早朝、霧の彼方に煙る朝日を車窓から見た。
列車がジョグジャカルタに着いた。プラットフォームから直接線路へ下り、駅すぐの安宿街、ソスロ地区へ向かった。細い路地のあちらこちらに、宿やレストランの看板が出ている。
相場を知るために、いくつかのぞいてみる。思ったほど安いわけではないが、とりあえず1軒の宿にチェックインした。ロビーの奥にはいくつものバティッの作品が飾られていた。
芸術の街、ジョグジャカルタ。王宮や博物館、あるいは音楽学校などいたる所で音楽や舞踊を観ることができる。とりあえず街を南北に貫くマリオボロ通り沿いのツーリストインフォメーションでパンフレットを数冊もらった。
王宮を訪ねるも、それ自体はどうでもよく、週に2度演じられるガムランとワヤンゴレッ(人形劇)がよかった。舞台は柱に支えられた屋根の下にある。建物と読んでいいのかどうか迷うところだが、その建物には壁がない。屋根のおかげで日差しは遮られ、風が抜けていく。ガムランに合わせ、人形が操られる。演じるのは一人の人間だ。セリフも彼が語る。
ガムランとは、インドネシアの伝統の音楽で、主に青銅製の打楽器を中心に編成されている。僕が聴いた範囲では、ジャワ島のものはのんびりしたペースで演奏され、逆にバリ島のものは高速で奏でられていた。
眠たげな音楽が気持ちよい。
王宮を出ると、ベチャが寄ってきた。「バティッを見に行かないか」
しかも値段は500ルピアだけでよいと言う。もちろん、僕がそのバティッの工房で買い物をしたら彼にいくらか支払われるからそれを見越した値段である。僕はそれほど買うつもりはなく、ただまあ見物してみるかという程度の気持ちでベチャに乗った。
ろうけつ染めの手法で、絵画のように額に入れられた布が店じゅうに飾られている。下書き、ロウを塗る、染色、湯でロウを溶かすという流れを見せてくれたところもある。それなりにいいなと思うものがいくつかあったものの、欲しいという気持ちにはいたらなかった。
数軒ぶらぶらとした後に、「もう、いいから」と500ルピア札を渡して戻ろうとすると、運転手は焦った。「待ってくれ、もう一軒どうだ。もちろんお金は後でいいんだ」
そりゃあそうであろう。彼としては僕がバティッを買うことを当て込んでいたにも関わらず、その狙いが外れたのだから。けれどもどこも柄が似たり寄ったりで僕としてはもう見飽きていたので、座席の上に札を置いて歩き出した。かなり熱心に彼は後を着いてきた。けれど僕は乗る前に「買っても買わなくても500でいいんだな」としっかり念を押していた。悪いことをしたわけではないが、2時間ほどを500ルピアで付き合わせてしまった。多少の罪悪感があった。
歩いて宿へ戻ろうとした。かなり遠くまで来た感じがあるが、実際に自分がどこにいるのか分からない。昼を過ぎていたので、目に付いた飯屋で頼んだアヤムゴレン(鶏肉ご飯)が意外にうまかった。店の女性に地図で場所を示してもらった。やはり、かなり南に来ていた。
熱い、汗が噴き出し呼吸が重い。それでも歩いた。しかし、結局は道に迷った。
王宮のすぐそばにある水の宮殿までベチャに乗った。しかしその涼しげな名前とは裏腹に、そこは単なるコンクリートの固まりだった。水のはられていないプールは寂しい。
再び歩いていると、鳥を多く扱っている市場に出た。食べるためではなく、観賞用の。ガスン市場。ざるに山盛りになっていた蛆虫にぎょっとした。
午後の一番暑い時間を僕は延々歩いた。先ほどのベチャ運転手への罪悪感も含めて、頭の中が混乱した。道行く全ての人に向かって「お前たちなんか、大嫌いだ」と叫びたい気持ちだった。
別に旅の時に限ったことはないが、ごく希にこんな精神状態に落ち込むことがある。そんな時の僕の解決策の一つに、家から外に出ないというものがある。人と会って口を開けばろくなことを言えないような気がするから、本でも読みながら一人閉じこもって嵐が去るのをじっと待つ。
この時、僕を救ってくれた本は山田詠美の「僕は勉強ができない」だった。ジャカルタの古本屋で買った一冊だった。何とかソスロにたどり着き、目に付いた店でビンタンを3本飲みながら読んだ。
夜、ソノブドヨ博物館にワヤンクリッ(影絵)を見に出かけた。