影の向こうに

 バスターミナルのどこかの会社のカウンター奥で寝ていたが、人のざわめきで目覚めた。ドルムシュに乗って、坂を上り、先に泊まったのと同じユヴァンというホテルにチェックインした。熱いシャワーですっきりとして、やはり前と同じレストランウラルで食事をした。そうか、今日は長崎に原爆が落とされた日だったのだ。レストランウラルの壁にかかるテレビからふいに聞こえてきた「ナガサーキ」という音で知る。
 22才というのもあと1ヶ月のことかと、公園のチャイハネでふと思う。周囲の木々には巣箱がいくつもつるされている。写真屋、靴磨き、新聞売り、体重計測屋、血圧測定屋、刃物売り。チャイをすするテーブルの周りには様々な商売をする人がいる。
イスタンブールで購入したヨーロッパの地図帳をめくりながら、今後の予定を漠然と考えてみる。アンタルヤからヴェネツィアまでは船で出る。時間にもそれほど余裕があるというわけでもないし、陸路で行くなら、東欧やバルカンの国々を通過せねばならずヴィザの問題など何かと鬱陶しそうだったからだ。これからもう少しトルコをまわって、ヴェネツィア→ピサ→バルセロナ→セビリア→マドリード→ロカ→モロッコ→マドリードという路程を基幹とする。マドリードからはバンコクへ飛ぶ。
 やはり目標であるロカ岬は外せないし、片足だけでもアフリカ大陸にも足を踏み入れてみたい。欲張りだとは思うが、どう削るかは実際に動きながら考えたらよいだろう。
 次の目的地カッパドキアへはすぐにでも向かうこともできないではなかったが、一日はさすがに休息のためにとっておいた。カフェでのんびりとし、町外れにあるビザンティン時代の城壁までぶらぶら歩いたりしていたが、なかなかに退屈でもあった。
 今日はまた移動である。朝食に久々のシミットを食べ、チャイを飲む。乾パンのように歯ごたえがあって、ほんのりとした甘みとゴマの香りがする。シミットをかじりながら散歩をしていると、今夕グルジアに行くという人に声をかけられた。僕なりの感想を伝える。
 ホテルでシャワーを浴びて、支払いをすませた。最後の食事もレストランウラルだった。店を切り盛りする親父に瓜二つな少年がいて、言葉を交わしたわけではないが、目が合うとにっこりとするという程度の間柄にはなっていた。彼に「バイバイ」と伝えようと思っていたが、チャイの出前にでも出ているのか、会うことはできなかった。
 フロントに預けていた荷物を引き取って、チャイハネでアイランでも飲みながらバスの時間を待とうと思う。フロントの若者と別れの挨拶をすませ、公園に向かうと、向こうからザックを背負った短パンの女性が歩いてきた。日本人だろうか、すれ違いざま頭をさげようか、でも……と判断を躊躇していたら、先に声をかけられた。「ニホンジン?」
 ロンドン在住のシンガポーリアンとのこと。安宿を教えて欲しいと言われた。彼女は日本語を話すことはできたが、片言だったので英語で話すことにした。ユヴァンが「キレイだよ」と勧めたら「じゃあ、おすすめのにする」とのことなので、出てきたばかりのホテルに引き返す。
 彼女が部屋を確かめたり、チェックインをしている間、僕はロビーでニュースを見ていた。山崩れのニュースだった。フロントの人が「リゼ」だと教えてくれた。トラブゾンから東へ80キロほどのところで、グルジアからの帰りにも通っていたはずだ。間一髪のところで僕は幸運だったのかもしれない。これからグルジアに行くと言っていた、先ほどの人は大丈夫なのだろうか。
 せっかくだからと、彼女と「お茶でもどう」と誘ってみた。チャイハネで彼女はコーラを僕はアイランを頼んだ。カッパドキアから来たというので、宿の情報をもらった。
 「いくつ言葉を話せるの?」と尋ねてみたら、「7つ」という返事が帰ってきた。「北京語、広東語、英語、日本語、マレー語……」さらに「今はフランス語もやっているの」
 彼女と別れて、二日前に睡眠をとったバスターミナルへ再びやってきた。「カッパドキアへ行きたいんだけど」と伝えてとった切符には「ニーデ」が行き先として記されていた。ところが地図で見てみると、ニーデというのはカッパドキアよりも南になる。それならば、行き過ぎではないか。むしろその手前のカイセリを経由した方がよっぽど近い。先のシンガポーリアンもカッパドキア、カイセリ、トラブゾンと動いてきたと言っていた。窓口の女性は「カイセリ、ギョレメ、ノー」「ニーデ、ギョレメ」と言うが、とにかくカイセリにしてもらい、差額を戻してもらった。6000だったところが、1500リラもどってきた。
 そう言えば彼女は方向は逆だが同じ道のりを、3000リラのバスで来たと言っていた。しかし、今さら安い会社を探す気もない。何だかいつの間にか「1円でも安く」よりは、まあ、長い道だししかも夜行なのだから「快適な方を」と自分の指向性が変わってきたことに気付く。
 カッパドキア地方にはいくつかの町や村があるが、安宿、観光ルートということを考え合わせてギョレメという村へ向かうことにしていた。
 黒海を右手に見ながら、バスは西へ進む。ところが、出発してすぐに崖崩れした場所があって、土砂が車線を塞いでいるために渋滞していた。
 何度かの休憩があったが、夜半を過ぎると外気はかなり冷たかった。せめて長ズボンにしとけばよかった。熱いチャイで暖をとる。
 真冬の月のように鋭利な輪郭の白い月が浮かんでいたが、なぜか星は数えるほどしか目に映らない。なだらかに起伏する平原が、月明かりに影として際だっている。雑多なことが胸を去来する中で、自分はいい友人に恵まれているよな、と今更に思った。あるいは人恋しいのかもしれない。夜行の旅も乙なものだ。昼間は風景を楽しめるが、夜は影の向こうを見通すことができる。
 バスの時速を大体6、70キロとして道路標識を見ながら到着時刻を計算しておく。「カイセリ・130km」という表示を見た。あと2時間ほどか、ちょうど夜が明けるころだなと思いながらいつの間にか夢を見ていたが、到着したらちゃんと目が覚めた。


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