気の緩み

 洗濯の後にロビーへ出ると、宿の主人曰く「昨日は、3時半くらいに着いたよ」
 壁の時計によると、すでに昼前だった。
 スコータイでは、遺跡さえ見てしまえばそれほど長くいるつもりではなかった。これからチェンマイへ上がり、時間的に余裕があればチェンラーイやメーサーイくらいまで足を伸ばし、あわよくばミャンマーへの24時間限定入国もやってみたかった。5ドルを支払えば、特別な手続きも不要でそのまま国境を超えられるらしい。
 昨日、正確には今日の早朝にバンコクからのバスが停まった場所へ出向いてみる。警察署やバスターミナルなどを示す英語の案内板があって便利にできている。
 135バーツで、一時間に一本ほどの割合であった。
 遺跡公園はムアンカウ(旧市街)にあり、10キロ少々離れている。ソンテウ(小型トラックの荷台の左右の端に、向かい合うように座席を取り付けてある乗合バス)乗り場を探しながら、賑やかな方へと歩いていく。市街地はさほど広くなく、拍子抜けするほどすぐに中心部へ出た。
 川が近いためだろうか、市場には魚が多い。頭のへしゃげた鯉、あるいは体長が50センチはあろうかというナマズのような魚。
 何トカ歴史公園行きバス乗り場、という看板を市場の横に発見した。その何とかの固有名詞をさして気に留めるでもなく、バスを待っていた。運転手に「スコータイ遺跡公園」の文字を見せたり、「ムアンカウへ行くのか?」と尋ねてみたりしたところ、彼はうなずいていた。
 手持ちの地図と走り出した方向がは、どう考えても逆ではないかと思いつつ、「歩き方」を見てみると、50数キロ離れた所に「シーサッチャナーライ遺跡公園」というものがあることを知った。どうやらそちらへ向かうバスのようだ。まあ、それでも良いかと思う。
 春のような風が流れていくのを感じつつ、バスはぼへぼへとのんびり進む。途中、乗り換えるように言われる。
 「ここだ」と言われて下りるも、小さな街の通りといった風で、どこにも遺跡があるようには見えない。  都合よくやってきたモトサイと話しをする。
 「ここから、16キロある」と言われる。
 ああ、またやってしまった。どうにかなるだろう、ではどうにもならないことだってあるのだ。
 「70バーツでどうだろう」「50で行くよ」と言い値は下がってくる。「40でどうかな?」と試してみるとオッケーだった。しかし、このホントに観光客とは縁のなさそうな場所で、わずかながらでもタイ語を知っていたことは大いに役立った。
 バイクの後ろに乗ると、緑を基調とした柔らかな風景がぐんぐん後ろへ過ぎ去って行く。
 しかし、ナムトクへのバスと言い、バンコクの北バスターミナルと言い、二度ならず三度までも同じ種類の過ちをくり返してしまったのはあまりに愚かだ。そして、それを愚かだと認識するのであれば、改善への努力を払うべきだ。が、僕はそんなに厳密な人間でもない、何事につけ。努力目標ということで、心の片隅にとどめておくことにしよう。
 シーサッチャナーライ遺跡は、きっちりと整備された公園になっていた。全体的に砂の色が辺りを支配していた。鳥が鳴き、木に赤い花が咲いている。背丈ほどの壁に囲まれた街の跡や、外壁が崩れさった中に座る一体の仏像。人はとても少なかった。
 遺跡を出て大通りと思われる方向へ出ようと一人歩いていたら、どう見ても普通のおばちゃんが「バイクに乗っていかないかい」と身振りで誘ってくれた。僕は歩きたかったからにっこりと断ったが、とてもうれしいできごとだった。あるいはモトサイだったのかもしれないが。
 暑いからだろう、日陰になるように四阿のようになっているバス停に着き、うちわでぱたぱたやっていた。すると、通りかかったバイクがクラクションを鳴らす。なんだろうと思ったら、バスが向こうから来ていることをわざわざ教えてくれたのだった。慌てて通りに出て、手を斜め下方に伸ばす。
 バスはちょうど下校中の中学生がワンサと乗り込んできて、蜂の巣をつついたどころの騒ぎではなかった。
 予期せぬ遠出から市内に戻ったが、まだ十分に明るいので今度こそスコータイ遺跡に行くことにする。
 ソンテウにはまた多くの人が、40人ほどもいるだろうか、乗っていた。荷台はまさにすし詰めだが、お坊さん二人は二人掛けの助手席に悠々と乗っている。
 夕方の5時を過ぎると、入場料は徴収されないらしい。入り口には係員らしき人がいたのでドキドキしながらもさりげなさを装って入場したが、やはり声をかけられることもなかった。

遺跡に沈む夕陽
 ワットマハタートでは、タイの僧がよく身にまとっているのと同じ色の帯をたすきがけにした仏像が鎮座し、その奥の森に夕陽がずんずんと沈んでいった。 昼間には惚けた感じに見えた空も、淡い桃色の夕かすみは悪くない。
 700年ほど昔には、ここに人がいたのかと想像してみようとするが、うまくいかない。遺跡、としてしか目に映らない。
 すでに観光客の姿は見えないが、池のほとりの芝生には地元の若者が幾組かいた。カップルであったり、あるいは小型トラックの荷台に乗ってやってきたグループだったり。
 入り口付近で、市内へ戻るためのソンテウを待つもやってくる気配がない。歩くには少々無理がある距離だから、まあどうしてもならサムローに乗って帰ろうと思う。とりあえず歩き出してみると、後ろからバスがクラクションを鳴らして「乗る?」というようなことを聞いてきた。「スコータイ?」と尋ねると思わぬ返答。「方向が逆だよ」
 門を出て道は二方向しかないのに間違えていた。このバスの車掌がたまたま声をかけてくれなかったら、というのはあまりぞっとしない想像だった。
 このまま夜が更けてゆくとまずいことになるなとは思うのだが、辺りには屋台が並び煙が立ったり明るく電灯を灯していたりするので、危機感というほどでもない。感性で「いいや、なんとかなるだろう」と思っていても、ソンテウはやってこないし、夜は更けていくしという状況なのだからまっとうに考えたらあまりよくもない。そこを理性で制御しなくちゃならないのだと思う。
 ソンテウを一台発見。普段なら5バーツのところが、背に腹は代えられず、交渉をして10バーツという値で納得する。どうやらもう今日の仕事を終えたところらしく、僕以外に客は誰も乗せないまま市街地へ走った。
 弁証法ではないが、この4回目の旅は正反合の次にあるように思えてならない。僕には昔からそういう傾向がある。最初に目一杯のめりこみ、その内に反省が生まれる。次いでうまくやるやり方を体得する。ところがそれにとどまらず、慣れてくると調子に乗って失敗をしてしまう。最初の東南アジアの旅では全く無我夢中だった。インド、ネパールの時には、多少の余裕と反省が生まれた。次いでインドネシアまで南下した時には、それまでを踏まえて割にうまい具合にやっていたと思う。しかし今回はちょっとミスが多すぎる。しかもどれも気の緩みからきているものだ。今はまだ大したことにはなっていないものの、仮に命にも関わるような重大な事件が起こったとして、その時に「あ、あそこでちょっと注意しておけばよかったのに」という反省をしても手遅れという可能性だってあるのだ。
 経験を積み、慣れてきたのはいいことだと思う。けれども、それですませてしまうわけにはいかない。米でできたウィスキーの酔いの中で、ベッドの上の自分を戒めた。


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