遺跡めぐり

 泊まっていた宿には朝食もついているとのことだったが、僕らが起き出してロビーに出てみると「もう、終わったよ。何時だと思ってるんだい」とのこと。そりゃあそうだが。しかし、そのまま居座ってエフェス行きのツアーに僕らも乗っけてもらうことにする。希望者が集まればこの宿から車で送ってもらえる。条件はただ一つ、帰りに絨毯屋に寄る、ということ。
 行きがけに主人、サミーが言った。「諸君、今日の運転をするのは、アリババだ。帰りに彼のじゅうたん屋に寄るが、君たちが買いたかったら買えばいい。質も値段もお薦めできる。だが、買いたくなければ買う必要はまったくない」
 エフェスというよりは、世界史で習った古代名エフェソスで僕の記憶にあった。ただ、どういう歴史的経緯のあった土地かということはすっかり失念していて、単にその名のみを記憶にとどめていた。
 集合場所と時間を伝えられて、僕ら一行は自由行動となった。エフェスの遺跡は、都市の遺跡であるために、あれこれと見るものがある。入場してすぐに目に入ったのは、石造りの円形大劇場。野球場のようなすり鉢状の座席が舞台をぐるりと取り囲んでいる。山肌を削って造られたらしく、ずいぶんと大がかりなものであった。
 売春宿の広告なる、白い石板があった。かなり大規模な観光地であるため、あちらこちらで各国語のガイドが行われていたため、僕はこそっと混じって英語の説明を聞いていた。石板には、ハート、足形、女性の顔が掘られている。少々薄ぼけているものの、上からのぞき込むとはっきりと見て取れた。ガイド氏の説明によると「失恋して、ハートが傷ついたときは、素敵な女性が待っているからエンジョイしたらよい」ということだった。
 足形は、ジェットコースターなどの前にある人形の意味するところと同じようなものであるという。つまり遊園地のそれが、「この身長より小さなお子さまはご遠慮ください」ということを示しているのと同じく、「この足形より小さな貴男は、当館のご利用をご遠慮下さいませ」ということだそうだ。

図書館の遺跡
 くっきりと立つ二階建てのファサード(それのみがわずかに遺っているのだが)は、かつての図書館であった。白い石造りのそれは、殿堂という言葉がふさわしいまでに壮麗であった。正面には、知恵、運命、学問、美徳の四つの女神像のレプリカが設置されているが、僕は少し考えてから、知恵の女神ソフィア像と共に写真におさまった。
 公衆トイレの遺跡もまた僕には興味深かった。等間隔に穴が開いた横長の石のベンチが並んでいる。もちろん、その穴の上に座って用を足す。ここでも、どこかの団体のためのガイドの説明を横から拝聴した。
 「みなさん、ここは古代のトイレです」「このトイレの最大の問題がありました。それは何だったのでしょう。匂いがこもる、ということでしょうか? いいえ。この下には水路が設置されていて、かなりの勢いを持った水流があっと言う間に運び去ってくれました。下水のシステムが実にうまく作動していました。問題はそうではありません」そうやって聴衆の興味を引きながら、その最大の問題に行き着くまでに彼はこのトイレの特徴を次々と教えてくれた。
 「当時のここの街の人々は、とても忙しかったのです。ですから、仕切りのないこのトイレで、隣に座った人々と仕事の話しをしていました」
 しかし一体、用を足しながらコミュニケーションが図れるものだろうか。個室で用を足すことに慣れた現代に生きる僕には想像の外にある問題であった。
 では、肝心の問題とは何であったのか。「みなさん、これは石でできています。冬場はかなり冷たくなるのです。それが問題でした。そのために、奴隷が前もって座って温めておいたのです」
 まるで、秀吉の草鞋のエピソードのようである。
 時間が経つにつれ、暑さが気になってくる。男性の中には、上半身裸で見物している人もいるほどだった。石造物を直射する日光は強烈なものの、ギリシアで見た遺跡よりも今目の前にある古代人の生活の跡に、遙かに大きな親近感を抱いていた。
ニケの像
 ツアーはここだけで終わりではなく、一行は続いて眠れる7人の男の教会へ案内された。浦島太郎のような伝説、7人が一晩ここで眠っている間に309年経過していた、が残っているのだが、肝心の洞窟はフェンスが張られ、のぞき見るくらいしかできなかった。
 窯で焼いたクレープのようなパイのようなものの中にホーレンソウとチーズが入っているものを食べて昼食。僕と川原さん、それにガイドのアリババ以外は英語圏からの旅行者であった。彼らが話しをしている内容には大体着いていけるのだが、別段会話に加わろうという積極的な気持ちもなかった。あるいは軽い雑談くらいなら、と思わないでもなかったのだが、はっきり言って、入り込むタイミングがつかめなかった。まだまだ僕は努力が足りない。
 再び車に乗り、僕らにとってはどうでもよい、そしてアリババにとっては最大の関心事であろう、彼の経営する絨毯屋へ。店の奥に案内されると、扉を閉めてエアコンのスイッチが入れられた。一人の女性が「ガスかしら?」と言って軽く笑ったが、これは悪趣味な冗談というものだろう。
 出されたスイカをつまみながら、彼は息子と協力して次から次へと床に絨毯を敷いて、説明をしてくれる。なるほど価値あるものだろうと思わせられたが、そもそも絨毯なんかまったくほしいと思わなかった。
 思いの外、勧誘にしつこさはなく、さらりとしたものであった。店の前で、彼の奥さんという人が絨毯を織っていたが、確かにこの作業であれだけの模様を出そうと思ったら、とてつもないほどの手間がかかる。値段に反映されるのもうなずける話しだ。すり切れにくい、ということからも、もし本当に広い家でもあって、よい絨毯が欲しくなったときはペルシア絨毯を候補のリストの上の方に入れる日がくるかもしれない。
 「宿へ戻る車は1時間後にここから出るから」と、彼が言った。そのまま目の前の公園でチャイでも飲んでいるという選択肢もあったのだが、とっさに地図を見て、1キロも離れていないアルテミス神殿を見に行くことにした。世界七不思議の一つ、というところが気に入ったからだ。
 エフェスの遺跡に入る前に「古銭を売りつけられるかもしれないけど、全部偽物だから買わないように」という彼の注意を受けていたのだが、それがここに現れた。自転車に乗った子どもが「昔のお金はいらないかい」と聞いてくる。「いらない」
 別に本物であっても、あまり興味がない。
 アルテミス神殿は、かつて紀元前6世紀頃に建立された折りには、高さ19メートル、直径1.2メートルの円柱が127本建ち、神殿を支えていたという。今はその円柱の破片が草むらに転がる中、一本立つのみで、往事を偲ぶには余りに静寂であった。そして、その円柱の上には、コウノトリであろうか、二羽の大きな鳥が巣を構えていた。
 遺跡というのはおもしろいもので、現在に残る建造物から当時を想像し得るものと、もはや過去との連関が断ち切られ、単なる廃墟として目に映るものとの二種類がある。アルテミス神殿は、僕にとっては後者であり、もはやすくっと建つ一本の円柱でしかなかった。むしろ、コウノトリの巣の方が印象的であった。
 続いて時計をにらみながら、考古学博物館へ足を運んだ所、ツアーの同行者の一人であるニュージーランドの若者がちょうど出てくるところだった。
 「どうだった? 今からでもぐるりと見て回れるかな」と僕が尋ねると、彼は非常に親切に「絵のギャラリーは飛ばしてもかまわないと思う。庭にある昔の人の住居はおもしろかった。中に入ってまずは右の方を回ったら20分あれば行けるだろう」と事細かに教えてくれた。もちろん僕としては「この角を右に曲がってずっと歩くとアルテミス神殿跡がある。10分もしないから行ってみたらいい」と伝えた。ギブアンドテイクである。
 展示物には無数の乳房を持つアルテミス像があったが、僕はそれよりも紀元前の青いガラスのお猪口が気に入った。時間がないにも関わらず、一回りした後でもう一度その展示ケースの前に立った。僕は深い青に必ず魅入ってしまう。
 夕陽が直にあたる助手席で帰り道を行く。ノドがカラカラであったが、一心に我慢をする。
 もちろん、耐えた先の一杯のビールを期待しているからである。


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