病魔、そして急速な回復

 来てしまった。どこかで一度くらいは激しく体調を壊すだろうと経験則に基づいた予想はあったが、それがまさに今日になった。目覚めると、全身がだるく力が入らない。それでもまだ食事をしようという意志はあり、何度か足を運んだ店でケバブサンドイッチとオレンジジュースのセットを注文する。ウエイターに「申し訳ないけど、体調を崩してしまって」と言い訳をして三分の一ほどを残したまま店を出た。寒気がするので、変温動物のごとく日溜まりでじっとする。
 やはり昨晩泊まった洞窟の部屋がよろしくなかったのだろうか。妙に湿っぽいベッドとかび臭い空気。久しぶりに首のまわりがかゆくなったこともあるし。
 とにかく部屋を移ることにした。7ドルでトイレシャワー付きの個室。もちろん窓もある。別段トイレ、シャワーは共同の安い部屋でもよかったのだが1、2ドルをケチっている場合でもなかった。
 熱、頭痛、腰痛、背中の痛み、下痢、そして全身の倦怠感とありとあらゆる症状が出た。特に下痢は激しく、部屋の中にトイレがあることに感謝を捧げた。何を飲み食いするわけでもないのに、ひたすらに胆汁の色をした水分だけが排出される。腹の中のぎゅるぎゅるという音がはっきりと聞こえる。ベッドの上で文字通り七転八倒。体力を確保するために眠ろうと努力するが、それすら許されないほどにつらい。
 まずは下痢止めの薬を飲むが、半日待っても改善されなかった。夕方に抗生物質を服用すると、腰の痛みが少し和らいだ。
 水分はきちっと確保しなくてはという思いから、日が暮れた頃に外に這い出した。歩いているのかふわふわ浮いているのかさえも判然としない。だが、100メートルほど歩いただけで道端にしゃがみこんでしまった。ごく基本的な、左と右の足を交互に前に進めるという行動さえもままならない程度に体力が激減していた。いや、それ以前に二本の足で体重を支えることすら楽ではない。全くもって力が入らない。それでもそのまま衰弱しているわけにもいかないので、もはや気力だけで近くの店へ入り、水とトマトとバナナ、それに紙パックのオレンジジュースを買った。
 たかだか2キロほどの荷物があまりにも重荷になっている。行きと同じように途中で休憩を挟んだ。先ほどのオレンジジュースのパックにストローを刺し、ちゅうちゅうと吸う。普段なら間違いなく甘ったるすぎる味なのに、今の僕の身体には深くしみいる。
 なんとか部屋にたどり着き、トマトを1個とバナナを一口半ほど胃に流し込む。尋常じゃない苦しみの中で、明日になってもあまり変化がないようであれば、保険会社に電話して病院の手配を頼もうとまで思った。
 眠ったはずでも、夜中になると何度か目が覚めてトイレへ駆け込んだ。
 だが、それでも翌朝になると「動こう」という前向きな意志が発生するほどには回復をしていた。抗生物質が効いたようだ。おそらくなんだかわけのわからない細菌が全身を駆けめぐっていたのだろう。相変わらず下痢は続くが、物は食べられるようになった。こういう状況でパンを口にしようという気にはなれず、麺類ならあるいはと思い、スパゲティーボロネーズを注文してみたが、やけに水っぽいソースにふやけた麺が絡められていてうまいものではなかった。
 三本のキノコの形をした岩や、ワイナリー、あるいは銀細工のよい店があるというユルギュップへ足を伸ばすのは明日にしよう。もし体力が戻ってくれば、今日はドルムシュで10分のところにあるウチヒサールの見物だけに留めておこうと思った。トルコの最終地点であるアンタルヤへはあさっての朝一番のバスをおさえた。ここから船でヴェネチアまで出ることに決めていた。
 出発は明日の夜でも構わないのだろうが(と、思えるほどに急速に回復していた)、やはり退屈さに捕らわれてもここで時間をとってしっかりと体調を調えておきたい。
 トルコはそろそろ終わりだし、次に向かうアンタルヤよりはカッパドキアの方が田舎である分だけ物価も安いだろうからというような理由でトルコ土産はここでまとめて買うことにした。青いガラスで目玉を形取った魔除けのナザールボンジューやチャイのセット、それに独特のデザインをした帽子とジャケット(服を買ってきてほしいという友人のために)なんかをバスターミナル裏にある土産物屋でまとめ買いした。もちろん、大分値切ることができた。
 昨日一日の苦しみからすれば少々意外なまでに、体力と前へ進もうという気力が戻ってきた。予定通りウチヒサールへ向かう。「尖った砦」という意味を持つウチヒサールというのは、巨大な岩である。どれくらい巨大かというと、一山丸ごとを一枚岩が構成しているというくらいなのである。見上げると、背景にはあまりに真っ青な空が広がっている。けれど、僕がこれまでに知っている熱帯のあの青さとは違い、紺碧というよりも淡い水色である。しかもそれはあっけらかんと乾いた色をしているので、現実感が薄れるほどだ。まるでよくできたカラーコピーであり、空と岩は実は同じ平面にあって、上の方を挟みで切るとクニャリと落ちてきそうに見える。
 けれどもちろんそれは三次元の世界で、僕は砂の斜面に足を取られながら、休憩も挟みつつゆっくりと登っていった。だが、やはり体調がまだまだ思わしくないということと、どうもあの洞窟部屋がよろしくなかったのではないかというイメージがちらつくから、見下ろす広大な砂と岩の土地も、無数の穴が掘られたこの城塞も、決して心地の良いものではなく、じっとりとした圧迫感を感じてしまう。
 とりあえず今日やることはやったし、これ以上はやめておいた方がよいだろうという気持ちも働くので、チャイハネで席をとって、チャイをすすり夕食までの時間をつぶすことした。けども盃に2杯程度くらいの小さなグラスに注がれたチャイはどう粘ったって30分ももつものではない。
 だから僕は「ノルウェイの森」をいつものようにめくる。この旅の間だけでもすでに4、5回は読んだと思うが、それでもいつ読んでもそれまでは気が付かなかった(あるいは見落としていた)部分があり、ハッとさせられる。以前、自分がどこかで使った発想や文章は全てこの中におさめられているように思えてならない。それだけに僕を構成する要素として大きな意味を持つ物語である。


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