日常の中の聖域

 真っ暗なチェンマイに到着してすぐ、サムローに連れてきてもらった宿はチェンマイ門すぐにあった。ここは、かつての城壁都市としての名残を色濃くとどめており、周囲5、600メートルを壕と煉瓦づくりの壁に囲まれている。もっとも、後者の方は、崩れてしまい跡形もとどめていない部分も多い。だが、中には、崩壊が現在進行形のように見えるほど、あるいは知らなければ単に煉瓦を何かの都合で積んであるのだろうとしか思えないほどに無造作に遺されている部分もある。あるいは、2階建ての民家と商店に挟まれるようにしてどんとそびえている、おそらくはかつての城壁の一部というのも見られる。壁の一部が祠になっている部分では、毎日お香が煙りを上げていた。いずれにせよ、この街にとっては、外的の侵入を防ぐという目的が消失した今でも、壁に囲まれているのはごく自然に見える。

チェンマイ門
 宿の人から「花祭りをやってるよ」と聞かされていたが、一歩外に出るといきなり人だかりに出くわした。どうやら目の前の通りをパレードしているようだ。人垣の向こうに、僕はおもしろいものを見た。なるほど、これは花祭りだ、トゥクトゥクが色とりどりの花を満載してゆっくりと走っている。後部座席には観光客と思しき人々が乗っているものもあった。そして、もっとも目を引いたのは、それらのトゥクトゥクには屋根がなかったということだ。
花祭りのトゥクトゥク
 城壁の内部、旧市街と呼ばれる地域の南西の角にある公園でも植木の市が開かれているということだったので、屋台が立ち並ぶ中を歩いていった。しかし、こちらはまあ僕にそれほどの興味がないこともあり、さほどおもしろいとは思わなかった。
 今日は、主として旧市街にある寺をめぐることにしていた。ワットプラシンという大きな寺の境内で、一人のお坊さんと目が合った。僕も微笑み、彼も微笑んだ。さらに彼の口からは「コンニチハ」と思いがけず日本語が。僕も「サワディー」と(おそらく、丁寧表現であるクラップを語末に付けるべきであったのだろう)返す。
 僧侶、あるいは宗教について限られた知識しかないため、なかなかこちらから声をかけて、ということはやりづらい面があるり、こうやって一言の挨拶を交わすだけでもちょっとした新しい体験だ。「歩き方」なんぞには、「男性僧が女性に接触することは禁じられている」などとあるばかりに、ついつい構えてしまいかねないが、旅行者の中には「あたし、お坊さんの家まで招かれたことがある」などという経験を持つ人もいるくらいだから、あまり一律に凝り固まりすぎる必要はないのかもしれない。
 主だった観光ポイント以外にも実に多くの寺があった。歩いていても、5分に一度ほどの割合で例の黄色や赤や金を基調として、つんととがった屋根を持つタイの寺が目に入る。
 たまたま郵便局を見つけたので、僕は切手を買った。毎回、旅行前に何人かの友人は餞別をくれるのだが、内の一人からは「切手を買ってきて」と頼まれているからだ。
 餞別をいただいた以上は何がしかのみやげを買って帰ることにしている。切手に限るわけではないが、いずれにせよ「何がほしいのか」ということを予め教えてもらった方がこちらとしてはありがたい。
 さて、僕の持っている地図(と言っても、「歩き方」のそれだが)には載っていないような寺で手紙を書いた。ただ、ぶらっと歩いていて目に付いたから何となく、というくらいの理由である。人気のない境内には、ほどよい音量でハープシコードを奏でているような音楽が流れていた。悲しいかな、貧しい発想から「どうせ、カセットテープか何かだろう」と斜に構えていたのだが、実際の音源はなんと風鈴であった。金属製の細いパイプを何本かつるし、その中に風を受けてパイプに当たるような部分がつるされている。パイプの長さの違いで、音の高低生じるわけだが、何かの曲ではないかと勘違いするほどに音楽的だった。
 通りからは車の音がして、確かにそれなりの騒々しさはあるのだが、どこかで一線が画されていて、まるで耳栓をして聞くかのように緩和された音として耳に入ってくる。
 午後には、少々足を伸ばしてワットプラタートドイステープを訪れようと思った。ここに行くソンテウは、城壁の北側にあるチャンプアク門のそばから出ている。僕が乗り場を見つける前に、運転手がこちらを見つけた。料金は定まったものがあって、乗り場にはきっちりと看板が掲げられていた。しかし、僕一人が乗り込んだからと出発するようなものでもない。乗合だから、ある程度の人数が必要になる。僕を座席に座らせると、運転手は「他の客を探してくるから」、と通りへ出た。
 人が集まりかけてくると、座席で会話が始まった。簡単なものだ「どこの国の人か」「どこへ行くのか」「学生なら、何をやっているのか」等々。僕が話しをしていたカップルはデンマーク人だった。恥ずかしながら「僕らはデニッシュだ」と言われて、とっさに頭に浮かんだのは菓子パンだった。情けない。
 待っている身としても、早く出発してほしいものだから、観光客然とした姿を見かけると「ドイステープへ行くのか」と話しかける。そんな時、ある人が「いやあ、今行ってきたばかりなんだ」と返事をした。当然としてこちら側からは「どうだった?」と返す。その会話の中で彼はデンマーク人だということが分かった。会話に参加している中で、僕以外はデンマーク人ということになった。しかし、ほんの一言二言僕の理解できない言語が交わされた後、すぐに共通語である英語に戻った。
 ありがたい話しである。逆に、人数が逆転して、日本人が多数派になっていたらどうだろうとも思った。うやむやの内に日本語での会話となり、参加できない人が黙殺されかねないだろう。
 さて、順調に客も集まり、一同は標高1080メートルのステープ山を上る。何度か視界が開けて市街地を見下ろすことができた。
 沿道にはみやげ物屋がひしめきあっている。寺へ続く階段の両側は、7つの頭を持つ蛇神ナークに守られていた。一番下に顔の部分があり、延々と続く胴体部分が階段の手すりになっている。
ドイステープ
 寺は、僕が今まで見たどんな寺よりも派手だった。金ぴかである。金色以外は朱色が目につくのみ。どっしりとそびえる仏塔は金一色であり、陽光をきらびやかにはね返している。何でも、この内部には仏舎利が納められているとか。蓮の花と線香を両手の平ではさんで、うつむき加減で祈りながら塔の周りをめぐる人々の流れがある。
 本堂の周囲には、子どもの背丈ほどの高さに鐘がいくつも吊されていて、ばちで叩くことができるようになっている。ベンチに座って見ていた。子どもたちがうれしがって、力任せに叩くのは分からないではない。おそらく僕もそんな時代であれば、似たようなことをしたかもしれないからだ。しかし、大人も強く叩く。あまりに強くがさつな音で、僕の神経を狂わせる。しかし、これとてタイではそういうものなのだ、という事例の一つにすぎないのだろうか。


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