ラーマーヤナ

 まずラーマーヤナ舞踊のチケットの予約をした。今日行くつもりのプランバナンの屋外劇場で演じられる。値段は数千から3万5千ルピアまで。せっかくのことではあるし、これほどのお金をとるのならそれだけしっかりしたものだろうと考えて、その3万5千のVIP席を頼んだ。
 宿にいた日本人に声をかけられて、本を2冊ばかり交換した。しかし彼にもらったものはあまりおもしろくはなかった。椎名誠の「赤目評論」は下らないとしか言いようがなかった。せっかく手に入れたのだからと貧乏根性で読み切ったが、時間つぶし以外の何物にもならなかった。彼も「つまんないよ」と言ってはいたが。また、山本周五郎の「ちいさこべ」は僕の苦手な時代ものであったし、しかもそのテーマも文章もしっくりとはこなかった。
 路地に出たところでおばちゃんの引いていた屋台でバッソを食べた。魚肉だんごや油揚げののった汁そば。あっさりとして朝食にぴったりだった。相変わらず味の素が大量に入ってはいるが、気にならなくなってきた。
 BNI銀行(インドネシアで両替をするなら、ここに限る)でレートを見ると、1円が220ルピアまで上がってきている。ぱらぱらとめくったジャカルタポストによると、何でもシンガポールドルの下落の影響だとか。ここのところ、両替するたびに手に入るルピアの額が増えている。(帰国後知るが、バーツ下落に端を発したアジア通貨危機のただ中にいた)
 何キロか離れているが、徒歩でトゥルバン・コルッ・バスターミナルへ出る。道すがらそろそろフィルムを補充しておこうかと写真屋をのぞいたが、8000ルピアはする。こんなことなら、ブキティンギでまとめ買いをしておけばよかった。
 中高生であふれかえるミニバスに乗り込んで出発。乗りきれない人は手足だけ車内に引っかけて、うまい具合にしがみついている。床下からエンジンの熱がむわっと上がってくる。
 本を交換した人が「うーん、プランバナンか。一泊くらいですよ」と言っていた。僕は遺跡のある土地だから、居心地は悪くないのではと予想していたが、バスを下りた瞬間に彼の言葉が正しかったことを悟る。街との相性というのは以外に第一印象で決定づけられる。何も太い道路を車がびゅんびゅん流れているから落ちつけなさそうだと思ったのでもない。何というか、「乾いた」感じがするのだ。排気ガスを含んだ大気の中に、あるいは道端に舞う砂の中に。インドのジャイプルに着いた時にも確か似たような感情を得た。遺跡と舞踊を見物したら、早々に移動しようと決めた。
 とりあえず歩き方にあったドミのある宿へ。
 「ドミトリーはもうやっていないんですよ。儲けが少ないから」
 一番安い部屋で1万ルピア。「うーん」と迷っていたら「朝食もつけましょう」と言われた。
 いいや、一泊だけだ。効率よくいこう。
 あちらこちらに遺跡が点在しているので、自転車を借りて動く。「1日3千ルピア」と言われたが、もう午後だからということで2千にまけてもらった。まずは大通りを挟んだ向かいにあるプランバナン寺院へ。

プランバナン移籍
 その石塔は阿修羅の頭髪のように天に向いていた。しかしその周辺は崩れさった石がごろごろとしている。大したことのない美術館をのぞいて、東屋の下で「僕は勉強ができない」の続きを読む。よく整備された敷地は静かで、風が涼しい。そして本はそこそこおもしろい。
 遺跡めぐりのつもりだったが、「もう、いいや」という気になった。とりあえず同じ敷地内にあるセウという寺だけは見ておくことにした。
 先ほどより一回りほど小さいが、ここでも周囲には崩れた石が無造作に転がっていた。入り口には剽軽な顔をした大黒様のようにも見える石像が2体並んでいる。また塔へ上がる階段の両脇の手すりの部分は、竜のようなものが形取られていた。
 一段高い所で写真を撮ろうと石の上に足をかけようとしたら、ビーチサンダルの鼻緒が切れた。ブキッラワンで買ったものだから、よくもったと言うべきだろう。仕方なしに片足ははだしでアスファルトの上をそろりそろりと歩いて出口へ。
 立ち並ぶみやげ物やには、硬そうな皮のサンダルが並べられてはいたが、桁が違った。自転車置き場の係員の兄ちゃんに「ビーサン、どこで売ってる?」と聞くと、道を隔ててすぐの店を教えてくれた。
 ややきつめの新品のサンダルを履いて自転車をこいだ。観光はもういいから、ボコの丘から夕陽を眺めるつもりだった。
 ふもとの店に自転車を預けて階段を上る。妙に整備されていて、いやな予感がした。
 その予感は当たった。入場料が1050、カメラ持ち込みは500だった。けれど、その入り口と逆にも見晴らしのよさそうな部分がありそうだから、枯れ草を踏みつつそちらへ行った。
 曲線で区切られた青い水田とそれを囲むヤシの森。木立の向こうには先ほどの寺院群が小さく見える。風景がぼんやりと霞む遠方に、ひときわ目立つのが大きな山。向かって左側の稜線がなだらかにどこまでも伸びていた。辺りには人っ子一人おらず、大きな岩に腰掛けて線香花火の最期のような夕陽を見た。
 ちょっと早めの夕食に、兄妹(あるいは夫婦かもしれない)がやっている屋台でナシゴレンを食べた。ソース味で、鳥肉も入っていておいしかった。
 宿でマンディして、髭もそった。トゥットゥッで買った絞り染めの青い長袖シャツと、カオサンで買ったこれまた青い長ズボンというこの旅で一番まともな出で立ちに身を包む。宿でビンタンを一本飲んでから、ベチャを拾って優雅に会場に乗り付けた。せっかくいい席のチケットを手に入れたのだから、それなりに自分の気持ちを高めたかったのだ。
 駐車場には立派な大型バスがずらりと並んでいた。ジョグジャ辺りからのツアーも多いようだ。
 ちゃんとカメラの持ち込み料も支払った。黙っていても、と思わないでもなかったが、そうはしない。入り口でもぎりの係が、「どうぞ、お楽しみ下さい」と言ってきた。
 ちょっとした食べ物やの前では着飾った数人がガムランを奏でていた。
 客席への入り口ではスーツ姿の人が案内してくれた。このVIP席だけが木の椅子の上にクッションまで置かれている。
 英語とインドネシア語で簡単な説明がなされた後、始まった。
 頭上には半月より少しふくよかな月と、いくつもの星。舞台の後方にはプランバナン寺院の3つの石塔がライトアップされた中に黒々と浮かび上がっている。野球場のようなライトに羽虫が群がり、コウモリが黒い影となってひゅうっと飛ぶ。
 何十人もの人によって奏でられるガムランに合わせて、舞台の上を、シータが、女官たちが、ラーマが、金色の鹿が、所狭しと踊る。すり足で動き、指の一本一本が滑らかに踊る。これが人の動きだろうかというほどの雅やかな仕草だ。ライティングはコンピュータで制御されているらしい。
 筋立ては、古代インドの叙事詩「ラーマーヤナ」をアレンジしたもので、ラーマとシータの恋物語である。ちなみに「天空の城ラピュタ」のシータの名前はここに由来する。
 囚われのシータの様子を伺うため魔王ラーバナの城内に忍び込んだ猿王ハヌマーンがその城に火を放つ場面では、実際に舞台上に盛大な火が放たれた。圧巻であった。
 もちろん言葉は分からない。ただその雰囲気と、入り口で配られたパンフレットとを付き合わせて「あ、今はこんなシーンだな」と知るばかりである。けれども、十分に楽しめる。僕は興奮していた。
 すごいものを見た、というのが感想だ。以降あちらこちらでインドネシア舞踊を見物する機会があったが、群を抜いてこれが素晴らしかった。遺跡はともかくとしても、観劇のためだけにここを訪れたとしても文句はない。
 最後に「舞台に上がって記念撮影をどうぞ」とアナウンスされたので、僕は臆面もなくカメラを持って上がった。別に主役のラーマと写真を撮ろうと言うのではない。もちろん、女官の皆様とだ。しかし見ていると、人がカメラを構えている前を堂々と横切ったり「ああら、私と一緒に撮ってよ」と割り込んだりと、おばさん連中が一番厚かましかった。
ラーマーヤナの演者と


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