岩と砂の村

 ひょっとしたらカイセリに到着するのは真夜中になるかもしれないと、はじめの内は心配していたが着いたのは朝の5時半だった。今度はバスターミナルで寝ずにすんだ。朝の空気に肌寒さはあるが、すでに靴磨きの男性も働いている。モスクの屋根が朝日に輝いている。爽快な気分で今日が始まった
 やはりここからギョレメへ出るバスはあった。トラブゾンでの説明は「うちのバスでは、カイセリからギョレメへの路線はない」ということだったのかもしれない。
 ギョレメのバスターミナルは、むしろ駐車場というくらいのものだった。バス会社、旅行代理店が2、3軒並んでいる。とっさに目に入った代理店で宿を教えてもらった。宿の人が迎えに来るまでの間、近辺のツアーについて、壁にかかった地図を示しながら熱心に説明してくれた。ワイナリーでの試飲とスターウォーズの舞台となった谷の見学には少々心惹かれるものがあった。
 チェックインした宿は、ま、こんなもんだろう、という程度に安宿然としていた。日本人女性が一人いたが、もしかしたらそのことがおすすめの理由だったのかもしれない。

カッパドキア
 カッパドキア一帯は、つい先日までの黒海沿岸とまったく趣を逆にする。湿潤と乾燥。からからに乾いている茶色い大地からは、筆の穂先のようなアスパラガスの先端のような、あるいは少々形の崩れたホイップクリームのデコレーションのような鈍重な三角錐形の岩が無数ににょきにょきと生えている。いやむしろ、生えていると言うよりも、空からぼてっと降ってきたように見える。中をくりぬいて住居や宿としている所もある。
 暑い中、ギョレメの屋外博物館へ徒歩で出かけた。その岩をかつて教会として使っていたのだそうだ。壁画はさほどおもしいものでもないが、岩によじ登ってぐるり見渡すと絶景である。帰りがけにのどの乾きを一本のビールで癒す。
 沈む夕陽を見ようと、村の外れのちょっとした丘を上る。途中でカボチャのようにつるのある作物が植えられた畑の横を通った。奥の方には巨大な壁のように平べったい岩山が左右に伸び、近景には村の家々と三角錐岩とが共に並んでいる。夕陽を浴びたそれらの岩は、紅茶を薄めたような赤とも茶色ともつかない薄い色に染められていた。
 オトガルのすぐ横、涸れた小川に架かる橋を渡ったところにあるバーがハッピーアワーだとの看板を見かけたので、ビールを飲みに出かけた。トルコではやはりエフェスビールだ。ビールはよいのだが、テレビで流れていた番組は「シンプソン一家」で、これは不愉快だった。のどをつぶしたような汚い声か、無理に高音を出そうとしているヒステリックな声で、ドタバタのナンセンスな話しが進行する。周囲の(おそらくはアメリカ人だろう)は、ひっきりなしに笑い声を立てるが、僕にはそのおかしさがさっぱり理解できない。文化の違いと言ってしまえばそうかもしれないが、それにしても少々くだらなさ過ぎる。
 夕食を取っていたら、たまたま後ろの席で日本人がアメリカ人に「ポルトガルへ行ったこともある」というような話をしているのが耳に入った。食事を終えて、彼らの席へ近づいて「もし、よかったらポルトガル近辺について教えてほしいんですが」と日本語で言って、もう一人には僕が唐突に二人の会話を割って話しかけた理由を英語で伝えた。
 彼、早稲田の学生片野君は僕の目指すロカ岬へも行ったと言う。コルドバのイスキータという美しいモスクへの行き方や、バターリャ、アルコバサなどの街がおすすめだと言うこと、あるいはナザレのツーリストインフォメーションには日本語の観光案内も置いてあるということなどを教えてくれた。また、マドリードはあまり治安が良くなく、リスボンでは交通機関を色々乗れるリスボンカードというのがあるが、元をとるのは実は大変だから買わない方がよういだろうとも助言してくれた。
 彼ともう一人いたアメリカ人と共に、星を見に行こうということになった。夕陽を見たのとはまた違う高台へ登った。もちろん、これも岩山だ。巧い具合に頂上付近で村が一斉に停電した。僕が認識できたのは天の川とさそり座くらいだったが、これだけ大量の星を見たのは昨夏のインドネシアのブキッラワンでのジャングルトレッキングの時以来ではないだろうか。あるいはそれい以上かもしれない。三人が三人とも空を見上げ、たまに星が夜空を横切ると「あ、流れ星だ」とあとの二人に伝える。けれどその方向を見たときには既に星は燃え尽きてしまっている。
 ここに寝転がっていられたらどれだけよいかと思うが、野犬が出没するらしいのでそうはいかない。何より、寒さを覚える。昼夜の気温差がかなり激しい。昼間は日射病にかかるほどに照りつけ、気温も高いのだが、夜になると日本の秋から冬への変わり目くらいの寒さになる。
 ハードロックペンションという名のホテルにそのアメリカ人の彼が宿泊しており、坂を下りて村の中心部へ向かう途中にあった。「お茶でも飲んでいかない?」と誘われたので、エルマチャイというリンゴの香りのするチャイを飲んだ。彼は既に1週間ここに逗留しているので宿の主人とも仲良くなり、値段も通常よりは安くしてもらっていた。
 このハードロックペンションは、例の岩をくりぬいて客室にしていた。彼の部屋を見せて貰ったが、白い清潔な感じでちょっとしたホテルのようだった。ツインの部屋を一泊10ドルで使っているとのことだったが、1週間ここで過ごすのも分かるような気がする。
 せっかくだから僕もこのような岩窟ホテルに泊まってみたいものだと思う。


戻る 目次 進む

ホームページ