「二泊するつもりだ」と言って、町外れの宿にチェックインしていたのだが、一泊だけで出ることになった。先に進む船の切符が手に入ったからだ。
強風は相変わらずだが、 港で船を待ちながら、さしたる不安もまた期待もなかった。
長袖を羽織って、じっと暗い海の先を見つめていた。辺りには、同じように疲れた旅行者がめいめいのやり方で時間をつぶしていた。タバコを吸う者、恋人同士で抱き合う者、バックパックを枕に眠る者。話しかけてきた一人の旅行者は「君たちはまだいいよ。僕は昼に入港するはずの船をずっと待っているんだから」と言った。
暗がりの待合所で、僕らの目を引いたのは中国人系女性の3人組。年はおそらく僕とそう変わらないか、むしろ少し若いくらいに見えた。ヨーロッパの人々の中で、アジアの顔に出会うとちょっとほっとするものがある。仮に僕が一人で、向こうも一人だけだったなら話しかけていたかなと思う。けれど、お互いに一人ではなく、わざわざ話しかけるほどの理由も見つからなくて結局何も行動をとらなかった。
ここミコノスの港を出発すると、一晩でサモス島という島に着く。そこからはトルコへ入る便が頻繁にあるという。
ミコノスが始発ではないので、乗船した僕らのための場所は限られていた。イスの上に体をねじ曲げて眠るよりは、やはりしっかりと体を伸ばして横になりたい。だから、ロビーの床にバスタオルを一枚敷いてその上で目を閉じた。船の揺れが全身に伝わるが、それを知覚できたのもわずかの間だった。明かりが点り、辺りにはまだ人の話し声もある中で、僕は眠りに落ちた。
朝、サモス島に着く。ミコノスにいる間ずっと悩まされた強風は夢であったかのように静かな島だ。船が定刻に着いていたら、トルコ行きの便と接続していたのだが、すでにそれは出発してしまった後だった。何をするでもなく、夕方までここで過ごすこととなった。
下船してすぐに旅行代理店が並んでいたが、値段が安くしかも無料で荷物を預かってくれるという申し出のあった店でクシャダシ行きの切符を手配した。
最後にシャワーを浴びたのは、確かおとといの晩だ。しかも、その水には塩気が混じっていた。しかも、船を待っていた数時間は、ずっと風に舞う砂にまみれていた。どうしても体を洗いたかった。
「この近くでシャワーが浴びられて、夕方まで休憩させてもらえる宿ってないだろうか」と旅行代理店に尋ねると、すぐに心当たりに電話をかけてオッケーをとってくれた。
お湯こそ出なかったものの、水を浴びて体を洗うと生き返った。べたべたと鬱陶しかった髪の毛もさっぱりと。
僕に続いて川原さんがシャワーを浴びている間、その家の居間で待っていた。つけっぱなしのテレビからは、歌謡曲のようなものが流れてくる。おばさんが、それに合わせて歌を歌う。そして僕に何か言った。言葉はほとんど通じないが、そんな必要もない。「ほら、これがギリシアの歌なんだよ」と言っていることは、僕にはすごくよく分かった。
残念ながら「休憩させてほしい」という内容はうまく伝わっていなかったらしく、川原さんが浴室から出てくるやいなや、「出ていってほしい」という雰囲気がその主人の顔色からありありと伺えた。言われたお金(安くはなかったと思う)を支払った。
すると、「これからトルコに出るなら、あなたたちとは逆にギリシアに入ってくる旅行者がいるだろう。だから、そんな人たちにこの宿を紹介してほしい」と一枚ずつ名刺を渡された。これとて、おばさんはすらすらと英語でしゃべったわけではないが、理解は容易だった。彼女がよく口にしていたのは「ビジネス、ビジネス」という語だったが、シャワーを借りた対価はきっちりと支払った以上、こちらの側には彼女のビジネスを手伝う理由なんて何もない。そこを出ると、さっさとその名刺をゴミ箱に放り込んだ。
町は、今までのギリシアのどんなところよりも静かで品があった。深く切り込まれた入り江を、それほど高くない山がぐるりと囲んでいた。山は久しぶりに緑色だった。その緑もそれほどに濃いわけでもなく、山肌の乾いた茶色がのぞいていはいるものの、それは淡い煉瓦色と白とに統一された町並みに見事に調和していた。
道で出会う観光客たちにも騒々しさがまとわりついていない。誰もがひっそりと、それでいてめいっぱいこの土地での休暇を満足しているように見えた。街を歩きながら、中国系女性三人組の姿を二度ほど見かけた。
ギリシア最後のこの町についての感想は、僕も川原さんも同じものを持った。「アテネもミコノスもいらない。次に来ることがあるなら、ぜひここで長期間滞在をしよう」
さて、夕方の船の時間まですることがない。旅行代理店の人のすすめで、近くのビーチへ行ってみることにした。
幅数十メートルほどのこぢんまりとしたビーチだ。樽のような体型の中年女性や、かなり年を召した女性が裸で寝ころんでいる。ビーチパラソルなんて一本もないし、ゴミも落ちていない。もちろんのことバーなんてどこにもない。そもそも何もいらないからだ。
砂ではなく細かな白い石でできた浜では、おだやかにしかし規則的に波打ち際が白く泡立つ。海の水は、明るくしかも深みのある緑色がかっている。それでいてくっきりと透明である。
シャワーの設備すら見あたらなかったので、僕は海水につかることはしなかった。塩水が乾いた後のべたべたした皮膚や、ぎしぎしと堅くなってしまう髪の毛なんかを我慢したくないからだ。
けれども川原さんは居ても立ってもいられないという風で、すぐに水に入っていって驚嘆の声を上げた。「ほんまにきれいやで。魚がすぐそこに見えんねん」
僕は日陰を見つけて、「ノルウェイの森」をぱらぱらとめくっていた。
ビーチをそれぞれの方法で堪能した次は、二人共通の楽しみを持った。冷えたビールである。
国を越える船は、予想外に小さなものだった。今までエーゲ海を行き来したのはすべて、かなりの規模の客船であったが、これは一回り大きめのボートという程度。本当にこれだろうかと訝しく思ったが、船尾にはためく赤地に月と星がデザインされたトルコ国旗がその疑問をうち消してくれた。 旅行者はすでに三々五々集まっているが、時間はのんびりと過ぎゆくだけで、手続きらしきものが始まる気配はない。小さな女の子を連れた夫婦が「ここでいいのかな」と聞いてきたが「多分ね」としか答えようがない。中国系三人組の姿は見えないから、彼女たちは今日はこの島にとどまるのであろう。
出航の時間に合わせて小さな国境の事務所が開いた。出国のスタンプが押されると、いよいよギリシアともお別れである。この先にあるのは、アジアだ。
船に乗っている間、僕は「アジアに戻る」という興奮に包まれていた。ギリシアで得られなかったものが、トルコでは取り戻せるのではないだろうかという期待もあった。