久々の大都会

 出発の前に荷物をまとめていて、重大な過ちに気付いた。パヤクンブへ泊めてもらった時、万一ということがあったらと考えて、お金をいくつかの場所に分散させておいた。その一つが筒井康隆の「パプリカ」という小説の中だった。表紙とカバーとの間に1万ルピア札を10枚入れていた。問題は、その本をアサノウさんに渡してしまったということだった。
 早朝から申し訳ないと思いながら、ドアをノックすると「ずっと本を読んでて、結局まだ寝てないんだ」とすぐに現れた。事情を説明し、「それじゃあ」と再び別れの挨拶。
 昨晩、勘定の時に「ずいぶん遅くまで付き合わせちゃったから」ということで、僕の分まで彼が支払った。もちろんすぐに「あ、それはどうも」と言ったわけではないが、彼が「こういうことは年上の言うことに従っとくもんだよ」と、半ば無理矢理支払ってくれた。うれしくないわけではないけど、お礼を言っても釈然としないものが僕には残った。
 宿に戻ったらシャッターがおりていた。時計を見ると2時を回っていた。しまったと思いながら声をかけると、すぐにではないが中から人が出てきて入れてくれた。
 横になりながら、闇の中でアサノウさんとの会話と僕のとった行動を反芻していたが、やはり自分の分は自分で払うべきであったのではないかと考えていた。
 やっぱり、納得がいかずに自分が飲んだ分をちぎったノートに挟み込んで、彼の部屋のドアの隙間から差し入れた。そのノートに「旅人という点では対等でありたいから」と記して。
 そして宿を出ると、タイミングよくやってきたミニバスに飛び乗った。
 正しい行動かどうかは分からないけれど、僕はこうしたかったのだ。
 ターミナルに入ると、客引きか何かが寄ってくる。「もう、持ってるよ」と追い払う意味で、目の前でチケットをひらひらさせたら、A.N.Sのブースへ行くように言われた。そこで、書き直されたチケットをわたされて「ここで待つように」と、ターミナルの一角へ連れて行かれる。僕が旅行代理店で手に入れたそれは、単なる引換証だったのだろうか。
 しばらくすると、目的のバスの代わりに、さっき僕を引っ張っていった男が再び姿を現して「オフィスは2キロ離れていて、ジャカルタ行きはそこから出る」と言ってくる。
 本当だろうか、と訝しみつつ先ほど新たに渡されたチケットを子細に眺める。ひょっとしてA.N.Sなんかになっていないだろうなと思いながら。
 そのオフィスまでのミニバス代はこちらが何も言うまでもなく彼が支払った。倉庫のようながらんとしたオフィスとやらに着くと、確かにA.N.Sのバスの発着場のようで、大きな荷物を持った人が何人もいた。けれど、ジャカルタ行きのバスは来ない。近くにいた係員に尋ねると「パダン発なので、遅れると思います。12時半には」と、あたかも1時間遅れることが当然のように、焦る風もなく教えてくれた。
 今朝、パサールアタスの3階にあるスーパーで仕入れておいたお菓子をポリポリとかじる。小さな丸い米の揚げ菓子で、まぶされたゴマがぷちぷちと口の中ではじける。長距離の移動には欠かすことのできないのは、水、本、それにおやつだろうか。これだけに留まらず、今回はちゃんと果物も用意しておいた。丸々としたマンゴスチンを1キロ。
 「ジャカルタ行きはこっち」と指示されたトランクに自分の荷物が入れられたのを確かめて乗車。運良く、窓際だった。
 隣に座ったのは、同じくらいの年齢の男。うちの大学の理学部数学系あたりにいそうな雰囲気。なよっとした細い体に、くにゃりと流した髪の毛、おまけに銀縁の四角い眼鏡はちょっと傾いていた。
 やはりというか、彼はパダンの大学で工学を学んでいた。ロミと名乗った。ジャカルタの実家に帰省するところなのだそうだ。
 お互い学生という共通点もあって、お菓子を交換したり、ぺちゃくちゃとおしゃべりをしたり、悪くない隣人だった。僕は地図を引っぱり出して「今、どの辺?」と聞いてみたりもした。電車での移動なら、駅名を読みとればいいが、バスだと地名が分からない。彼が教えてくれるおかげで、着実に進んでいることが分かってなんだか安心した。
 バスは時折ターミナルで休憩のため停車する。目に付いたのは、マンディールーム。特に僕が乗っていたのはエアコンなしだったこともあって、重宝した。それほどきれいではないが、浸したタオルで体を拭いたり、髪をざっと洗うとさっぱりとする。
 僕らが休憩している間、バスは洗車されていた。T字型の長い棒の先に雑巾を引っかけて、それで大きなフロントグラスを磨く少年たちがいた。
 翌日の昼頃にスマトラからジャワへフェリーで渡った。その船はかつては日本で使われていたらしく、「二等船室」「消火器」と言いった表示があったり、あるいは「うどん・そば」のカップ麺の自販機もそのままだった。
 小島があちこちに見える海を渡ると、ジャワ島だ。
 人の流れに抗して、なんとかその「うどん・そば」の文字を写真におさめようとがんばっていたのだが、下船するとそこにはすでにバスはいなかった。慌てて近くにいた人に「ジャカルタ行きのA.N.Sのバスは?」と聞くと、彼が無線で連絡をとってくれた。
 「これに乗りなさい」とバイクに乗せてくれた。まいったな、と思っていたが、バスは案外すぐ近くで待っていてくれた。
 やれやれ、と思いながら乗り込んだが、なんとしたことか他の乗客はいるのに、ロミの姿が見えない。僕を乗せるとそのまま発車しそうになったバスを止めて、「この席の人も、まだだ」と身振りを交えて伝える。
 バスの一隅から「あー」という声が上がった。みんなが見つめる方向から、ロミが走ってきた。
 「どうしたの?」「いやあ、トイレに行ってたんだ」
 スマトラに入ると、急に道がよくなった。なめらかなアスファルトの上を快適に走り抜けていく。自動車専用道路ではあったが、山羊を見かけた。
 このままだと日のある内にジャカルタか、と期待したものの、市内に入るとアウト。渋滞につかまり、思うように進まない。交差点付近では、傍らに抱えた新聞や雑誌を売っている姿をよく見かけた。彼らは器用に腕の上に新聞や雑誌を並べている。
 果てしなく並んだ建物の向こうに落ちていく夕陽がやけに重たげだった。これほどの人工物の姿を目にしたのは、バンコク以来だった。
 ターミナルでロミと別れて、教えられた通り、少し離れたバス停へ。
 ジャクサ通りへ行きたいのだが、辺りが暗いこともあって、まずは分かりやすそうなその近くのガンビル駅を目指すことにした。どのバスに乗ればいいのか尋ねたビジネスマン風の人が「だったら、一度パサールスネン駅で下りてバスを乗り換えたらいい」と、教えてくれた。
 パサールスネンと思しき辺りで降車。
 広い道路にひっきりなしに車が通り、そして人が間を縫うように横断している。一帯がバス停のようになっていて、車道で待ちかまえている人は、目当てのバスが来るとひょいひょいと乗り込んで行く。
 僕はとりあえずバスを探す前に、目に付いた路上の豚マン屋から、熱々のを一つ買った。おいしかった。
 初めての土地。しかも夜。バスもよく分からない。泊まる所すら決まっていない。バックパックを背負ったまま人混みにもまれる。それでも、目の前の豚マンに手が出る。
 何台かのバスに「ガンビル?」と声をかけたが、どれも外れ。その内に、「それは反対側だ」と教えてくれた人がいた。乗り込んだのはエアコンバスだった。会社帰りのように見える若い女性にガンビル駅に行きたい旨を伝えて、「ここよ」と教えてもらった。
 ここからなら、そう時間はかからずに歩いていけるだろうと踏んでいた。駅付近にたむろするバジャイ(小型の3輪タクシー)が「ジャクサ?」と声をかけてくるが、「歩いて行くよ」と返す。
 独立記念塔であるモナスとこの駅とを目印に、通りの名前を確認しながら向かう。
 地図をにらみながら「あれ、方角が逆だったかな」とちょっと戸惑った。日本だと、その通りと平行するように道路名の看板が立てられているけど、こちらでは直角に立っていたからだ。
 それでもそのことに気付いたら、ジャクサ通りまでは問題はなかった。
 問題は宿だった。時間が遅いということもあるが、軒並み満室だった。あるいは空室であってもやけに高い。
 それでもさほど焦りは感じず「とりあえず、端から端まで歩いてみよう」と思った。
 4、5軒「今日は満室」と断られた後、客引きがやってきた。
 彼が連れていってくれたのは、ちょっとだけ脇にそれた宿で、路地を2回ほど曲がった奥にあった。シングルの扇風機付きで12000ルピア。今までの2、3倍の値段。しかし、今までいくつか聞いたところではこれは安い方ではあった。
 窓に鍵がなく、しかもすぐ隣家の屋根が迫っていたので受け付けの若い男に言うと、引き出しの中から取り出した釘を一本くれた。本来は鍵がかかる場所に釘を引っかけ、とりあえずは開かないことを確認。
 夕食はジャクサ沿いの屋台でミーゴレンとサテをつまんだ。ジャカルタの夜は今までとは比較にならぬ程に蒸し暑く、シャワーを浴びたにも関わらず汗をかく。「植民知的な」レストランでバリハイビールを飲んで、眠りについた。


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