最後のバス

 トルコの最終地点であるアンタルヤを目指してギョレメを発った。観光地とは言えど交通の要所ではないギョレメからアンタルヤへ出るバスには選択の余地がなく、ギョレメツアーに乗る。同じバス路線でもいくつかの会社が乗り入れていることが多いので、そのグレードを使い分けることができるが、今回はそうはいかない。それでも、これまで目にしてきた中ではギョレメツアーもなかなかのバスがあったので、さほど心配はしていなかった。
 が、少なくともこれに限っては外れた。エアコンは効いているのやらいないのやら、風を通すために車掌が時折天窓を開ける。車内を飛び回るハエが僕の手足に止まるのはそれほど気にならないが、顔、特に唇の上で手足をすりあわせるのにはガマンがならない。
 地図上の距離とこれまでの経験とを照らし合わせて6、7時間の道のりだろうと踏んでいたがそう甘くはなかった。「あの山を越えれば」と何度思ったことか。砂と岩の山々に、いい加減うんざりして頭痛まで起こる始末。「トルコは、もういいや」と思い始める。
 夜の9時を過ぎて、ようやく「アンタルヤ・100km」との看板をとらえると、頭の中でファンファーレが鳴った。
 だが、そううまくは進まなかった。最後の山を越えて、眼下に都市の光が広がり始めたとき、警察によってバスが停められた。乗り込んできた警官が、一人ひとりの身分証をチェックしていく。こういうとき、とりあえずはパスポートが唯一絶対のものだから、首から下げた貴重品袋からごそごそと取り出して提示する。一瞥しただけで返却されたが、どうしたわけか僕の隣に座っていた若い男性が外に連れ出された。いったい、これでどれほど足止めを食らうのだろうといういらだちが起こる。何がどうなったのかはまったく知らないが10分もせずに彼は席に戻り、再びバスはあふれる光へ向かって下り始めた。
 11時間かかってアンタルヤへ到着。バスターミナルはまるで新築の空港のようで、建物の出入り口には金属探知器を持った警官まで立っていた。その警官に市内へ出るドルムシュの場所を教えてもらい、敷地の外へ出る。うまい具合にやってきたドルムシュへ乗り込む。
 村と言ってよいほどのちんまりした、しかし賑やかな集落を縫うように進む。屋台の蛍光灯には赤や青のセロファンが巻かれたり、街頭のランプがオレンジ色をしていたりと、アジアを彷彿とする。車内にはどことなく親密な雰囲気が漂う。こういった情景に僕の心は躍る。しかしそれは、久々に夜でも気温の高い土地に来たことを引き金としてアジアの記憶を追体験しているだけなのかもしれないのだが。
 カレイチと呼ばれる旧市街でイヴリミナーレという尖塔を目標にバスを下りる。ものすごいリゾート地だ。この時間でも観光客が通りを歩き、土産物屋が活況を呈している。
 とりあえず宿を確保しなくてはいかない。すぐに客引きに出会い、一泊20ドルから8ドルへと値段が下がる。ところが「車で送るから」という申し出はいつの間にか「自分で行ってくれ」に変わった。その言葉でやる気をなくし、とりあえず「歩き方」を眺めてほど近い宿を目指す。しかし、なかなかに路地が入り組んでいて目標とするところがはっきりしない。シーフードを店先に並べたレストランや、アクセサリーなどの土産物屋が目に付く。歩いているのはリゾートを楽しみにやってきたヨーロッパ系の観光客といった風だった。
 とにもかくにも、目に付いた宿で一泊を確保する。1階には営業している雰囲気はないがミニバーがあった。客室へ上がるには螺旋状の階段を上る。廊下には置物まで配置されていて、「館」という感じがある。ベッドも広々とダブルだった。この時には気付かなかったが「歩き方」によると売春宿でもあるらしい。なるほど。だが、親子連れの旅行者も泊まっていたし、少なくとも一泊の間にはそのような雰囲気は感じ取れなかった。
 バスを下りた辺りをうろつき、少々ファミリーレストランやファーストフードの様相を呈したロカンタでビールを食事をとる。店員は気さくだったが、ビールはさほど冷えておらず、料理はそれほど温かくなかった。
 しかし水の出がよろしくないので、明日には変わろうと思った。快適な宿の条件の一つに、僕はシャワーの出の良さを挙げるからだ。窓の外からはまだまだ人のざわめきが途切れることなく流れ込んでくる。気温が高いので、広々としたベッドの上でパンツ一丁で眠りに就く。


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