地下で暮らす

 カッパドキアの朝はとても涼しい。そして何もかもをくっきりと際だたせる澄んだ空気の中に、無数の岩がそびえている。混じりっけなしの夏がここにはあった。ひやりとした風は、一抹の寂しさ、夏故の危うさを確固として含んでいる。
 さしたる特徴のない宿を一泊だけで出て、いわゆる洞窟ホテルにと移動した。宿の前には花が植えられていた。ドミトリーには、岩を掘ってできた半地下くらいの深さの空間にベッドがいくつも配置されている。日が射さないから本当に真っ暗で、いくらじっとしていても目が慣れるということはなかった。ややかび臭い特有の匂いと、鍾乳洞のようなしんとした肌寒さが漂っていた。午前中にチェックインしたが、ほとんどのベッドにはまだまだ人がぐっすりと眠っていた。
 とりあえず荷物だけを置いて、ネブシェヒルへ出る。昨夜知り合いになった片野君と行動を半日ともにすることにした。
 この地方の中心都市であるネブシェヒルからしばらく南下するとカイマクルがありそのさらに先にはデリンクユという土地がある。いずれも地下都市の遺跡を見物することができる。
 縦横無尽とはこのことだろう。おのおのの部屋や廊下は、上下左右に連結している。基本は矢印で示された順路に従いつつも、ちょいちょいと横道へ逸れてみる。電灯の届かない穴は、おそるおそる手を伸ばしながら進んでみる。ちょっとした探検気分であるが、やはり暗闇には恐怖がつきまとう。
 いくつかの場所には看板で「井戸」「食料貯蔵庫」などの案内が示されている。いったい、どのような人間が光の射さないこの地下の空間で生活をしていたのだろうか。
 地上に戻り、太陽光にほっと一息つくと、女性ばかりが集まって、太鼓のリズムに合わせて歩き、木陰に集まってみんなで食事をしている光景に出会った。祭りにしては、華々しさに欠けるような気がするが、何なのだろう。
 次いで、さらにドルムシュを乗り継いでデリンクユへ。先のカイマクルは広く浅く(それでも地下5階まで見物できる)、こちらは狭く深いのだそうで、地下8階まで下りて行くことができる。先のに比べて、それほど横に逸れるだけの部屋や通路があるわけではない。だが、ひたすらに下りていくことができた。通路は時として腰をかがめなくては通れないほどだが、腹這いになるという程度でもない。
 やはり今回も地上に出てくると、太陽のある世界こそが正当なのだと確信した。
 片野君は外大の友人から借りたというトルコ語の辞書や単語集などを持参していて、やりとりも片言のトルコ語が混じっていて格好良かった。トルコレストランでアルバイトもしていたのだそうだ。マイナーな言語が好きで、バスク語もかじっているとか。
 二人で夕食をとった。一人で二皿を食べることはできなくとも、二人で三皿を注文するということは可能だ。二人で行動することによる実質的な利益として、写真の撮影をすぐに頼めるということと、食事のバリエーションが増えるということがあると思う。
 彼は今晩ここを発つので、取り立ててすることもない僕は見送りにバスターミナルまで着いていった。バスを待ちつつ彼と話しをするが、(もちろん、全員が全員というわけではないのだが)欧米人の旅について共通した意見を持っていた。それは文化や考え方の違いですませられることなのだろうか。一度地元民から見た各国別旅行者像というのを聞いてみたいものだ。
 一人に戻って、冷たい風の吹く宿の屋上で月を見上げつつエルマチャイ(リンゴ味のチャイ)をすする。ここ最近の日記の中身が薄いことが気にかかる。決してトラブルを期待しているわけではないのだが、なぜ日記に記そうと思うことがこれほどまでに少ないのか。ノートの片側一ページで軽くすんでしまう。慣れてきたことで、これまでは新鮮味の感じられた物が心に引っかからなくなってきたのか、あるいはアジアではないからなのだろうか。だからと言って、アジアのあの興奮を求めてここで努力をしようとはさらさら思わない。自分がこのような精神状態にあることは絶対肯定だからだ。ならば、その上で新たな楽しみ方を探してみたいものだ、というように僕の心は動く。ひょとしたらそれはお金を使うということになるのかもしれない。
 暗闇にそびえる岩の間を、一日の最後のコーランが響く。


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