酒で紛らわす退屈

 グルジア人宅で目覚めた朝。エジプト人のレーヒムさんが言った。「彼もこの家で泊まるとは思ってなかった。てっきり自分の家に戻るとばかり。君がソファで寝たあと、彼を床に寝せるわけにもいかないから、ベッドをゆずった」僕が申し訳ないと言うと、「いやいや、私の方の勘違いだ。それにしても、今晩のホテルを探さなきゃならんな」
 ホテルを求めて、とりあえずはそのアパートを出た。道を歩く女性に彼が「英語を離せますか」と声をかけた。僕はダメで元々と思っていたが、以外にも「イエス」との返答。話しを聞くとすぐ近くにアジャリというホテルがあるとのこと。ところが行ってみると、一泊で38ドルとのこと。「まいったな。もう少し安く泊まれるところはありませんか」と僕が尋ねたら、小学校教師のような生真面目さが漂う老女が紙にどこかしらの住所を書いて渡してくれた。
 ところが、タクシーに乗って着いた先は、どう見てもホテルではなく一般のアパートで、しかもコンクリートの残骸と言ってもおかしくない所だった。入り口には、各部屋の郵便受けがどれも開きっぱなしになっている。壁は所々で剥げ落ち、釘などで引っ掻いたのだろう落書きも。人の気配が感じられず、徹底的に恐怖を純化したらこの場所になるのではないだろうかと思うほどだ。
 道路に戻って、再びタクシーを拾った。とりあえず「どこでもよいからホテルへ」と言ってみる。どう見ても高級そうな美しいホテルへ連れていってくれた。130ドルとのこと。フロントで「20ドル以下のホテルってないかな」と聞いてみる。「それは……120ドルってことでしょうか?」と怪訝な顔をされた。

ホテルから眺めるティビリシ
 仕方なしに先ほどのアジャリに戻り、一泊だけすることに決めた。見晴らしは良いのだが、トイレの水は流れっぱなし。調度品は、どれもよく使い込まれへたっている。内装的には安宿のそれと何も変わりがない。
 ホテルのインフォメーションで、トルコへ戻るバス会社の場所と、中心部への出方を教えてもらう。そろいもそろってそこにいた女性は美しく、そして黒いブラジャーだった。襟刳りがたっぷりしていて、その気がなくても目に入ってきたのだ。
 街を流しているのは、バン程度の小さなバスだった。降りるべき場所を教えてくれた人も英語ができた。ちょっと意外な気もするが、元々僕がこのグルジアに対してまったく無知だったのだから、意外という表現はふさわしくないのだろう。
 カフェでビールを一杯注文する。さすがにここまで来ると、街という雰囲気がある。通り行く自動車できれいなものはヒュンダイか三菱だった。車は意外にアジア勢が頑張っている。だが、やはりコカコーラはここにもあった。
 とりあえず美術館へ行ってみる。客はどうも、僕しかいないようだった。各エリアごとに、館員がいるが、中には僕が横を通っても寝息をたてている人もいた。かと思うと、まるで監視するかのように僕の後を着いてくる人もいた。金やダイヤの歴史的装飾品が展示してあるエリアは、思い鉄扉の向こうにあり、ガイドが一人ついてきた。彼女が話せる言語の中で、かろうじて僕の理解の範囲にひっかかるのはフランス語だった。とは言え、ロシア語よりは分かるという程度にすぎない。彼女は熱心にいろいろと時代背景などを説明してくれているが、僕が理解できるのはごく一部の単語と年号くらいのものだった。それでも十分に見応えがあった。主として宗教をモティーフにした展示品が多かった。
 ニコ・ピロソマーニという芸術家がグルジアの出身で、世界的にも名が知られているのだそうだ。彼の絵画も数点展示されていたが、残念ながら僕にはその方面の素養が欠落しているようで、足早に通り過ぎただけだった。
 一件のバーのような店で電子メールのサービスがあったので、寄ってみた。書いたはいいけど接続がうまくいかないようで「今は調子が悪いようだ。後で送っておくよ」と言われた。が、ここから出そうとした2通とも結局は届かなかったようだ。
 バーでビールとジントニックを昼間から飲み、先の博物館で買った絵はがきを書く。ジントニックなんていうのはなかなか簡単なようだが、きちっとおいしいものを飲むのは見かけほど容易ではない。炭酸が抜けたトニックウォーターでできたそれは、甘ったるいアルコール飲料でしかなかった。
 ここグルジアの名産品はワインである。ならば、試さないわけにはいかない。ホテルの近くの食料品屋で一本買って部屋へ戻る。日本で缶ジュースを一本買うくらいの金額であった。それでフルボトルが飲めるのだ。冷蔵庫なんか備え付けられているわけがないから、洗面台に瓶を転がし、上から水を流しっぱなしにする。スイカを冷やす要領だ。わずかに黄色みがかった白ワイン。さすがにこれだけは部屋にあったガラスのコップに並々と注いでごくごくと飲む。あっさりとしていて、いくらでもノドを下りていく。結局この日の内に一本全部胃に流し込んだ。
 夕方になって食事をとろうと、もう一度中心街へ出た。食べ物屋がないものかときょろきょろするものの、カフェはいくつかあるが、レストランらしき店が見あたらない。仕方がないので、ホテルに付設されているレストランに入ってみた。町中にいくつも両替商があり、ドルをこの国の通貨であるラリーに替えていたが、どうも余りそうな気配だったからちょうどよい。せっかくだから、何か「らしい」品を頼むことにする。ビーフストロガノフとウォッカを注文した。ウォッカの名前はそのままずばり「ロシア」であった。100ミリリットルと書かれていたが、頼んでから結構な量であることに気付く。今日はどうにもお酒を飲んでばかりだ。


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