独立の日

 今日8月17日は、インドネシア独立の日。もちろん、日本からの。
 宿の近くの店で、ナシゴレンと温かいお茶で朝ごはん。店の前を制服姿の少年少女が通り過ぎてゆく。
 「生のトウガラシ、いれる?」とインドネシア語で聞かれた。こういうことはたまにある。外国人だから、気を利かせてもらっているのだろう。言葉は分からないけれど、手にトウガラシを持っているから、まず間違いはない。もちろん断るはずがない。この類のちょっと困ってしまう質問はもう一つある。「英語、分かる?」というものも、これは日本人ゆえに、たまに聞かれる。
 ジョグジャまでバスで1500ルピア。途中から乗ってきて、隣に座ったおばさんは泥臭いビニール袋をいくつか持っていた。半分は水が入って魚が泳ぎ、半分は空気でパンパンにふくらんでいた。どうも、そいつが漏れていたようで、ザックの底が少々濡れた。
 ジョグジャのターミナルから市バスでホテルガルーダまで出る。前方のテレビでは懐かしき「忍者ハットリくん」が流れていた。インドネシアでは何度か目にした。
 すぐ近くに3500でビールが飲める店がある、という大きな理由によって前回と同じ宿にした。
 銀細工の町、コタグデへ土産を買いに出かけようと、宿のおばあさんに「マリオボロ通りから4番のバス」と教えてもらう。
 寝袋も持つわけでもないし、着替えや洗面道具程度ならばそれほど大きなバックパックは必要でもない。行きはいつでもザックに半分くらいしか荷物がない。それだけの余裕を持たせるのは、あれやこれやと買い込んだものを入れるためだ。自分が気に入ったものを自分のために買うことが多いのだけど、それでも世話になっている人にはちょっとした土産を買って帰ることにしている。
 今回はここジョグジャでほとんどそろえてしまうつもりにしていた。できれば一番最後に寄る土地で買えればいいのだが、いかんせんそれがバリ島なので、物価の高いことは容易に想像がつく。ジョグジャは芸術の街と呼ばれるだけあって、選択肢には不自由しないし、それに何より物価がそれほど高いわけではない。
 しかし買い出しに出かける前に、まずは両替。今朝、ボロブドゥールロスメンのロビーにあったジャカルタポストをちらっと見たら「インドネシア中央銀行が介入して、ルピー市場回復」とあった。こんなことなら、暴落している時にせめて2万円くらい換えておけばよかった。(しかし、実際のところ通貨危機はこんなものではおさまらなかったのだが)
 しかし、肝心のBNI銀行は休みだった。独立記念日だからだろうか。

老兵
 マリオボロ通り沿いにある大統領官邸に軍人が集まってセレモニーが行われていた。人垣をくぐって近寄ると、ちょうど目の前には軍服をまとった老人の一群があった。退役兵、おそらく独立当時に軍人であった人々、であろう。中には、ずいぶんとケバのたったしわくちゃのベレー帽をかぶっている人もいた。
 現役の軍人はさすがにぴっとしているが、老人たちはぺちゃくちゃとしゃべったり、芝生の上に座り込んだりとかなりのんきにやっている。そのおしゃべりは、見物人の側にも飛び火して、何度か周りで笑いがおこる。
 号令がかけられた。その声は、体育教師のそれと同じような、あまりの声の大きさと鋭さに一瞬はドキリとさせられものの、次の瞬間には失笑が呼び起こされるような、そんな叫び声だった。その声に合わせ、捧げ銃や敬礼が行われた。
 この国の新聞はどのような論調で独立の日を報道しているのか、僕は日本人として興味を抱いた。あちこちで英字新聞を探したのだが、残念なことに手に入れ損ねた。
 昼食にしてからコタグデへ行くか、と思っていた矢先「ES DORIAN」という文字が目に入った。ドリアンかき氷だ。安くはないが、物珍しさから、ご飯の代わりにこいつを注文する。
 氷の上にドリアンの塊をいくつかのせて、練乳とシロップがかかっている。ドリアンを好きでも嫌いでもない僕にとっては、熱狂的にうまいでもなく、また吐き出すほど口に合わないわけでもなかった。
 さて、車掌に「ここだ」と言われた場所でバスを下りた。地図がないので、どの辺りに銀細工の店や工房があるのかはっきりしないが、とりあえずは心の赴くままに歩いてみる。
 すぐに目に付いた一軒へ入ると、ミネラルウォーターを一杯ちょうだいした。ショーケースの中には、ものすごく色々なものがある。僕はアクセサリーについては詳しいどころか、全くの無知だ。だからこの店ではどういうものがあるのかを知るためにいくつか見せてもらったり、また質問をしてみたりした。
 多少の知識と大体の値段を頭に入れて、再び適当に歩く。すると、客を乗せて走っているベチャが「銀なら、こっちだよ」と道を教えてくれた。
 カーンと晴れた静かに暑いコタグデ。よい所だな。
 竹の編み笠をかぶった陽気なベチャの兄ちゃんに出会った。「1000であちこちの店を案内するよ」
 「500ではどうだ」「OK」
 いくら何も知らなくても、集中的に何軒も見て回ると、相場とかデザインの善し悪しなんかが分かってくる。同じデザインでも、例えば指輪なら継ぎ目の所がきれいに溶接されているか、いないかなんかがポイントになる。あるいは、ちょっとした飾りに小さなハート型が付いているものがあるのだが、これも単に銀の板をハートに切り取っただけのものから、2枚を張り合わせて立体にしているものまで。
 一軒、重厚なつくりの店の工房で細工の過程を説明してもらった。「日曜なので、職人はいないのですが」と、案内してくれた美人の店員が器具の使い方や、磨く時に使う木の実などについて、手にとっては説明をしてくれた。
 この店は店員もきびきびとしていて、とてもよく気が付く。それでいておしつけがましさはない。英語も滑らか。そして、商品の値段も高い。いい店、という感じだった。僕が気に入るデザインのものがなかったのが残念だ。
 逆にどうしようもない店では、「アンクレット見せてよ」と言ったところ、ショーケースから絡まったものを取り出して、目の前でほどき始めた所もあった。
 僕はシンプルなものが好みなのだが、意外に少ない。単純であるということがすなわち、ちゃちなものということになってしまっている。そして豪華な物はおしなべて派手である。
 結局いくつかに決めた。大学で、出席やノートを非常に世話になっている人や、妹などへのおみやげである。
 もう一人、僕はアンクレットを贈ることを決めていた人がいる。山田詠美の小説には何度か登場するそれらは、糸のように細い金でできていたはずだ。そして、普段はブーツに隠れているのだが……。
 まあ、そういうことだ。(しかし事実は小説のようにはいかないのが常である)
 全部で7万7千ルピアと、電卓が示した。交渉すると徐々にではあるが下がってきて、最終的には6万という線が見えた。相手の手の内が見えるとやりやすい。もちろん、それでも悪くないのだが、もうちょっと下げてみたくなる。
 「5万8千にはならないかな」「あと2千いただけませんか。ちょっとした差でしょう」
 「あはは、それはこっちとしても同じことが言えるよね」
 なんて、やりあっている内に「分かりました5万9千」
 快諾である。いい買い物をした。ベチャの運転手君もうれしそうである。
 ジョグジャに戻ると、とあるゲストハウスの前で映画の撮影が行われていた。アジア映画祭とやらで章をとった国民的大女優とやらがその宿に入るシーン。僕にはただのおばさんにしか見えなかったのだが、そういう役なのだろう。そばにいたスタッフの一人が、「単純に見えるだろうけど、いい演技だ」と。彼が「日本人も一人いるんだよ」と話してくれた。
 何度も同じところを撮りなおしていて、僕は見物にも飽きてきたので、いつもの店でビールを2本飲んでフライドポテトをつまんだ。
 少々時間をつぶして再び撮影現場へ行くと、作業はまだ続いていた。例の日本人を撮影の輪の中に見つけ、話しかけたところ、快く応じてくれた。
 彼女は日本人とインドネシア人のハーフで通訳をやっているのだそうだ。それがたまたま映画に日本人役が必要となって、役者でもなんでもないのだが、お声がかかったのだそうだ。
 物乞い役の子どもが辺りをちょろちょととしていた。彼はそれっぽい格好はしているのだが、あくまでつるりとした足の裏がリアリティーに欠けていた。普段は裸足で歩くことなどないのだろう。そばにホンモノの物乞いがいたが、その子は適当に道端に腰掛けたりしているが、役者はそんなことはしない。しかも彼はミネラルウォーターをどぼどぼと溝に捨てたりしていた。
 照明の近くにいる人が、一般のベチャや観光客が通る度に「早く通れ」「こっちを見るな」と言わんばかりに手で追い払う。カメラという物は、それほどまでに強いのだろうか。これはある種の暴力かもしれない。
 マリオボロ通りは夜の7、8時頃がいい。ランプの光のもと、バティッや革製品などを見て歩くだけでも楽しい。道の両側にひしめく屋台では観光客用のものに限らず、安いシャツや日曜雑貨などが売られている。
 店の中には、体重計を一つ置いているだけのものもある。僕はここのところ、鏡を見る度に頬が丸くなってしまった気がしていたので、100ルピアを支払って乗ってみた。あれ、別に変わってないな。
 このジョグジャの街の第一印象は別段いいものでもなかったけれど、ちょっと買い物をしようという気があれば、物が豊富で心が浮き立つ。
 しかしそれにしても今日は、街のあちこちでマーチのような曲がかかっていた。スーパーの中でもそうだった。あれは軍歌なのか、あるいは国家なのかそれとも全く別の何かなのだろうか。
 そして翌日のマリオボロ通りは、独立記念パレードで賑わっていた。靴音が高く響く。退役軍人、現役の兵士、それに軍服にも似た制服を身にまとった少年少女まで。しかし必ずしも堅苦しさだけではない。見物人との間で、上段が交わされ笑いが怒ることもあった。しかしそれは主に老兵との間だけで、少年少女の一群はぴりぴりした緊張感がこちらにも伝わり、ある種滑稽さにも似たものを感じた。そして、商店街の上空を戦闘機が何度も行き交っていた。
パレードの少女たち
 軍人に続いては、ホテルとか飛行機会社、あるいは農業関連などの団体の列が進む。この国の向かっている方向は殖産興業であり、富国強兵であるのだと思った。
 日本からの独立を祝うパレード。しかし目に入るバイクはヤマハ、車はトヨタのハイエースや日産のコレット、それらを追いかけるテレビカメラはパナソニックのSVHS。


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