が頭に入る。だからドゥリアンの値段はすんなりと分かったのだけど(分かっただけで、買いはしなかったけど)、近くの屋台でサテーを頼んだときは少々面食らった。
 食事としてではなく、軽食としてつまもうと思った程度だったので、5本だけ注文するつもりだった。ところが5という数字が思い出せなくて、手っ取り早く指で示した。そうしたら、出てきたのは15本だった。まあ、焼き鳥とは言っても、小指の先ほどの肉が串に刺さっているだけで、それほど量はないからいいか。相変わらず餅(名称が分からない)はぽそぽそしていて、味もない。しかしこれも相変わらず腹もちだけはいいので、結局この日は夕食をとらなくても大丈夫だった。
 再びバスに乗り込むと、運転手が交代していた。
 夜。真っ暗な中を走り続けたバスが止まった。赤道だった。僕としては、自分の足で赤道を越えてみたかったのだが、バスは南半球に入って十数メートルの所に停車してしまった。致し方のないことだ。

赤道をまたいで
 地球儀を戴いた赤道上に立つモニュメントがあり、白い線に挟まれた文字どおり赤い線が道路を横切って描かれており、一軒のみやげ物屋があり、そしてTシャツ売りが盛んに近づいてくる。
 「ここでしかないよ」と声をあげながら売っている「I CROSSED THE EQUATOR」と大きく書かれたそのTシャツを欲しいと思いはしたが、「1万5千」という値段が耳に入ったのでやめにした。
 右足で北半球を、左足は南半球を捉えた写真や、モニュメントと並んで立った写真を撮ってもらう。
 シャッターをお願いしたのは、しっとりしたブロンドの短い髪の女性。同じバスの一人だった。
 バスの乗客は、年齢はばらついていたが、ほとんどの人に共通していたのは二人組である点。なんで欧米人の多くはカップルで旅をするんだろう。まあ、向こうにしてみれば、何で日本人は一人旅なんだという疑問があるかもしれないか。
 しかし、その中で彼女は僕と同じく一人のようだった。昼食の時、あれ彼女も一人なのか、めずらしいなと感じたことを覚えていた。僕の注意を引きつけたのは、そのことだけでなく、彼女の美しさでもあった。背中に羽が生えていたら、妖精と呼びたいところだ。
 「私も一枚お願いしていい?」「もちろん」
 「いいカメラだね」と僕が言うと、ちょっと恥ずかしがるそぶりで「でもサムソンよ」と笑った。
 「あなた、どこから来たの」「日本から」「君は」「スロヴェニア」
 英会話レッスンの初歩のようなやり取り。決定的にそれと異なるのが、彼女の答えた国名。アメリカやイギリスでもなければ、フランスでもドイツでもない。ましてや、フェアリーランドでもなかった。
 「ああ、スロヴェニアか」とあまり聞き覚えのない固有名詞を繰り返した。「知ってるの?」
 問いかけの口振りの中に「知らないわよねえ、多分」という不安げな否定的ニュアンスを察知した。
 僕は力強く「うん、知ってるよ」と答えた。そうすれば、会話はスムーズに進むだろうと踏んだからだ。確かに記憶にない言葉ではなかった。
 「詳しいわけじゃないけど、東欧だよね」
 僕の淡い期待を込めた知ったかぶりは裏目に出た。そして事態はあまりよろしくない方向へ進んでしまう。
 彼女はなおも続ける。「ユーゴスラヴィアって知ってる?」
 僕はなおも自信たっぷりに答えてしまった。そこで単に「イエス」とだけ言っておけばよかったかもしれないものを、知っていることの証拠を示すべく、その後に続けた。「今は、ユーゴとスラヴィアだよね」
 「違うわ。今は5つの国。スロヴェニアはその一つ」
 彼女はゆっくりと言葉をつむいだ。明らかに「やっぱり知らないんじゃないの」という落胆のニュアンスを込めて言い聞かせるように。
 気まずいまま、再びバスに乗り込んだ。
 そして僕は今の会話を逐一、頭の中で再生しながら、必死に記憶を手繰り寄せた。
 しまった、二つに分かれたのはチェコスロバキアだったか。高3の時、直前の冬期講習に通った予備校の講義がおぼろげに思い出された。「一つの国、二つの民族、三つの宗教、四つの……」というような言葉も習った気がする。ああ、あの時もっとしっかり世界史を学んでおけば、会話は弾み、そして彼女の笑顔を引き出すこともできたのかもしれないのだ。
 ずっと楽しみにしていた赤道越えを果たした感慨なぞ頭の片隅にもなく、バスが到着してからどうやって彼女に話しかけようかという算段ばかりをめぐらせた。
 「ねえ、君さえよかったら君の国のことをもっと知りたいんだけど。夕食でもとりながら、どう?」
 「でも、その前に泊まるところを探さなきゃ」「よし、じゃあ一緒に探そうよ」
 けれど、再び暗い中に人家の灯が見え始め、ブキティンギに着いたものの、肝心の彼女はどこかのカップルとしゃべりながらバスを降りてきた。チャンスをうかがっていたのだが、どうやらその二人と一緒に行動するようだった。
 バスの天井から下ろされた自分のバックパックをつかむと、その街の地理すら分からぬままに、今日の宿を探すべく歩き出した。
 
 後日談。世界史に詳しい友人に尋ねたところによると(自分で調べない辺りが、きわめて僕らしくてよい)、正しくは「一つの国家、二つの文字、三つの宗教、四つの言語、五つの民族、六つの共和国」だということだ。僕がこの言葉を知りたかった事情を話すと、電話口の向こうでそいつは言った「あの辺は、ゲルマンをベースに東西入り交じって、絶妙のブレンドになってるからきれいな人が多いんや。あー、もったいねぇ」
 彼女の写真くらい、何とか撮っておけばよかった。これもまた、もったいない。


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