夏の追憶

 昨日、レヒームさんからの伝号がフロントに預けられていた。それに従って連絡をとり、約束した朝の8時にもう一度かのグルジア人宅を尋ねた。
 わけのわからないままにも、親切に食事と寝床を提供してくれた老人に何か感謝の意を表すべきだと僕も考えていたし、レヒーム氏もそのように諭してくれた。最初は幾ばくかのお金を支払おうかとも思っていたのだが、彼が「何か、贈り物してはどうだろう。エジプトでは直接お金を渡すよりも、品物の方がよい方法だ」と提案してくれた。さて、何にしようかと考えたのだが、二日前の夕食のときにシャンパンをご馳走になったことを思いだし、食料品屋に並んでいた一本を買って差し上げることにした。お酒を飲む人なら、よほどでない限りお酒をもらって喜ばないことはないだろうと、僕は自分を基準にして考えたのだ。
 しばらくレヒーム氏と会話が進んだ。
 「君は、ビジネスのことを考えたことがあるか?」
 答えは「ノー」だ。できるだけ考えないようにしている。
 「ビジネスでの成功というのは、旅の楽しみと同じようなものがある。もっとも、私は忙しすぎてここ5年も映画に出かけたことがないほどなんだが」「娘が医学を学ぶためにアメリカに留学しているが、かなりのお金がかかる。親としては子どもの望みをかなえてやることは喜びなんだが、その娘には『マネー・マシーン』呼ばわりされているんだ」
 彼は仕事の魅力を語り、そして僕の今後の予定を聞いた。最後はマドリードからバンコクへ飛ぶつもりだと言うと「だったら、ぜひ航空会社に言って路線を変更してカイロに寄りなさい。いろいろ案内できるし、うちのすぐ近くにはユースホステルもある」と誘ってくれた。格安チケットだからルートの変更はおそらく無理だろうとは思ったが「ありがとう、試してみますよ」と返事をした。(実際のところ、タイ航空はカイロへの路線を持っていないし、チケットにはしっかりとTG FLIGHTS ONLYと記されていたので、僕はエジプトへ立ち寄ることはできなかった)
 言葉は通じないかもしれないけれど、彼に感謝の言葉と共にシャンパンを渡し、握手をして僕なりに意を示した。最後に、3人で写真を撮って僕はバス乗り場へ向かった。
 地下にあるバス会社のオフィスの奥に呼ばれて、バスが来るまで係員とテレビを見ていた。アメリカ製の、林間学校ドタバタ騒動記らしきような映画をやっていた。吹き替えされているが、元の音声が完全には消えておらず、しかも吹き替えている声優は男女一人ずつしかいないようだった。それでも筋はあまりに明快で(主人公のグループと、ガキ大将的グループとがいたずらを仕掛け合って対立している。主人公グループはその内に相手の罠にはまり林間学校から強制的に家に帰らされる。けれど、活劇を経て誤解は解け、しかも思いを寄せいていた女の子と仲良くハッピーエンドというものだった)
 時折その係員が「どうだい、こいつは愉快じゃないか」と言わんばかりに画面を指さして僕を向いて笑った。僕も笑い返した。
 彼が「グルジアをどう思う?」と聞いてきたので僕は「ハラショーだ」と答えた。「バスが来たよ」と教えてくれて、荷物を背負って外に出るとき、今度は「ダスビダーニャ」と言ってみた。ロシア語レッスン1というところか。
 バスはベンツ製であった。足回りはふにゃふにゃとしていて頼りなさげだが、エンジンは粘りがあってパワフルだった。行きののろのろバスとは大違いだ。
 隣に座った中年の女性が、菓子パンとパイを一つくれた。かなり食べでがあった。どちらかと言うとお腹が減っていたわけではないのだが、ありがたく好意をちょうだいした。引き続いて「コーラ飲む?」とも言われたが、そんなに甘いものばかりはちょっと苦しいので、それはお断りした。しかし彼女はよく食べ、そしてコーラもしっかり飲んでいた。まあ、そういう食生活の結果としてきわめて妥当な体型をなさっていたのだが。
 バスは緩やかな起伏のある道路を走り続けている。目に入るのは、広大な畑とポプラの並木。ポプラの枝は、そのどれもが横に伸びることを知らず、ひたすらに上へ上へ向いて生えていた。遠くには山並みがくっきりとしている。まるで北海道のような情景だと思った。本当に緑が豊富で、そこら辺の丘をカメラに収めて「これはスイスだ」と言っても通じるような気がするほどだ。いずれ国が立ち直れば、観光でもやっていけるかもしれない。
 からっとした青い空へ続く道路とその先に浮かぶ雲とを見て、僕の旅というのは夏を求めているのだと分かった。これまで随所で漠然と感じていた求めるものの正体がふいに明らかになったのだ。心の震えをもっともよく象徴するのが夏なのだ。それは夏休みと言い換えても差し支えないようにも思われる。まったく自由な長い時間。そこでは自身の力によって未知の世界を切り拓くことができる。強烈な憧れによって前へと進み、その過程で僕だけのものを確かに獲得する。それらはある時は知識でもあり経験でもあり、時として苦痛や挫折かもしれない。夏に含まれるイメージが心に映し出される時を追い求めて僕は旅をしている。
 道を行く車はいずれもさしたるスピードが出ていない。あるいは、出せないのか。それでも、前方の車が遅いと、それを抜こうとしている。後続車が一斉にその車を抜こうとするものだから、まるでカーレースのように見える。2車線に3列に並んだりもする。それでもスピードがないから、のどかでおかしみがあった。たまに対向車が来ると、隣の車線にはみ出していた車が、一斉に左に戻り始める。まるででこぼこの地面がさっと均されるようだ。
 昼食の休憩時、別段何も食べずに日陰をぶらぶらしていると、運転手たちのテーブルから「ジャポン!」と声がかかった。「食べなよ」ということで、ナンをチーズを挟んで焼いたようなものと、シシカバブ、それにファンタオレンジをご馳走になった。熱々のチーズがおししい。
 ところがバスに戻ると、再び隣の女性からサラミをのせたパンを頂いてしまった。かなりしつこく遠慮したのだけれど、迫力に負けた。このバスでは本当によくご馳走になった。道端に軒を並べる店の前で停まったときには、そこで買ったザクロを再び運転手からもらったし、通路を挟んだおばさんからはリンゴやら桃やらをいただいた。その度に「ジャポン!」と呼びかけられた。
 「次はどこに行くの?」「(地図を示しながら)カッパドキアに行こうと思っています」「アンタルヤもよい所よ」「日本料理はおいしい?」「とてもおいしいですよ」「あら、そうなの。でもねグルジアのお料理はもっともっとおいしいでしょう」隣の女性とのおしゃべりはかなりの程度しっかりとできた。「歩き方」巻末のトルコ語の表と身振り手振りだけで。時計を指せば、それは時の概念を示し、「チョク(とても、という意味のトルコ語)」を重ねて発音すれば、それは比較級を意味した。
 運転席の時速計を見ると、時として120キロを超えている。うまいこといけば日のある内にトルコに戻れるかもしれないと期待する。だが、夕陽のころはまだグルジアの黒海沿岸を走っていた。白くのっぺりとした雲の向こうに霞んでいた上質紙を鋭利なカッターで切り取ったような昼間の太陽が、あっと言う間に重みのあるオレンジ色の球体に変容し、辺り一面をその色で染めた。グルジア時間で8時20分に国境に到着した。バスを下りると、ちょうど太陽が黒海に没する瞬間だった。
 僕の今まで知る限りでは、出国審査というのはさほど厳しいものではなかった。それはそうだろう。何かを持ち込まれたり危険人物が入国するのを危惧するのはよく分かる。逆に出ていく物に関しては、その国としてはある意味でどうでもよいところがあるのだから。
 ところが、グルジア出国は違った。堅苦しい雰囲気があって、みんな書類を書いてはあちこちの窓口へ並んでいた。税関の係官は支払われたドルをポケットにしまったりしている。
 僕もとりあえず同じようにしてみるけど、「あなたは、よいのだ」と言われる。パスポートをみているとどうもグルジア人の出国に色々と制限があるみたいだった。
 僕はすることがないので、2ラリー少々余っているから、免税店で何かお酒でも買えるだろうかと覗きに行ったのだが、どれも価格はドルで示されていた。それにシーバスリーガルの20ミリリットルほどの瓶で3ドルしたから何も買わないことにした。
 グルジアからトルコへ行く大きなトラックに赤いコンテナが載っていた。僕をそれを見て思わず「K-LINEだ!」と声を上げた。こんなところまで川崎汽船が来ているのだ。見知らぬ土地でふいに見知った物に出会った喜びは大きかった。心が磁石のようにそのコンテナに引きつけられた。
 率直に言って、第三志望のあたりだったが、就職活動でこの会社も受けていた。なんと言っても、海外に出るチャンスがきわめて高いところがよかった。いくつかの会社のパンフレットを見たが、群を抜いて川崎汽船のそれが一番よかった。読んでいて興奮する会社案内なんてそうそうあるものじゃない。まあ、結果的にはここよりも先に第二志望が決まったから、2回ほど足を運んだだけだったのだが。
 トルコの入国のスタンプは、机の向こうにいる係官にいかに自分のパスポートを受け取ってもあるかの勝負だった。もちろん、バスの乗客がそろわないといけないのだから最初でも最後でも結局は同じことなのだが、押し合いへし合いをいつまでも続けていても仕方がないので、前方に出て腕を思いっきり突き出した。
 結局国境越えには3時間半かかった。時計を1時間戻してトルコへ再入国。相変わらず岩や穴だらけの道をバスは慎重に進む。夜中の12時半が夕食だった。これ以降、睡魔に襲われる。万一トラブゾンを寝過ごしてい待ってはかなりまずいことになる。なんせ、このバスはイスタンブールまで行くのだから。それでも、重い鉄の扉が慣性の力によって止めることはできないほどに強く強く眠りの淵へ引きずり込まれる。
 トラブゾンのバスターミナル到着はトルコ時間で午前3時。寝過ごさずにすんだ。全部で16時間の行程だった。行きよりはかなり早かったが、それでも午前3時というのはなかなかに不便な時間だ。もう3時間か4時間くらい遅れてくれた方がありがたかった。
 どうしようもない時間に着いた場合の対処法としていくつかのケースを想定していたが、オトガルのオフィスには人もいることだし、何よりベンチで寝ている人もいることだから、僕もそれに倣うことにした。しんどいことはしんどいけれど、タクシーをつかまえてどこかの宿に何とか転がり込むよりはよっぽど楽な選択肢だ。
 長ズボンと長袖をまとい、荷物はチェーンでベンチにくくりつける。小さい方のザックは頭に触れる位置に置いておく。ところが先ほどまでの無慈悲なまでの強烈な力はすっかりなりをひそめてしまい、うまく寝入ることができない。誰かに起こされて、ここを動くように促された。仕方ない、外のベンチで寝るかと思ったら「寝るのなら、このカウンターの中で寝たらいいよ」と親切にも言ってくれた。並んだ椅子の上に横たわると、彼が枕代わりにそこにあった上着を丸めてくれた。これがまた、鼻の奥が痛くなるほどに汗臭かったのだが。それでも、先ほどよりも横幅がある分寝やすい。バスターミナルで寝るのは、最初の旅行の時のクアラルンプール以来2度目かな、なんてぼんやりと思い浮かべた。眠りに就きながら、目覚めたら熱いシャワーよりもまずうまい食事を腹に収めようと思った。


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