二人と一人

 7月最後の日である。当初のつもりでは、今日くらいまでギリシアにいるつもりだった。だが、ギリシアを出てトルコに入ってすでに1週間以上が経過している。ギリシアは早々に出てきたが、イスタンブールの感じからはトルコには長居できそうだという感触がある。
 僕らからすれば、まあまあの、トルコレヴェルからすればかなりエアコンのきいたアクメルケズというショッピングセンターへ出かけた。売られているのはブランド物だらけだ。
 ヨーロッパについてはガイドブックはおろか、一枚の地図すら持っていなかったので、これからの行程で役立ちそうなものを本屋で物色した。ロンリープラネットのヨーロッパ編は値札に20ポンドと記されていたので立ち読みだけにした。時間はたっぷりとあったので、寄ることになるかもしれない各国のものもいくつか手にとってみた。確かに使えそうではある。しかし「歩き方」に劣ると間違いなく言えるのは、レイアウトのづらさであろう。あくまで比較にすぎないのだが、後者はまるで辞書のように活字が詰め込まれている。これが小説などであれば別段気にも留めないのだが、ガイドブックとしては未熟だと思う。あるいは、それは日本語と英語の表記法固有の問題なのかもしれない。
 結局買ったのは、一冊の地図帳であった。前半は普通の地図帳だが、後半はヴェネチアやローマ、ミュンヘン、リスボンなど各主要都市の地図が掲載されていて、役立ちそうに思われたからだ。しかも表記はローマ字ではなく各国の言語だったために、街行く人にそのまま行きたい先を見せたときに、理解してもらいやすい。ただ、残念ながら訪れるつもりにしているグルジアはぎりぎりで切れていた。トルコと境を接している西部のわずかな部分が描かれているだけだった。実は、グルジアもそしてこのイスタンブールも、例の「旅行人」のスーパーマップを今川さん(インド、ネパールを共に旅した人)から頂いていたのだが、見事に持ってくるのを忘れていたのだった。出発当日の朝に荷造りをするというのは、やはり間違いだった。
 ファーストフード店で巨大なカップに注がれたコーラを飲みながら地図をめくると、ロカ岬へ到達するには実に様々な経路がありそうだということが分かる。現段階で決めているのは、アンタルヤから出ている船に乗り、アドリア海を北上しヴェネチアに入るということだけ。どのようにしても進めそうなので、計画をたてることはやめ、とりあえずヴェネチアに入ってから考えることにしよう。
 その後少々足を伸ばして、路面電車でヨーロッパ旧市街のトプカプまで出た。寸断されきちっと原型をとどめているわけではないが、テオドシウスの城壁ががっしりと今なお建っている。だが、そこには偵察のためのローマ軍人が立つのではなく、赤地に白く星と月が白く抜かれたトルコ国旗が翻っている。変わらない部分もあり、移ろうものもある。現代社会と呼ばれているものの多くは、第二次大戦以降に確立されたものであり、それからも崩壊した国もあれば新たに勃興した勢力もある。このトルコ共和国にしろ、建国して70年ほどであるのだ。
 別行動をとっていた川原さんと僕は、夕方に部屋で落ち合った。彼は、もう数日この街に滞在する。僕は今夜のバスでパムッカレを目指す。いつものようにグラスを傾け、ロカンタで食べ(もちろん、またビールを飲む)、そして海のそばでムール貝にはさんだピラフを求める。自分に勢いをつけたかったのだ。
 シルケジで別れる。日本人どうしで握手をする習慣は、個人的には馴染めないが、彼が差し出した手をもちろん握り返した。初めて知ったのだが、彼の手は大きかった。これが男性と女性というパターンであったなら、恋をしていただろうなと思わせるほどに愉快でそして深い二週間の道中であった。旅先で知り合った人とこれだけ長時間一緒にいたのは初めてのことだった。
 彼に100%の満足をしたわけではない(もちろんだ)。けれど、よい人であった。僕は彼によって与えられたものに果たして報いることができたのであろうか。
 路面電車に乗り、バスターミナルへ向かう。一人になると、酔いもすうっと醒めた。この緊張感が、たまらない。また、一人旅である。


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