旧市街探訪

 朝一番、疲れが抜けきってはいなかったが、それでも市内を見て回りたいという好奇心がはるかに勝っている。
 トプカプ宮は、むしろ博物館との印象が強かった。ハレムは係員の案内に従ってめぐる。彼はまだ見習いらしく、後ろから別の係員が着いてきて「もう少し客が集まってから説明を始めるように」「大きな声で」などと指導を受けていた。しかしやはりガイドがいるとなかなかに勉強になる部分もある。ただの廊下としか自分には見えなくとも、彼の説明によりスルタンが通るときはその後に黄金が巻かれたなどの知識がより想像力を刺激してくれる。ここではまた真っ青なタイルに記されたアラビア文字の美しさが目を引いた。
 陶磁器のコレクションは世界で故宮博物院に次ぐらしいが、なるほど見ていて飽きるほどに展示されている。しかしヨーロッパの入り口に来て、日本風とも言えるデザインを目の当たりにすると、なるほどシルクロードの存在が確かなものとして迫ってくる。毒物が盛られると変色すると信じられていたため、スルタンは青磁を求めたのだそうだ。
 翌日のパムッカレ行きの切符を手に入れるため、路面電車でアクサライまで出て地下鉄に乗り換えることにした。乗り換えの前に、ケバブサンドを道端でおいしくほおばっていたら、ぼろぼろの服を着た男性が手をにょきっと伸ばしてきた。自分の腕をがぶりとかみつき、「食べたい」という仕草。断られた彼はどこかへ歩いていったが、破れたズボンから尻が半分露出していた。何事つけ、陰と陽はある。
 地下鉄は途中から地上を走る。オトガルに着くと、そこには100社をこえるほどのバス会社が並んで事務所を構えている。いったい、どれがどれなのかさっぱりわからない。客引きに教えられた方向へ向かい、翌晩のパムッカレ行きをおさえる。その間、川原さんはここからアテネへ戻るバスを探していた。
 日本に電話をかけ、首相が交代したことを知る。川原さんに頼まれてシンガポール航空に電話をかけ、キャンセル待ちの状況を尋ねたところ、キャンセルの申し出だと受け取らてしまいそうになる。いやはや、相手の顔が見えないところでの外国語を用いた意思の疎通は楽でないと改めて実感。
 アクサライに戻った我々は、ここで別々に行動をすることにした。僕はとりあえず、靴を磨いてもらいついでに中敷きを買った。かなり歩きやすくなったので、そのままローマ時代からの水道橋まで。いやはや、こんなものが残っているとは。がっしりとした石造りのそこを、アーチ形にくりぬかれた橋脚の間を現代の自動車がごく普通に走っている。
 イスタンブール大学は、夏休みのため閑散としていた。校舎の入り口には金属探知器が設置されていたが、どうも使われていないようであった。木立の中にベンチがあり(足許はタバコの吸い殻だらけだったが)、ここで何通か手紙を認めた。

グランドバザール
 大学からすぐにカパル・チャルシュがある。グランドバザールである。トルコのグランドバザールについては確かに事前にある程度のイメージを持ってはいたが、残念ながら実際に足を運ぶとそれほど魅力的でもなかった。貴金属や派手な衣装などが目に付くが、やはり生鮮食料品がないと活気に欠けるような気がする。むしろバザールそのものよりも、どこから来てどこへ行くのか、チャイを乗せたお盆を手にした人が、人混みをするりするりと抜けていく光景の方が印象に残った。いったい、どれだけのチャイがこのバザールの中だけでも消費されているのか。すたすたと歩きながらも、もちろんのことながらお盆は水平に保たれ、チャイがこぼれることはない。不思議な光景に思われた。
 グランドバザールから人の流れに沿って歩いていく。道の両脇には屋台が並び、雑貨や下着や食べ物などあらゆるものが売られていた。中には実演販売もあった。「ちょっと、見てよ。ほらこの器械を使うとね、くるくるっとブドウの葉で何でも巻けちゃうのよ。便利でしょう」などの口上が聞こえてくる。言葉も分からない、ブドウの葉を巻く器械が欲しいわけでもない、それでもしばらく立ち止まっていた。
 トルコの名物としてアイスクリームがある、と言えばどうもイメージにそぐわないものがあるのだが、ドンドルマというそれはなるほど確かにめずらしい。ソフトクリームのようなコーンにのって出てくるが、アイスクリームの部分が伸びるのである。やや強引な例えになるが、つきたての餅といった感がある。むにゅうっと伸びるのだ。だがもちろん、口の中ではさらりと溶ける。これは生まれて初めての感触だった。味は奇抜なものではなく、甘みが控えめのごく普通のアイスクリームなのだ。
 ただ、僕はここでちょっとした勘違いをした。大中小とある内の中を頼んだのだが、その値段を小のものと勘違いしていて「100足りないよ」と店員に言われた。彼は丁寧にも三種類のコーンを取り出し「これが400、こっちが300、小さいのは200」だと最初に僕に説明したのと同じことを繰り返してくれた。確かにこれは僕の勘違いだった。そうしてみると、昨日のトウモロコシ屋でのごたごたも、もしかしたら自分に非があるのだろうかと一瞬ひやりとする。
 昨日食べ損ねたトウモロコシにもかぶりつく。やはり100リラであった。日本で食べるそれとは少々異なり、甘みはほとんどなく、炒った大豆のような味がした。匂いは香ばしいが味はさほどでもない。
 グランドバザールから流れるとエジプシャンバザールに出た。そのまま海に向かうと、イェニジャミイというモスクに出る。ブルーモスクのように巨大なものではないが、なかなかにどっしりと見応えがある。
 もう一度路面電車に乗って、今まで来た方へ戻る。降りた駅はチェンベルリタシ。駅前には、塔が一本だけ立っている。コンスタンティノープルの建都を記念したもので、イスタンブール最古のモニュメントなのだそうだ。当時は57メートルの高さがあったのだが、現在では34メートルだけが残っている。かつては先端にコンスタンティヌス1世の像が据えられていたと言うが、今では台座と途中で切れた円柱しかない。台座には鳩が群がっている。このような古いものが現存している、しかしそれは往事から比べるとみすぼらしい姿として。歴史である。
 川原さんと再会して、いつもの店でエフェスビールをやる。そしてガラタ橋のたもとで鯖サンドをぱくつく。今日は、行きの飛行機でもらったしょう油を振りかけた。うまい。
 ぶらぶらと夕陽の海沿いを歩いていると、にこやかな男性に声を掛けられた。誰だ?と不審に思ったのはわずか一瞬のこと。彼は手でドンドルマを伸ばす真似をした。そう、先ほどのドンドルマ屋の兄ちゃんである。英語がだめだったのだが、なんだか小ぶりの洋梨をいただいた。先ほどの値段の勘違いのときに、すぐに「ごめん」とも言えず、撮ろうと思っていた写真も撮らず早々に立ち去ってしまっただけに彼の親切に恐縮するばかりだった。僕にはまだまだ余裕が欠けているように思う。
 せっかくだから、と二人で「歩き方」を点検してベリーダンスが見られるというレストランへ行ったのだが店員にはこう言われた。「うちでベリーダンスをやっていたのは2年前の話しですよ」と。仕方ない、値段的にそこくらいしか選択肢がなかったので、宿のそばのバーで夜を過ごすことにした。ロックグラスに注がれたのは、炭酸がぬけたトニックウォーターの入ったジントニック。しかも最後に氷を一つだけぽちゃんと。なかなかちゃんとしたジントニックというのも難しいものだ。早く寝ろ、と言うことなのだろう。


戻る 目次 進む

ホームページ