北上

 スコータイ遺跡を見に行こうとゲストハウスを出て歩き出さした。大通りに出る前に、3人の女性が忙しく給仕している食堂の、湯気を立てているごはんに思わず引き込まれた。いや、より正確さを求めるのなら、彼女たちとご飯の湯気の両方に、と言うべきか。良く使い込まれたエプロンが特によかった。もちろん、熱々のぶっかけご飯もおいしかった。
 今日こそは、しっかりとスコータイ遺跡に向かうソンテウに乗り込む。予めそう決めていたわけでもないのだが、店のおばさんに声をかけられて自転車を借りてみた。客引き、というのも善し悪しだと思う。もちろん、僕にとって。向こうから声をかけられて苛立つこともあるが、このように「それもよいかな」と思って話しにのることもある。人間対人間で、一方は商売のためという主目的があり、方やこちらはあまり素直ではない性格の持ち主だから、いろいろな反応があって当然と言えば当然であろう。
 自転車で走り回るには少々暑い。それでも、ペダルを踏み、城壁の外側にある遺跡も訪ねる。周辺はよく整備されている。
 見晴らしのよいワットサパーンヒンという寺が西側にあるのだが、ここへの道は砂が多すぎてハンドルがとられるので断念。畑の中には、ぽつぽつと茶色いレンガを積まれた寺院跡が遺る。行き当たりばったりの先に大きな池に出くわした。どこまで行こうと決めていたわけではないので、この池を終点とし、しばし風に吹かれてから、元来た道を引き返した。
 遺跡公園の目の前の市場で、もち米と干し肉をかじる。道沿いの店先に売られているほうきが気にかかる。ゲストハウスなどでもよく使われているものだ。日本のそれよりも柔らかな植物が束ねられている。柄は竹で、束ねている部分は竹の皮だろうか。どことなく南洋的なデザインに興味を引かれる。ずっと以前からほしいなと思っていた。何度か見かけていたのだが、それはいつも旅の途上であったため、買わずにいた。まあ帰る間際にバンコクで買えるだろうという期待は残念ながらその度にかなわなかった。今回もしかし、煩悶するも、またどこかであるだろうし、何より荷物になるのだからとこの場は諦めた。
 部屋はチェックアウトして荷物を預けていたのだが、シャワーを使わせてくれた。フラフラをはたく。昼間にさっぱりと汗を落とせるのは贅沢な感がする。
 「ピサヌローク行きのバス停へ」と伝えてサムローに乗り込む。残念ながら、地名は僕が発音するよりも、タイ文字標記を見せた方が通じる。バスはとりあえずエアコンはかかっているものの、座席はかなり窮屈だ。わずかな時間の移動だからそれほど気にならないが、これで一晩は過ごしたくない。
 ピサヌロークのバスターミナルに到着した。まずはターミナルの中にある店でクィティオをすする。さて、駅まで出ようかと思ったら、雨がぱらつき始めた。誰もが屋根の下へ走っていく。客待ちをしていたモトサイの運転手たちは、バイクを引いて濡れない場所へ移る。
 僕がピサヌロークへ立ち寄ったのは、まずは鉄道に乗るためである。チェンマイへの夜行を使うつもりだった。単にチェンマイへの移動を考えるのであれば、スコータイからのバスもあった。あえてここを経由したのは、「空飛ぶ野菜炒め」を見物してみたかったからだ。「歩き方」に紹介されていたそれは、フライパンから放り投げられた野菜炒めが10メートルほど先で待つ男の持つ皿で受けとめられるここの名物だという。
 バスに乗り込み、まずは切符を手に入れるために駅へと向かう。途中で「パキスタンモスク」なる標識を見かける。タイも南部へと向かうとムスリムが多いと言うが、この中部の街にも信者がいるのだろう。
 予定通り夜行の切符を確保すると、そのまま駅に荷物を預ける。そこで働いていた兄ちゃんは、長髪にサングラスで、バンドでもやっていそうな趣である。
 市が立つにはまだまだ日は高いので、ワットヤイというタイで最も美しい仏像のある寺を目指す。地図に縮尺が記されていないので、駅からの距離が分からず、まあいかとトゥクトゥクを探すことにした。ご老人の運転手と、十代にも見える女性の誘いがあったのだが、迷うことなく女性の方に決めた。あらら、トゥクトゥクの運転席には、(おそらく)彼女の夫と赤ん坊が乗っていた。

チナラート仏
 どこが美しいのか僕にははっきりしないが、チナラート仏を見物。本堂の周囲をぶらぶらしていたら、礼拝用の蓮やおみくじを売っていた女子高生らしき数人が追いかけてきて、「名前は?」と訊いていった。なかなか僕ももてるものである。
 境内には市が立っていた。ここでもほうきに出くわした。一度目は先と同じ理由でそのまま通り過ぎたのだが、ぐるっと回ってもう一度同じ店の前に出てきたときにはやはりたまらずに「これいくら?」と声をかけていた。結局20バーツで一本購入。歩いて戻った駅で先ほどのお兄ちゃんに断って、棚にあるバックパックのストラップに柄の部分を結びつけた。
 ナーン川の対岸に日が沈むまではあと少々の時間があった。日没を川沿いで待ちながら、「カンタベリー物語」の最後の話しを読みながら、シンハを飲む。
 日が暮れた。食べ物屋の前に並んだ野菜や肉や魚介類がランプに照らされ、勢いよく火の中で調理されている。シャツや時計などの雑貨を売る屋台で足を止める人もいる。
空飛ぶ野菜炒め
 お目当てのものは、すぐに見つかった。「空飛ぶ野菜炒め」とご丁寧に日本語の看板も掲げられている。しかし、そこで食べている人がいない。何とはなしに、声をかけてきた店にする。いくら珍しくとも、客が誰一人いない屋台ではちょっと食指が動かない
 カエルの唐揚げ、空芯菜の炒め物(大好物だ)、それにご飯とシンハの大瓶。辛味はあまりなく、どちらかというと中華に近い味付けだった。
 見ていると店のオヤジは次から次へと料理をこなしていく。料理を皿に盛り、鍋を洗うと休む間もなく次の材料が威勢のいい音と共に放り込まれる。3人ほどの若い男性と、これまた十代にしか見えない身重の女性が注文をとり、できあがった皿を運んでゆく。別の女性は材料の下ごしらえをする。40センチほどのナマズを四角い包丁でぶった切る。切れ味が悪いらしく、何度も打ち下ろしている。
 至極真っ当な食事に満足し、駅で列車を待つ。フォム君という僕と同じくらいの人が話しかけてきた。彼の友人(軍人)がチェンマイへ行くので、その見送りだと言う。ザックからメコンの瓶を取り出し「飲む?」と二人に尋ねたら、「持ってるんだ」と。しかし列車の中で座席の確保を優先するあまり見失ってしまった。
 二人掛けと三人掛けのいわゆるお見合席が通路を挟んでいる。広い方の席を確保した者が勝ちである。もちろんここが始発ではないので、既にほとんどの座席は埋まっている。僕は横になれるだけの場所を確保できず、進行方向と逆に向いた席に着いた。バックパックを足元に放り込み、万一のためにチェーンをかける。目の前の席にはごつい上着を羽織った軍人がいた。
 狭いなりに姿勢をあれこれと変えて楽になろうとするが、うまくいかない。先に席にいた隣のおばさんと陣地を取り合いながらなんとか眠ろうと努力する。
 ところが、気温が徐々に下がっていく。スコータイでは夜でもTシャツで寝ていたのだが、半袖に短パンでは耐えきれないほどに寒い。気付いたら列車の窓も、車両間のドアもきっちりと閉まっていた。仕方なく、えいとばかりに起きて、バックパックの中から長ズボンと長袖シャツを取り出して、トイレで着替えた。
 あまりしっかりと眠れぬまま、早朝5時半にチェンマイ駅に到着。アナウンスでは英語で「チェンマイへようこそ」とやっている。
 こんな時間でもインフォメーションはきっちりと開いていた。ありがたく利用する。「ゲストハウスを探してるんだけど」「いくらくらいの?」「100バーツ以下で」
 「その手のは、ムーンムアン通り沿いにいっぱいあるよ」と教えられ、サムローでの大体の値段を訊いた上で駅舎を出ようとした。
 しかし始めての街で真っ暗な中、宿を探すのもなかなか骨だなと思っていたら、うまくしたものでゲストハウスのビラを持ったサムローがいた。その説明が日本語だったからではなく、80バーツでお湯シャワーつきだったから決めた。
 スコータイに到着したのは午前3時で「こんな遅くに申し訳ない」だったけど、今日出迎えてくれた宿の人への言葉は「こんな早朝に」だった。快く迎えてもらえたのだが、彼女は寝ぼけ眼ながらトレッキングをさかんに勧め、以前に参加した人々が感想を書いた日本語のノートを「見て、見て」と押しつけてくる。
 「とても楽しいです」「行くべきだ」「すごくよかった」等々、その文面でさかんに「よかったからあなたもどうぞ」と勧めているらしいのだが、説得力が見事なまでに欠如していた。こういったことはよくあることで、もっとひどいのになると、ガイドや宿の主人を指して「とても良い人です」などとやっているものだってある。大体、良い人のことをわざわざ「良い人」と書く辺り、基本的なことが欠けていると思う。人を一人説得するということでもなかなか難しいものだ。


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