プランバナンエクスプレスに乗って、ソロへやってきた。
駅前にいたベチャに声をかけられて、中心部に程近いボロブドゥールホームステイという宿へ。辺りは住宅街なので静かだった。朝食付きで8000というところを6000で話しがまとまった。
とにかく歩いてみようということで、宿の位置を地図上に記してもらい、まずは1キロほどの所にあるトリウィンドゥ市場へ。
ここは骨董品を扱う市で、規模はさほどではないものの、妙な品が多くずいぶんと楽しめた。
仏像の首、アラルンという天井から吊す木魚のようなもの(ただし、人の顔の形をしている)。シュールな顔の猫が二本足で立ち、両手で皿を持っている青銅の像。これは何だか宮沢賢治的だ。あるいはカエルの燭台。
目の飛び出した仮面、古銭、酒瓶、実物より一回りほど小さな青銅のアヒル。背筋を伸ばしてくわっと目を見開いたフクロウ。振り子時計、黒電話、木炭アイロン、チャッ(バティッの押し型)。歯車やシリンダーなどの機械部品。
際限がないほどに物が積み上げられ、特有の匂いを放っている。
次いで、クレウェル市場へ。ここにはバティッ屋がひしめいて、さながら色の迷宮である。しかし、ここでよく目にしたのは、茶色を貴重とした落ちついた感じのバティッだった。ジョグジャの明るい色彩とは趣を異にしている。
ただ闇雲に右へ左へと歩く。合間に竹のかごにおかしや、アヤムゴレンなどを売る老女がいた。そして、通路には物乞いの姿も。
駅から宿までベチャに乗っているときにから感じていたが、ここは居心地のよい街だ。心がすうっと穏やかになれる。
市の中心をほぼ東西に貫くスラマッリヤディ通りを2、3キロ歩いたが残念ながらツーリストインフォメーションは見つからなかった。
どうしようかと少し考え、郊外にあるスクーへ行ってみることにした。まだ3時前ではあるが、往復で3時間以上かかるらしいということで微妙に不安もなくはなかった。しかし、とにかく他にすることもないので、バスに乗った。一度、パルールというところでバスを乗り換え、そこからカランパンダンへ。辺りはあっと間に農村の風景が展開する。そこからまたミニバスに。
「ここからまっすぐ」と下ろされた。坂道を上っていくと、バイクに乗った兄ちゃんが「乗らないか」と声をかける。「寺院は5時で閉まるから急がなきゃ」とは言ってくるが料金が1万。これだったらカランパンダンでも同じ値段を言われていたので、少々悔しくて歩き続けることにした。
時刻は4時40分。徒歩でも20分ほどらしいのでぎりぎり間に合うだろうと、せっせと自分の影を追うようにして坂を上り続ける。
息が切れ、あごの先から汗がしたたり落ちる。それでもとりあえずはたどり着こうと足を進める。途中で3人ほどに「スクーってこの道?」と確認をとりながら。
しかし5時直前に着いたにも関わらず、門は閉じられていた。近くの売店の人に聞いても「もう終わりだよ」
仕方ない、ぐるっと周りから眺めるだけでよしとするか、と思っていたら、最後の点検でもしていたのか二人の係員が中から出てきた。
これ幸いとばかりに見学させてくれるように頼み込んでみる。
「4時までなんだよ、入場できるのは」と、彼が示した看板には確かにその通り書かれていた。
「そこを何とか。10分でも構わないから」とできるだけ丁寧にお願いをしてみる、あるいはごねてみる。
少々のやり取りをした末に「分かった」と再び門を開いてくれた。10分、と言った手前、1秒でも遅れるわけにはいかないから、ざっと見て回った。
階段状のピラミッドだ。今まで見てきたインドネシアの寺院とはかなり雰囲気が異なる。ヒンドゥーのものらしく、ガルーダの石造などがあった。
女性器と男性器の交合のレリーフや、性器を握りしめる首のない石造像などもある。
係員は嫌そうな顔の割に、尋ねなくとも向こうからあれこれと説明をしてくれた。
入場料が1000だと言われたのだが細かいのがなく、おつりもないと言われ、手元にあった600しか払えなかった。後から気付いたのだが、売店でくずしてきっちりと払えばよかった。いや、そうするべきだったのだ。
麓でミニバスを待っていたら、一人の男が話しかけてきた。
「日本の新聞だと、何がよいのだろうか。ヨミウリか、アサヒか」
疲れていた僕は曖昧に「どれも似たようなもんだよ」と答えたが、僕が農学部だと言うとさらに日本農業についての質問をされた。そんなもの、知っているわけがない。自慢じゃないが、大学で何も勉強していないのだから。僕は「インドネシアは三期作だけど、日本では年に1回しか収穫できない所がほとんどなんだ」というくらいしか言えなかった。
バスが着いたのは、どうも宿からかなり離れたターミナルだったようだ。暗い中、地図を片手に歩いて結果としては迷わず戻れたのだが、はじめての土地の夜は道が良く分かっていないから少々怖かった。もう少し慎重になった方がよいのかもしれない。
ようやくたどり着いた宿のそばの大通りに出ていた屋台で簡単にナシゴレンで夕食をとった。
屋台には、野菜がカゴにわんさと盛られていて、葱は何本も上からぶら下がっている。卵とトマトが積まれたカゴもある。
ゴウゴウと音をたてるガスバーナーに中華鍋をかけ、フライ返しで底に残っているものをカッカッとはじき飛ばす。たっぷりの油をひいて、つかんだ卵を屋台の梁の角で割って、殻は足下のゴミ箱へ放り込む。そこにはすでに何十個もの卵の殻が。卵を炒めて、トウガラシから作った調味料を入れ、この時点で余分の油を戻す。いったん、火から外した鍋の中で卵をかきまぜる。
野菜をまぜ、注文をとったり野菜を刻んだりちょこまかと働く息子(おそらく)が用意したご飯を入れる。
彼が、怖いけれど格好いい表情で料理を次から次へと仕上げる間、僕は彼の動作と、机の上の青トウガラシを順に眺めていた。
この親父の店はとてもはやっているようで、席について食べる人はもとより、持ち帰りの人も常に順番待ちであった。