船を求めて

 朝一番、チェックアウトの時間が来る前に移る先を探す。「歩き方」にあった安めの一軒にて、主人との会話。
 「日本人は、み〜んな私のところに来るのよ」「別に、日本人に会いたいわけでもないんですよ」
 「広い部屋でしょう」「狭くても汚くてもいいから、もうちょい安い方がいいかな」
 「私は教師をしていたから、若い人や学生さんが大好きなのよ」「でも、もうちょっと安くなんない?」
 一日二千リラのところを三千で二泊ということにならないだろうかと持ちかけてみたが、「二千よ。私は学生さんが大好きなのよ」
 確かに値段は悪くないけれど、このおばちゃんがしんどいからもう少し回りをみてから決めようと思った。「気に入ったら、あとでまた来ますね」と外に出ようとしたら、彼女が言った。「出てってちょうだい。バイバイ。ミッキーマウスのところにでも泊まったらいいわ!」
 あはは、まいったまいった。こんな教師には絶対会いたくないなあ。何というか、小学校の天真爛漫な嫌われ者のお婆さん先生という感じ。いずれにせよ、サービス業をやっている人の言葉ではない。
 到着が夜だったので、街の様子がほとんど分からなかったけれど、ここら辺まで歩いてくると明らかに宿の質が変わってきて、安く泊まれそうなところが増えてきた。そして、ちゃんとよい所を見つけた。そういうことを感じさせる匂いみたいなものをしっかりと嗅ぎ取れるのだ。値段は先ほどと同じ二千リラ(そもそもは三千と言われた)ではあるが、屋上からの眺めがよく、シャワーの出に勢いがある。さらに言えば、シャワーが壁に固定されているのではなく、ホースなので自由に動かせるという点においても彼女の宿より優っていた。
 荷物を運んで来ようと元来た道を引き返していたら、半地下になっている部屋から先ほどの先生が僕を見つけて「日本人!」と声をかけてきた。「いった、あなたはどこに泊まることにしたのよ?」
 僕の返事はもちろん決まっている。「ミッキーマウスの所だよ」
 一軒のキリム屋さんの店先に日本語で無料の地図がもらえるとあったので、一部ちょうだいする。それによると、なんとこのアンタルヤは、猿岩石がフジツボを食べ、彼らを追いかけてきた室井滋がハマムでアルバイトをした街だとのこと。
 さて、僕がアンタルヤへやってきた目的はフジツボでもなければヒッチハイクでもない。ヴェネチアへ出るためである。とにかく切符をおさえたい。アタチュルク通りをずっと行った所に旅行代理店があると道端の人に聞いたので、歩いて行くも「ここでは扱っていません」。「あの交差点を左に進むとアタチュルク像があって、その目の前の代理店でヨーロッパ路線を扱っているので」と教えてもらい、また歩く。ただ、そこのカウンターにいた人は英語を解さず、とりあえず何だかどこだかに電話をかけて返事を待つようにとのこと。よく分からないが音楽関係のテレビを眺めつつ、待つこと数十分。受話器を渡されたが、その向こうの女性の言うことには、「イスタンブールまで出て、コネクティングフライトになります」。
 「フライト」と言われて困ってしまった。事情を説明したら、再び受話器を目の前の女性に戻すように言われる。どうやら彼女は僕が発音した地名だけから飛行機会社に連絡をしてしまったみたいだった。
 カレイチを離れ、海沿いの大きな道をかなり進み、ツーリストインフォメーションを目指した。そもそも船があるのだろうかと不安になっていたが、航路があることをきちんと確かめられた。船会社の位置を地図に記してもらい、さらに歩く。かなり日差しはきつく気温も高い。
 ようやく見つけたそれは、マンションの一室のような所にあった。ところがだ、ここまで尋ね尋ねして歩いてきたにも関わらず、事実は衝撃的なものだった。「今年に限って、アンタルヤからヴェネチアの航路はやっていないんですよ」
 何たることか。ようやくこれでヨーロッパが目の前に見えたと思っていたのだが。仕方なくその代わりにイズミルからの便を使うことにした。それならちゃんとヴェネチアまで出られる。しかし何と言うことだ、イズミルと言えば2週間と少し前にいた所だ。その頃にはまだ川原さんと一緒だった。結局ぐるりとトルコの東半分を一周することになった。

カレイチの湾
 ところがその場ですぐに発券されるかと思うが、そうもいかなかった。「イズミルのオフィスに席を確認するから、12時半にもう一度来てください」「え、それはどうして?」「向こうの事務所がお昼休みなんです」
 なるほど、仕方がない。海の見える公園の木陰で時間を適当につぶす。
 再度訪れると、ようやくとヨーロッパへの切符を手にした。2万5千リラほどで、なんと食事が全て含まれているということ。これでパンとトマトと水を買い込む必要から解放された。「ただ……」と相手は言葉を続ける。「座席は全て埋まっているので、デッキということになりますが」
 と、いうことでイズミルからヴェネチアまでがつながった。次に必要なのは、ここからイズミルまでの足の確保だった。値段でいくとメトロの方が250だけ安かったがこちらは満席だったので、パムッカレで席をとった。昨夜のバスが「最後のバス」の一つ前になってしまった。
 海沿いを歩きながらカレイチへ戻る。ここの海の色は、中学生の頃に見た硫酸銅水溶液の色だった。硬質に透明な緑色をしている。崖からのぞき込むと、海の底の様子もくっきりと見て取れる。数十メートルの高さがあるが、ここから飛び込んだら快感だろう。
 夕方になって、沈む夕陽を見ようとカラアリオール公園へ出向く。ちょうどアンタルヤ湾を挟んだ向こう側の山並みに太陽が姿を隠した直後だった。あ、あそこに沈んだんだなとくっきりと分かるほどに山際が燃えていた。


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