結節の街
イズミルの駅、列車に乗り込んだ男性とプラットフォームから見送る女性とが別れを惜しんでいた。さながらトルコ版、シンデレラエクスプレス。
僕らは男二人でイスタンブールを目指す。イズミルの駅では「学生です」と告げるだけで学割料金で切符が購入できたのだが、車内の検札で学生証の提示を求められた。僕は国際学生証(本物)を持っていたが川原さんは残念ながら学生ではない。だけど、追加料金として支払った分を考えてみても、割引前の運賃より安かったのが不思議だ。
ヒマワリがあちこちに咲いている大地を7時間かけて列車は北上し、4時間のマルマラ海の航海の末、イスタンブールに到着。日が暮れるまでにもう少し時間はあるが、できるだけ早めに取りあえずの宿を決めておきたい。シルケジ駅の近くが安宿街になっているらしいので、駅舎と思しき建物へ向かって歩き出した。駅の前は路面電車の線路がのびており、それに沿いながら近辺で目に付くホテルの値段を尋ねてゆく。やっぱりここは大都市である。イズミルと比べると宿代も安くない。3軒ほど首を縦に振れずに探し続けた後、またもや英語のさっぱり通じない一軒でトリプルの角部屋にチェックインした。観光客向けの宿泊施設ではなく、客の中にはトルコ人の姿しか見えなかった。宿の親父との交渉は、またもや川原さんの能力がいかんなく発揮された。彼は偉い。自分の日本語と親父のトルコ語とのやりとりでしっかりとまとめてしまった。
シャワールームは廊下の突き当たり、トイレの奥にあった。相当に熱い湯と、信じられないほどに冷たい水が出た。部屋と同じような鍵を渡されて、浴び終わったらすぐにフロントに返しにいくように言われた。シャワーはいつでも使い放題ではなく、一日に一度だけだった。知らずに二度浴びた翌日は、えらく怒られたものだ。
建物自体はかなり老朽化しているものの、部屋は広く、風通しもよかった。それに連泊するからということで、また少々値引きをしてもらえたので、僕らは割にここを気に入った。
翌日目を覚ました僕たちは、さっそくに行動を開始した。この街にはいくつもの見所があるようだが、「午前中に行く方がよい」という「歩き方」の助言に従って、まずはヨーロッパ側新市街にあるドルマバフチェ宮殿へ向かうことにした。
イスタンブールの街は、主として3つの部分に分かれている。トプカプ宮殿やアヤソフィア、ブルーモスク、グランドバザールなどの主立った観光ポイントがある、ここはまた僕たちが泊まっていたホテルもある、ヨーロッパ側旧市街。金角湾にかかるガラタ橋を渡ったヨーロッパ側新市街。そして、ボスポラス海峡の東側にある、アジア。一つの都市がアジアとヨーロッパをまたいでいるイスタンブールは、東南アジアからインドへと西進してきた旅の流れからすると、僕にとってはもうそれだけで十分に魅力的なのだ。地理的な意味でこれほどの感慨を得たのは、スマトラ島で赤道をまたいで以来のことだ。
ここ2年間の旅程を頭に描くと、ついに来たかという手応えと、さらにこれからとの期待で身体がふるえるほどだった。だが、インドからトルコまでにはまだまだいくつかの国がある。パキスタン、アフガニスタン、イラン等々。あるいはアジアでもミャンマーやブータン、バングラデシュといった国々はまだ僕の地図では、すっぽりと抜け落ちている。これからピースをはめていくのだ。一つの区切りではあるが、それはまた尽き果てぬ旅への欲求の再確認であった。
ガラタ橋にはぎっしりと並んだ人が釣り糸を垂れていた。海の水は緑色とも青色ともそして茶色ともつかぬような濁った色で、しじゅう誰かがリールを巻いていたが、水面に姿を現すその半分近くはビニル袋などのゴミで、残りの半分が鰯のような小魚であった。ビニールが釣れると、そのまま海に放り投げられる。魚が釣れると足許の洗面器のような入れ物に放り込まれる。捕らえられた魚は、腹を浮かべて異臭を放っている。老いも若きも釣りに興じているが、果たしてこれは食用になるのだろうか。
ドルマバフチェ宮殿は、歴代のスルタンが利用し、「父なるトルコ人」ケマル・アタチュルクも官邸としていたのだそうだ。靴で直接宮殿に入ることはできず、ビニール袋で靴を覆うように指示される。待たされることなく見学ツアーが始まった。おそらくは保安上の理由からだろう、個人で見学はできずにある程度の人が集まってから係員に先導される仕組みだ。もちろん、彼はガイドとしての説明も行う。彼の声はよく通り、しかも内容もとても適切なものだ。
豪華絢爛というのはこのことを言うのだろう。ドアノブから天井に至るまで細かな細工が施されている。例えばそのドアノブだけを自分の家に取り付けたとしても、騒々しい見た目になるだけだろうが、これだけ広大な建造物の中では、存在意義がある。おそらくこの宮殿を無印良品の品々で統一したら、あまりに閑散としすぎるのだろう。
高さが36メートルもある吹き抜けのホールから吊されているシャンデリア。見上げるとその巨大さに圧倒される。ヴィクトリア女王からの献上品で、4.5トンの重量があり、750本のろうそくをともすことができるのだそうだ。製作はバカラ。なるほど、本当にお金があるとこういうことになるのだ。バカラのグラスを一つ持っているからとうれしがるほどのものではないのかもしれない。ちなみに、ここはあまりに広い空間であるため、冬場この部屋を暖めるために4日を要したという。
諸注意の一つに「フラッシュは展示品を傷めるので禁止です」とあったにもかかわらず、カシャカシャと子どもの姿を写していた父親が注意を受けた。彼は口の中でごにょごにょと「いや、これはオートマティックだから……」とつぶやいていたが、だったらシャッターを切るべきではないのだ。品のない観光客というのは、どこにでもいる。
宮殿見学を終えたとき、ちょうど門の付近で演奏が行われていた。甲冑や、赤や緑と金色を組み合わせた衣装に身を包んだ30人くらいの楽団が、ラッパや太鼓で勇壮な音楽を奏でていた。すっぽりと身を包んだその衣装では、あまり過ごしやすい気温や日射ではない。口ひげの男性が、疲れからかやる気がないからか、ただ一人気の抜けた顔でシンバルを叩いていた。
新市街の南端の地区、カラキョイへ一端戻り、そこから地下鉄に乗った。先ほどまでの痛いまでの暑気にも関わらず、薄暗い構内は洞窟のようにひやりとした空気で満たされていた。改札機を通るために、切符ではなくジェトンという小さなコインのようなものを購入。
あっ、と言う間もなく一駅を走り終点へ。出た目の前が路面電車の駅。旧市街を走っていた路面電車はスチール製だったが、こちらはぐっと懐古調で木製。僕たちは切符を購入したが、中にはプラスティックカードに丸い金属片を埋め込んだ定期券のようなものをセンサーにかざす乗客もかなりいた。目抜き通りであるイスティクラール通りを、時に鐘を鳴らして車や通行人に注意を呼びかけながらゆるゆると上る。車両の後部には、子どもが2、3人ぶらさがって遊んでいる。終着駅のタクスィム広場で降車。
ドルも少々手持ちがあったが、資金のほとんどは円で持ってきていた。イスタンブールであれば、日本円のトラヴェラーズチェックも使えるだろうから、今の内にトルコで使う分をまとめて替えておきたかった。
3つほどの銀行で「扱っていない」と断られた。トルコ銀行ではレートも悪くなかったのだが「6万円替えたい」と伝えると、「ドルにしておよそ11ドルほどの手数料がかかるのですが」との対応。それはちょっと高すぎる。探せば見つかるもので、AK銀行がレートもよく、しかも手数料は無料。出てきた金額は、僕が今までに現実的な数字として見たことがない桁数だった。およそ1億トルコリラ。
川原さんは帰国便の日程変更のために、シンガポール航空の営業所へ向かっていた。僕は路面電車にもう一度乗ろうと、券売所へ。50トルコリラのはずが、ブースにいる12、3才の男の子が「500」だと。僕が100トルコリラ札を出すと「ちがう」と言い、1000札を指す。不審に思いながらそれを出してチケットを買うと、やはり額面は50であった。やはり変だ。切符を突き返すと、彼が戻してきたのは100札だった。ふざけるな。つっかかってきっちりと1000トルコリラを返金させる。僕とのやり取りとの間にも、観光客と思しき女性が「さっきのお金、返してちょうだい。観光客だからって、こんなこと二度としないで!」と僕と同じような文句を言いに来た。
だが、彼は悪びれるわけではなく、目も真剣だった。今まで幾度か出会った「怪しい人」の範疇には入らない。あるいは、親にでも「そうすることが正しいのだ」と教え込まれていて、彼はそれに忠実だったのかもしれない。
やはり路面電車の切符は50トルコリラであったのだが、ひょっとして僕の勘違いであったのだろうかというしこりもわずかに心の片隅に残った。
このことで路面電車に乗る気を失って、イスティクラール通りを歩いて下り始めた。ちょうど線路がくの字に曲がる辺りを右に入ると市場があった。僕は果物屋の店先にずらりと並んだ色とりどりの果物の中から、トルコサクランボを半キロ買った。何軒かの店先で値段や質を見比べた結果、多少小ぶりで形が悪いものも混じってはいるが、手頃なのを選んだ。大粒でしっかりしているものはこの5倍近い値段がしていた。見た目はアメリカンチェリーのような濃厚な色だが、味は甘酸っぱいの酸っぱいの方が7対3くらいで勝っていた。ウインドーショッピングをしながら、次々と口に放り込む。500グラムというのは意外に馬鹿にならない量で、いくらつまんでも紙袋の中身はかさが減ったように思えない。
偶然目に入った教会がある。一歩踏み入れると非常に天井が高く、建物の中はゆらめくろうそくの熱がこもっている。堅い木の椅子に腰掛けると、先の切符のごたごたで荒れていた心が静かな空気の中に落ち着いてゆく。あるいは不遜なことかもしれないが、絵はがきを認める。サクランボの果汁で指先は赤とも紫ともつかない色に染まっているが、それを少々気にしながら。
さらに坂を下り、路面電車の駅で川原さんを待つ。約束の時間を少しだけ過ぎて現れた。「ごめん、ビールおごるわ。シンガポール航空のオフィスがめっちゃ遠くて」
ガラタ塔に上る。エレベーターを操るのは10才くらいの少年だった。傍目にはずんぐりした塔に見えたが、上からの眺望はすごく開けていた。アジアとヨーロッパが一望の下に。ボスポラス海峡を、船が航行している。間近に見ると薄汚れた海も、ここからだと青い。みやげものとしてもよく売られている、ナザールボンジューというガラス製の目玉のお守りのような色に見える。ミナレットを従えたモスクがあちらこちらに見て取れる。髪をかき乱すほどの風が塔を吹き抜ける。円周に沿ってぐるりと展望台があるが、建物の中はレストランになっていた。ここで沈み行く夕陽や、やがて訪れる夜景を眺めながらワイングラスを傾けるのにも憧れがないわけではない。
だが、僕たち二人はシルケジ駅すぐの線路際のお店で、ビールで乾杯。他に比べて少しだけ安かったから、イスタンブールにいる間はここに通うのが日課となった。
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