結局この宿を一晩で出ることになった。「2泊するから一泊を2000にしてもらえないか」と言った手前、何か言われたら2500までは払おうと思っていたが、何事もなく。
午前中に考古学博物館を訪ね、午後は海を見下ろしながらビールを飲んだ。今度こそ沈む夕陽を眺めようと再び公園へ。ローラーブレードで遊ぶ少年少女がいる。その傍らに体重計を抱えた子どもが2、3人。一度ケンカになりかけた。
今日はきちっと沈む日を見ることができた。確かに、夕陽を見ていると幸せな気分になる。
夕食にちょっとしたレストランへ。屋外にテーブルを並べ、敷地の一方には城壁が立ち、頭上には葡萄棚が茂っている。照明がまた凝っていて、電球の傘に陶器の平皿が用いられている。店員が扇風機を持ってきてくれた。
そもそもは安さにひかれて選んだのだが何のその。すでに好物となったメルチメック(レンズ豆のスープ)を頼むが、ないとのこと。「トマトスープもおいしいよ」という言葉に従って大正解。サラダもたっぷりとしているし、炭火で焼いたシシケバブも口に一切れ入れた瞬間に思わず「うまい」と声に出てしまうほどだった。ほどよくジューシーでスパイスがピリッときいて、わずかにレア寄りのミディアムレア。
この手の観光地では「高くてまずい」というのが一番多いパターンだが、探せば必ず「安くてうまい」にもめぐり会えるのだ。考えてみれば、ビール込みの値段で1400というのは贅沢だったが、なあに日本での定食一食分くらいなのだ。
そろそろと出発の時刻が近づく。すんなりとシャワーを借りられたので、たっぷり浴びて半日身にまとっていたものを洗濯する。
バスの座席に付いているゴム編みの物入れを利用して、Tシャツを干しておいた。8時間と聞いていたが、意外なことに30分ほど早く、朝の7時には再びイズミルのバスターミナルにいた。車内アナウンスの雰囲気から、どうやら中心部のバスマネ駅まではサービスバスがあるらしいと知る。どうせ今日の夕方には出航するのだから宿をとる必要はない。バックパックをバスターミナルに預けておくことにした。
前回、この近辺で宿を探したドクズエイリュル広場へ出たあたりで用を足したくなった。マクドナルドへ出ればという考えが浮かんだが、時間的にまだ開店前だろうと判断し、仕方なしにトイレットペーパーを持たずに駅のトイレを利用した。
この間はうろうろとしてみたが結局見つからなかった考古学博物館を再度探してみることにして港の方へ歩いて行く。地図は非常に分かりにくかったが、裏通りなんかへも足を踏み入れつつ発見。ただし、15分もあればぐるりと見て回れるほどのつまらない施設だった。何の感興も得られず、これじゃあ時間つぶしににもならない。せっかくだからと、ソファに腰掛けて川原さんへ「再びイズミルです。ミナミでの焼き肉、楽しみにしています」と葉書を書いた。大阪で会って彼のお薦めの焼き肉屋へ行こうという話しをしていたのだ。
考古学博物館に隣接している民俗学博物館の方はまだ見られた。衣装や道具なんかが賑やかだった。青いガラスで目玉を形取ったナザールボンジューは、その邪な眼によって他の悪を跳ね返すお守りなんだそうだ。だったら、その邪眼を所有していること自体はどうなのだろうと素朴な疑問を抱いた。ただ、それはそれとして青いガラスは好きだ。
海沿いの公園、コナック広場でドンドルマを食べ、パブやカフェの並ぶ大通りをそぞろ歩く。ビールかなと思ったもののさして乗り気にならなかったので、代わりに目の前でしぼってくれるオレンジジュースを飲んだ。
安いロカンタでゆっくりと昼食をとる。時間まではまだもう少しあるので、とりあえずのんびりしようとキュルトゥル公園というちょっとした遊園地のような施設もある公園へ。わずかだが入場料も必要だった。さすがにバスの中で乾かすのははばかられた下着と靴下をベンチで日光に当てた。
目の前のベンチに子どもを含めて4、5人が座って、その内のおばあさんが何事かを話しかけてきたが、残念ながら肩をすくめるしかなかった。さらに子どもが二人僕の座っている側に来て、興味があるそぶりだったが、僕は洗濯物をザックにしまい、何も言わずに場所を変えた。一人で静かにぼうっとしたかったのだ。
また便意を催したが、うまい具合に敷地を出た目の前がマクドナルドだったのでトイレを使う。もちろん、注文もした。水っぽいスプライトだった。炭酸による刺激も少なく、味(と言っても甘みと香料くらいだが)も薄まっていた。しかし、やはりここトルコでもマクドナルドにいる人々は概して平均よりもきれいな身なりをしていた。
通りで市バスを広いオトガルへ。バックパックを受け取ってインフォメーションで教えてもらったアルサンジャック港へ行くバスに乗る。
かなり大きな港だったが、何となくあの船ではないかと当たりを付けたのが正解だった。船名は「アンカラ」。考えていたよりもずっと大きなフェリーである。出国スタンプをもらい、乗船。まだ出航の2時間前だがそれでもかなりの数の人がすでに船内にいた。
最上階のデッキ部分で居場所を探す。屋根のある所を選び、ベンチの足に荷物をくくり「む、ここで寝るのか」と覚悟した。潮風でべとべとになりそうだった。
船内を見物する。レストランやバー、ナイトクラブのような施設まで備わっていた。階段の踊り場近辺はちょっと広い場所になっていて、椅子も何脚かある。そこに寝袋を広げている人がいるので、ああ船内に陣取ってもよいのだと知り、さっそく僕も荷物をそこへ持ってきた。椅子とテーブルを一つずつ確保。これならかなり快適に眠ることができるだろう。
4時になる。だが、地上にはまだまだ車が列をなし、さらに新たに並ぶ車さえある。4時出航で4時に来るとはどういう神経をしているのか。いや、単に僕ほど暇ではないのだろう。
そのままデッキから海を見ていたが、ゴミが波間に揺れる鈍い茶色の海を見ていても気分が沈むだけなのでシャワーを浴びた。
水でもいいやと思っていたが、10分ほどすると勢いよく湯が飛び出した。洗濯もしてさっぱりする。きっちりとシャワーさえあれば、結構なことが我慢できると思う。
僕の特等席のそばにある電灯にハンガーに吊した洗濯物をかける。下着は端からは見えないようにして。
50分遅れでゆっくりと船は動き始めた。多くの人が船尾のバーでビールを飲んでいたが「海が青くなるまで待とう」と決める。せっかくの船出を鈍色の海の上で祝いたくはない。
しばらくの間、カモメの群が白い航跡を追ってきた。魚の群に見えるのだろうか。それでもたまに水面をぴょんぴょんとはねる銀色に光る魚を捕食するものもいた。沿岸の風景は確実に流れるが、船の速さというのは気持ちいいほど高速でもなく、かといっていらいらするほど低速でもない。
船内で利用できる通貨はどうしたわけかドイツマルクであった。それも金券。小銭まで引っぱり出して、余っていた千数百を「できるだけマルクにして」と言ったら、9マルク出てきた。ビールを4杯飲んで1余る。初日で一本、明日か明後日のどちらかを2本と1本にしようと目安を立てた。
夕食は9時からだ。20分ほど前にカフェテリアに出てみたら、すでに30メートルほどの行列ができていた。メニューは、インゲンのトマト煮、トマト・レタス・キュウリのサラダ(どれもしなびている)、ピラフにキョフテ、そしてメルチメック。さらに取り放題のパンとデザートに洋梨。トレーにのせて進んでいくと最後のコーナーにビールを見つけたが、どうやらこれは別料金。しかしなかなかにたっぷりとした食事である。
夕食を済ませてしまうと、さしてすることがあるわけでもない。周りもぼちぼちと寝始めていたので、僕もカーペット敷きの床に、バスタオルだけを広げてその上に横になった。