華やかな町、ひっそりと自省

 切符を買った時点では「船は出るだろう」とのことだったが、 相変わらず風がやまない。時折、吹き飛ばされた砂や小石が身体に当たる。目に入っては大変なので、吹いてくる方向に向かって顔を上げないようにして歩かなければならない。沖合いを航行する客船も、かなりの大きさはあっても、水面に対して傾いているのが岸辺からでもはっきりと見て取れるほどだ。
 エーゲ海最大の観光地、ミコノス島へ向かう船の名は「スーパーキャット」だった。「パタリロ」に登場する、お人好しの猫と同じ名であり、このような強風の中では少々頼りない気がしなくもない。
 やはり船はよく揺れるが、じっと目を閉じている分にはさほど気にならない。僕は乗り物酔いの経験は全くと言ってよいほどないのだが(飛行機の恐怖は別として)、窓越しの景色が船の揺れに合わせて大きく上下するのを見てしまうとあまりよろしくはなかった。
 もちろんながら、ここでも船を下りた途端にわっとばかりに宿の客引きが集まってきた。やはり物価は高く、貸部屋で1万ドラクマ前後である。中心部のミコノスタウンを外れてしまうと、ほとんど何もないらしいので、二人でちょうど1万というまさに町の中心にある宿にとりあえず決めた。台所にはコンロが4つもあったが、肝心の鍋がないので何もできない。ティノスで買った塩胡椒や油などはここでは役に立たない。
 湾に面した中心部には車の乗り入れが禁止されている。いや、いずれの道も路地と呼ぶほどに細いために、そもそも車では無理だろう。ざっと歩いた感じでは、確かに華やかであるとの印象を得た。白を基調とした街並みや、石畳、丘に立つ風車などを眺めていれば、である。路地にはひしめくようにアクセサリー、ペリカンの各種グッズ(あるレストランで飼われているペリカンがここの名物でもある)、服などを扱う店が並ぶ。レストランやバーも数え切れないほどに出くわした。ベネトンやグッチやティファニーの店まである。
 お金があって、それを使うことが目的の大きな部分を占めるのであれば悪くない島であろう。これはバリ島(と言ってもウブッしか知らないのだが)で得た感想と似通っていた。しかし小金は持っているものの、まさかここで使いきってしまうわけにもいかないし、もとよりそうしようとも思うわけもないので、一通りミコノスタウンを歩くとすることがなくなってしまった。そこで、昼寝をする。
 日の高い内から僕が睡眠をとっている間、川原さんが隣の部屋にいるヴァンゲリスというアテネに住むギリシア人と、マリアという名のメキシコ人のカップルと仲良くなっていた。
 ヴァンゲリスは鼻にかかったふにゃりとした話し方をする。挨拶も「ハイ!」ではなく、「ハァ〜イ」である。かなりお洒落な格好をしていて、前髪を一筋垂らしたり、空色のシャツのボタンを外して胸をはだけていたり。写真屋でもらえるような小さなアルバム一冊を持ってきて「どれがよいかな?」と訊いてくる。一冊丸ごと彼の写真である。モデルよろしく、様々なポーズをとっている。正直言って僕は「どれでもいいや」と思ったのだが、社交辞令として「これなんかいいんじゃないか」といくつか答えた。マリアが「こんなのもあるのよ」と見せてくれた女装の写真はなかなか似合っていたと思う。
 しかし彼は多少ナルシスト的なところはあるものの、とても朗らかで親切だった。恋人のマリアに対してだけでなく、僕たちにもとても親切だった。コーヒーを入れてくれたり、文旦飴にも似たギリシアのお菓子をしきりにすすめてくれたり。それはあまりにも甘すぎて一つだけ味見してただけで「いや、もう十分にいただいたから」と言うと、「だったら明日の分としてあげるよ」とまで。さすがにそれは僕も川原さんもそれ以上口にする気が起きず、申し訳ないと思いつつも後で捨ててしまった。
 夜になると町はさらに賑わっていた。溢れかえったように狭い道を人が行き交い、店からは音楽や嬌声が流れてくる。
 ヴァンゲリスに「ここら辺でおススメのバーってある?」と訊くと、「普通の?」と聞き返された。怪訝な表情をつくると「ほら、ゲイバーか男も女もいる普通のバーかってこと」と。もちろん普通の方である。マリアが横で「まったくもう、あなたは」というように笑っていた。あるいは彼はバイセクシャルなのかもしれないと僕もそして川原さんも思った。
 彼に教えてもらったところはあまり人がいなかったこともあり、村上春樹の「遠い太鼓」に載っていると「歩き方」で紹介されていたトマスバーを目指した。ところが、客が一人も入ってない。さすがにこれではこちらも足を踏み入れる気にならない。他に何か雰囲気の良い店でもあれば、と歩き回る。
 「ミコノス最古」と看板が出ていたバーはなるほど雰囲気があるが、さあ席に座ってメニューを眺めると「カクテル全品2500ドラクマ」とある。とんでもない。軽く千円を超えているのだ。何も飲まずにそのまま店を出た。どこも気に入るところがなく、再びあてもなく徘徊する。
 ひょいとトマスバーの前を通りかかると、わずかだが人がいた。他と比べて店頭に掲げられている値段が安めだったこともあり、半ばどこでもいいやという気もあり、腰を下ろした。
 マスターは片言の日本語を操った。「遠い太鼓読んだの?」と尋ねられたことから会話が始まった。僕は生の村上春樹のことが何か聞けるかもしれないと期待をしていたのだが、もう12年も昔の話しであり、自身も作家であるなどと名乗っていたわけでもないので、他のお客と同様ほとんど覚えていないとのこと。残念ではあったが、「そこによく座っていたんだ」と席を示されただけでも、彼がついさっきまでそこに座って静かにグラスを傾けていたような錯覚がしてうれしかった。
 しかし、入り口に日本の何かの雑誌の紹介記事が貼られていたのは別によいとしても、店内に千羽鶴が飾られていたことには興趣がそがれた。日本人の誰かが贈ったらしく、ご丁寧に名前まで書かれていた。余計なことをする人は、どこにでもいる。
 宿に戻ってから、再びヴァンゲリスとしゃべったり、一緒に写真を撮ってそれぞれ部屋に戻った。ベッドに横になるも、目の前のバーから暴力的に音楽が襲ってきてとてもではないけれど眠れない。身体に響くほどである。結局音楽がやみ、寝入ったのは4時くらいだったように思う。
 ぼんやりと、金を出さなければ楽しくないここを脱して早くトルコに入りたいと思った。便さえあればミコノスから飛んでも構わない、とさえも。しかしあるいは、アジアでもそれほど高額ではないだろうと僕が判断して使ってきたお金も、現地一般よりは高かったために楽しかったのだろうか。
 さて、率直に言って、エーゲ海の島に期待していたものにヌーディストビーチがある。輝く太陽のもと、惜しみなくさらす裸体。日本ではお目にかかれない光景だ。さぞかし楽しいに違いない。
 が、甘い話しだった。裸体主義者は、何も若い女性に限った存在ではないのである。
 ミコノス島の、その名もパラダイスビーチの一角で僕は老若男女の裸を目撃した。ちなみに、ミコノスには、さらにスーパーパラダイスビーチという名の場所があるのだが、強風のためボートが欠航していたので足を運ぶことはかなわなかった。
 僕らが宿泊している所からはバスを利用してパラダイスビーチまで行く必要があった。行きはともかく、帰りに塩水に浸かって疲れた身体でバスに乗るのもあまり愉快なこととは思えず、僕はここでもっぱら見物と飲酒と手紙を書くことで時間を費やした。
 海は好きだが、海で泳ぐという段になるとまた話しは異なる。塩水は苦手だ。同じように塩素の水を好まないという理由で、プールもまったくと言ってよいほど行かない。一番よいのは、清流だろう。冷たく新鮮な水がある程度の勢いをもって流れている山の中。
 浜辺にはカウンターの上に屋根をつけただけの、オープンエアーのバーがあった。値段はもちろんそれなりのものだが、川原さんが身体を焼いている間、僕はここで酒を飲んでいた。
 もちろん、一杯目はよく冷えたビール。ノースリーブの白いシャツ(ノーブラだった)、腰に水色のシャツを巻き付けた女性に「ビールを」と注文。のどをうるおしながら、手紙を数通。同じ女性に、二杯目には「ジントニック、ジンを少々多めに」と。空調のきいた静かな薄暗いバーというのもよいが、海を眺めながら大音量の音楽の中で風に吹かれて飲むジントニックも悪くない。
 普段ならこれくらいで酔うわけもないのだが、今日は違うようだ。僕は少々気が大きくなっていた。
 カメラをごそごそ取り出し、先ほどの彼女が目の前を通ったときに右手を軽く上げる。「何?」という表情の彼女に向かって「君の笑顔を」と注文し、シャッターをきった。
 僕にとって、ミコノス島で印象に残っていることはほとんどこれくらいだ。


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