ここは、ヨーロッパ

 朝まだきアテネ。空港前で市内へのバスを待っていると、前方の山が新鮮な空気の中そびえていた。バンコクでトランジットをしたのは確か午前1時に近かったはずだ。今までのアジアへの旅では経験したことがないほど長時間機内にいた。主観時刻午前10時35分。しかしサマータイムが実施されていることもあって、こちらの時計ではまだ5時20分に過ぎない。
 時差ボケ、という奇妙な生理現象を心のどこかで期待していた。だが、日頃の不摂生のたまものか、不規則な生活そのものに身体が慣れてしまっているようで、全く気にもならない。時計を合わせながら、こんなものかという程度である。
 バスから行き交う車を眺めていると、あることに気付く。ほとんどの車は、見た目において少なくとも何かしらの欠陥があるのだ。塗装が剥がれていたり、ぶつけてひしゃげた箇所がそのままであったりする。ごくまれにむきたてのゆで卵のようにつるりとした車を見るが、それは浮き立って見える。
 街にも何かしらがさつなものが感じられる。それは、今までに何度か経験していた「はずれ」の街の判断材料に似ていなくはなかったが、そのものズバリでもなかった。
 未知の空気の中、まずはユースホステルを目指す。
 意外にも立派なビルに、看板を見つけたが「今日は満員だから、チェックアウトの12時まで空くかどうか分からない」とフロントで告げられる。ウエイティングリストに載せてもらい、荷物を預けてとにもかくにも街歩きを開始する。
 雑誌や新聞を売るスタンドが目立つ。女性の裸が表紙になっているものがやけに多い。女性誌にはヘアブラシ、ヌード雑誌には何かしらのビデオと言った具合に、付録がついているものもある。クルーリという、ゴマをまぶしたプレーンドーナツのようなものもよく売られている。
 何はともあれ、市場をのぞくというのがいつの間にか習慣になっている。残念ながら、まだ賑わいを得るには早すぎたようだ。バットに並んだ10種類を超えるオリーブが秤売りされていた。
 心が浮き立つ、という「当たり」の感覚にはほど遠い。海を眺めよう、と考えた。アティナス通りをさらに南下し、地下鉄のモナスティラキ駅を目指していると、ふいにパルテノンへの方向を示す標識に出くわした。

パルテノン神殿
 アクロポリスにそびえる白い神殿は先ほどからずっと視界に入っていた。けれど、アテネ観光のハイライトとでも言うべきパルテノンを訪れてしまうと、それ以降することがなくなってしまうような気がしていて、何となく明日以降にしようと考えていた。
 しかし、「まあ、せっかくここからすぐなのだから」という思いで、地下鉄を通り過ぎ、石の道を上り始めた。小さな路地でも角ごとに道の名が示されている。上るにつれ、街の騒音が消えてゆく。温かみを増してきた光の中で、何匹もの猫に出会った。
 8時ちょうどに目の前で門が開いた。順路に従って歩くと、社会科の教科書などでお馴染みの建造物があった。
 修復中で、周囲にロープが張られていたのため、手を触れることはできなかった。それでもこの巨大さは、かつてここに文明があったということを主張するに十分だった。逆に、こんなものを造りだした文明や文化というのは、さぞかしとんでもないものであろうと思われた。
 太陽が次第に強く照ってくる。暑いとは感じられるのだが、さらりとした空気のおかげで歩き回ってもほとんど汗をかかない。今までの僕には、気温が高いということは同時に湿度も高いということだった。しかしその常識以外の気候の中にあると、それは確かに快適なのだが、もやはり違和感が先だってしまう。
 受け入れなければとも思うが、丘を越えディオニソス劇場に出るまで歩き通しでもずっとシャツが身体に張り付いてこないのは、僕にしてみれば奇妙な感覚としか言いようがなかった。まるでネジを回したいのに、ネジ山がつぶれていてどれだけ力を入れてみても空回りする、そんな徒労感もどこかしらに漂っていた。
 入場しようとする僕の姿を認めた劇場入り口の男の第一声はおもしろいものだった。「ここはパルテノンじゃないよ。それはあっちだから」と。「知ってる。それはさっき見てきたから。今度はこの劇場の遺跡を見物したいんだよ」と笑って伝えると、切符を売ってくれた。
 なるほど、開門前から観光客が列をなしていた先ほどとはうって変わって、円形劇場には僕を含めて3人しかいなかった。誰もが訪れるパルテノンとは違うのだ。ここに入ろうとするのは、もしかしたらパルテノンと勘違いしている人の方が多いのかもしれないと、先ほどの男の言葉からも思った。
 始めて訪れる円形劇場というものがめずらしいから、僕は客席も上から下まで歩き、舞台も仔細に眺めた。
 適当に歩き続けると、どこかの地下鉄の駅に出た。せっかくだから海に出ようという当初の目的を思いだし、切符を買った。しかし地下鉄とは言え、僕が乗車したところから終点のピレウスまではずっと地上を走っていた。車窓からは、建物への落書きが目立つ。
 開け放たれた窓からの風に吹かれていた。気付くとうつらうつらとしていたことが何度かあった。
鰯の塩焼き
 港近くの市場で、路地の奥の方だが人が集まっているタヴェルナを見つけた。さて何を食べようかとぐるりと見回すと、鰯のような魚を焼いた物が目にとまった。
 「あの魚と、それからビールを」
 すると、フランスパンのような形のパンが二切れ紙ナプキンにのって出された。塩味がほのかにきいていて、おいしい。ギリシャにはどんなビールがあるのだろうと楽しみにしていたのだが、出てきたのはハイネケンの大瓶であった。鰯にぎゅっとレモンをしぼり、さっそく口に運ぶ。レモンは日本の料理屋で出てくるようなけちな切り方じゃない。4分の1切れほどの大きなものだ。骨ごとかぶりつき、パンを頬張り、ビールで流し込む。悪くないギリシャの第一食であった。
 海沿いの道には、船の切符を扱う店が軒を連ねている。どうやら看板を見ていると、イスラエルへも行けるようだった。
 12時過ぎにユースに戻って名前を告げると、ベッドを一つ与えられた。それほど疲れているわけでもないと思っていたのだが、僕は眠りこんでいた。
 夕方に再び起き出すと、国会議事堂で衛兵の交代を眺め、誰もがするように不動の兵隊に並んで写真を撮った。白い丘と神殿は、夕陽によってほの赤く染まっていた。


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