黒海沿いの街

 周囲に光りが射しはじめたころ、左手に波一つない巨大な湖が見えた。だが、地図を思い浮かべてみるとそれは黒海であるはずだ。にわかには海だとは信じられないほどに水面はなめらかだ。まるで鏡のように。
 早朝6時半にギレスンへ着いた。ぷんと香ばしいゴマの香りが鼻をくすぐる。ゴマを練りこんだドーナツ状の堅焼きパン、シミットが売られていた。バスの運転手が指さした先に、深刻な顔をして「トラブゾン!トラブゾン!」と連呼する髭の親父がいた。指示に従い彼の車に乗る。
 車は黒海に沿った道をひた走る。道はぐねぐねと曲がっているので見通しが悪い。そのため前方にスピードの遅いトラックがいても、なかなかに抜けない。カーブの向こうからいきなり対向車が現れるかもしれないからだ。
 はじめの内は僕を含めて4人ほどしか乗客はいなかったが、あちらこちらで人を拾い、そして降ろしていく。乗車の意思を示すために道端で手を挙げる人がいても、不幸にして満員であれば運転手は手をひらひらとさせて「満員さ」というように示して走り続ける。老人が乗り込むと、ゆったりと座れるようにという配慮から若者は席替えを指示される。イスタンブールのバスやトラムでも老人と女性には誰もがすぐに席をゆずっていた。だから、着席しているのはすべからく女性が老人という光景にも一度出くわしたことがある。ただ、特に女性に対しては、親切からかイスラム的な発想からなのかは知らない。
 乗り込むとすぐにそれぞれの行き先を告げて料金を支払っている。助手席に座っていたカップルも「トラブゾン」と言い、2000リラ支払っていくばくかのお釣りを受け取っていた。けれどなんとなくそれに倣うタイミングを逸してしまった。まあ、よい、どうせ終点なのだから。
 だが、その二人も降りてしまったあと、三人だけが残った。ずんずん車は進み、ついにトラブゾンのエリアを出たことを示す標識をも越えてしまった。だが、運転手はすぐにUターンをした。行き着いた先は飛行場で、そこで残りの二人は降りていった。「どこへ行きたいんだい」というようなことを聞かれ「オトガル」と答えたが、思い直して「メイダン」」と言い換えた。そこには公園がありホテルも多い地区のはずだたっからだ。バスはかなりの距離を来た方へ戻り、「ここでドルムシュに乗りな」と教えてくれる。実際に乗るべき車が来るまで彼も待ってくれていたが、なかなか来ない。最終的にはタクシーをつかまえて「彼をメイダンまで乗せてやってくれ」と伝えてくれた。タクシー代は彼が払っていた。素朴な顔立ちの親切な男だった。だけれどそれは僕の消極性を肯定するものではないのだ。
 「歩き方」の地図にある宿の名が目に入り、やはりほっとする。坂の両側にホテルの看板が並んでいるので、下りながらそれぞれ値段を尋ねていく。満室だったり、一泊2500リラだったりする中、1500と言われたユヴァンで手を打つ。中級ではあるが、広いロビーや清潔な内装など、紛う方なきホテルであった。フロントは、時計と上の階を指さし、両手の平を合わせて頬にのせ、首をかしげた。まだ部屋で寝ているので、チェックアウトの時間まで待ってくれとのことだ。
 あてがわれた部屋は、窓の向こうすぐが隣の建物で風通しは良くないが、こざっぱりとしていた。共同のシャワーでは熱い湯が使えた。移動の疲れと汚れをさっぱりと落とす。
 メイダン公園の周囲には、ホテルの他にこまごまとした食料品や雑貨などを売る店、ロカンタなどが並んでいた。食事にしようと店を物色していたら、一件で「食べていかないか?(Eating?)」と呼び止めれた。いい感じに人が入っていたので、迷うことなく店内へ。ずらりと並んだ料理を適当に指さし、600リラという安さだった。しかもきっちりとうまい。ひたすら移動を続けて疲れてはいたが、こういう力のある食事をとると瞬時に回復する。店の名はウラルと言った。ここに限らず、ロシア文字の看板をよく見かける街だ。
 公園の中は、チャイハネになっていて、多くの人(主に男性)が小さなグラスに注がれたチャイに角砂糖をとかしてすすっていた。僕は近くの小さなスーパーで買った牛乳を飲んでいた。すると、手にしていたうちわを指さしながら「ジャポネ?」と話しかける男がいた。素性がよく分からない。なよっとした感じで旅行者然としているわけでもない。サラリーマンが持つようながっしりした革カバンと短パンという出で立ちが不釣り合いだ。年の頃は30代前半といったところ。だが、よどほどのことがない限り外国においては、相手が同国人がどうかは一瞬で見極めがつく。もちろん、彼も日本人だと分かった。チャイハネの席につき、チャイを飲みながら話をした。
 彼はグルジアによく行っているそうだ。彼にグルジアの魅力を尋ねると、返事は「ワインと女」というものだった。場所を移して、ビールを飲みながらだらだらと僕らは話しを続けた。首都のティビリシには地下鉄も走っているそうだ。旧共産圏というものに対してきわめて限定され脚色されたイメージしか持っていなかったので、率直に驚いた。まだ宿泊設備は整っておらず、泊まるには20ドルくらいは必要だと教えられる。
 彼が紙ナプキンに書いてくれたグルジア領事館へ歩いて出向く。ビルの3階にあり、その一つ下の階は何かの病院だった。係官は、メモ用紙に「20US$、1500000リラ」と書くが、どういうことなのか。申請手数料としてどちらかの通貨で払えということなら、リラがあまりに安すぎて対応していない。0が一つ足りないのだろうかなどと推測し1500万リラを出すと、怪訝な顔をされた。単純に、20ドルと150万リラということだった。向こうは英語ができないし、僕にはロシア語もグルジアの言葉も分からないから、たったこれだけの手続きでもあれこれと頭をめぐらせてみなくては分からないことだらけだ。
 メイダン公園付近は坂の上にあるが、道なりに下っていくとすぐに海に出る。港にツーリストインフォメーションがあるので、そこでグルジア行きの方法を細かく教えてもらおうと思った。だが、先のビールのせいか相手が言ってくれることに対して理解がおぼつかない。とりあえず、国境を越えるバス会社の名を書いてもらった。これを持ってバスターミナルへ行けば何とかなるだろう。
 夕方になって、黒海沿いの公園を散歩したが、ドブのような匂いが漂っていた。そんな中でも岸辺では多くの人が釣り糸を垂れていた。
 まだ日が沈みきらない内に食事をとって、シャワーを浴びる。今回は湯が出なかった。ベッドは昼間の熱をたっぷりと吸い込んではいたが、移動の疲れからすぐに寝入ってしまった。


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