倒れたバイク

 昨日、旅行代理店をいくつか当たってバスの値段を調べていた。一件に決め、再び出かけたが、応対に出た若い女性は僕が一度訪れていたことを覚えていないふうだった。「オトガルまでのバス代は料金に含まれているって私言ったっけ?」と聞いてくる。「オトガルまでは100リラかかる」と聞いていたが、彼女の記憶力につけいって「うん、そう聞いたと思うよ」と返事をする。彼女はどこかに電話をかけ再度同じ問いを発し、僕は同じ返事をした。わずかながら、良心の呵責。
 パムッカレを出て向かう先は、トラブゾン。直線にして7、800キロは離れている。両方とも交通の要所というわけではないので、間にあるアンカラを経由することになる。トルコの国土を長方形に見立てたなら、ちょうどその対角線を行くことになる。
 今日のバスは少々座席が狭い。エアコンのききも今ひとつである。おまけに座席のトレーは外れかけていた。車掌は頻繁に水を配る。実際にのどがかわく。しかし他のバスは学割で2250リラのところ、ここは2000であるし、それにたかだか日中の7時間の移動だから、少々設備に不満があっても構わないことにする。
 当然コロンヤも出てくるが、もはや勘弁してくれとの気持ちである。好きな匂いではない。トイレの芳香剤とて、どちらかと言うと苦手な方だ。化学的にいくら本物の成分をコピーしたとしても、それは結局のところ偽物でしかない。
 なだらかに起伏する大地に雲の影がくっきりと落ちている。明るい分だけ一層影の存在が際だつ。ヒマワリ畑のヒマワリは、向日葵のくせにみんな太陽から背を向け、葉を垂れシュンとしていた。所々の畑にはスプリンクラーが規則正しく勢いのある水を放出している。バシュッバシュッと音が聞こえるようだ。干上がった川の跡は見かけたが、水の流れる川を目にしなかったから、地下水を引き上げてでもいるのだろうか。
 広々とした道を順調に走っていると、バイクと共にはじき飛ばされた少年が道端に倒れていた。周囲の人が遺体に新聞紙をかぶせ、風で飛ばぬよう手で押さえていた。晴れ渡った空の下、わずか数秒間見つめただけの光景は生々しい現実として迫ってきた。しかし、午後の日差しが照りつけてはいたが、窓で隔絶されたこちら側までその暑さは伝わってこないため、それとまったく同程度に非現実感の塊のようでもあった。
 旅を始めたころ、あるいは日本へ帰ることはないのかもしれないと漠然と考えないではなかった。中でも、交通事故というものは起こりうる(しかも、日本にいるよりもはるかに高い確率で)ものだと。だけど、いつの間にかとんと忘れていた。可能性の問題に過ぎないと言ってしまえばそれまでで、過度に心配する必要もないが、車窓の向こうに見た少年によって久々に不安感が想起された。
 途中でメトロという会社のバスに追い抜かれた。それを覚えていたので、午後7時30にアンカラに到着した時、メトロのカウンターでトラブゾン行きを当たった。だが、今日の便はすでに座席が埋まっている。明日の切符をとっておいて、今晩はアンカラ市内に泊まるという考えが頭をよぎったが、応対した係員が「その代わりに」と、とっさにもう一つの方法を教えてくれた。「ギレスンまで出て、そこで乗り換える方法もある」ここで足踏みをすることよりも、とにかく先へ進むことを考えた。地図に印をつけてもらったギレスンは、トラブゾンから百数十キロ西にあった。
 トイレの洗面台で顔を洗っていたら、鼻血が出てきた。体質的に昔から鼻血はしょっちゅうなので、別段あわてることもない。だが、大きな荷物を背負って、鼻から血を流している奇妙な外国人と人の目には映るのかもしれない。売店でぼそぼそしたサンドイッチを買った。挟まれているチーズは、周辺がかりかりに乾いて半透明になっていて、シシトウはずいぶんと辛かった。
 乗り込むバスの近くで待っていたら、先ほどの係員が運転手の方へ僕を呼び寄せ、「彼をトラブゾン行きのバスへ乗せてやってくれ」と頼んでくれた。運転手は「分かった」と言うように、手を差し出してきて握手を交わした。
 だが、いくらバスがしっかりしたもので係員の対応が親切であっても、隣に座った乗客まではその幸運が及ばなかった。英語で話しかけてきた彼は日立バッテリーに勤めていると自己紹介をした。ふうっ、ふうっと常でも荒い鼻息、足をがばっと広げ、ひじを僕の方へ突き出し新聞をばさりと開く。エアコンの風向きを自分に向けようとした時、ひどい腋臭が鼻をついた。車掌から配られたおしぼりの裏表を使って顔面を拭いていた。絶対に一緒に食事をしたくないタイプの人間だ。もちろん、長距離バスで隣席になるのも願い下げだ。
 だが、運良く明け方に下りてくれた。次に座ったのは小さな子だったが、こんな相手が体を丸めて座席に寄りかかり、足が少々こちらに触れてもそれは許せる。


戻る 目次 進む

ホームページ