上陸、さらなる先へ

 陸が見えると甲板に人が集い始めた。もちろん、僕もその中の一人だ。カメラやビデオを構える人垣の中で、3泊4日の後に船首方向に見えてきた目的地を眺めやる。ヴェネチアの街を概観すると、そこには緑があって白とレンガ色のそれほど高くない建物が端正に並んでいる。
 乗客の群は手続きが行われるカフェテリアへと移る。入国が間近である喜びと共に、カフェテリアをぐるりと取り囲むように並んだ列に僕もバックパックと共に加わった。入国のスタンプを押され人々は下船してゆく。自分の番が待ち遠しい。
 だが、僕のパスポートを受け取った係官はしばらく待つように言い渡し、後ろの人の審査を始めた。僕を含めて、最後まで船に残された乗客は3人。すべて日本人だった。「帰国便のチケットを見せて」とまで求められる。「イタリア発のは持ってないよ。マドリードからの航空券なら」と首に下げた貴重品袋から取り出す。これもまた吟味される。確かに僕のパスポートに限って言えば、最も重要な第一ページ(写真が貼ってあり、種種の情報が記載されている)の紙が、ふやけたボール紙のように端の方がぺろりとめくれて怪しいと言えば怪しいのだが、他の二人はそうでもなかった。
 「なんでだろう」という疑問を三人とも持ちながら、最終的にはEU圏で統一された単純なデザインのスタンプが押される。日付と地名と交通手段のマーク(船なら船の、飛行機なら飛行機の)それに「入」国を示す内側を向いた矢印。もう少し各国で色々あってもよいのに、と思わないでもない。
 下りた場所にめぼしい交通手段は見あたらない。とりあえず幾ばくかのリラを手にして、ツーリストインフォメーションを目指す。イスタンブールのデパートで買った地図帳が役に立つ。これにはヨーロッパ全域の地図はもちろん、主要な都市はそれぞれの言語で通りの名前などが記されているので使い勝手がよい。
 これがヴェネチアだろうかと訝しく思えるほどに静かである。整然と立つ建物の間の路地を縫うように、狙いを定めた方向へ歩き続ける。碁盤の目のように、とまではいかないまでもある程度の軸にならうように敷かれた道を自分の座標を勘定しながら東へ北へと歩く。
 頻繁に川が現れるあたりがヴェネチア的であるが、イメージとして持っているようなカンツォーネを歌う観光船にはまったく出会わない。相変わらず午後のヴェネチアはひっそりとしている。誰にも出会わない。これが仮に夜のヴァラナシの路地であれば、できれば足を踏み入れるのは避けたいところだが。

ヴェネチアの運河
 ところがかなり歩いてたどり着いたものの、インフォメーションでは情報が有料であり、しかもホテルの斡旋のみを行っていた。「無料のは駅にあるけれど」という「無料の」アドヴァイスをいただき、大運河のほぼ対岸にあるサンタルチア駅へ。なるほどさすがにこの運河は幅も広く、船も行き交っている。もちろん観光客の姿も多い。
 駅の中のインフォメーションは「鉄道情報」と「その他の情報」とでコーナーが別れており、順番待ちの番号札もそれぞれでとらなければならない。とりあえず両方の札をもらっておく。「その他」の方が待つ人が少なかったので、すぐに順番になる。地図をもらい宿のことを尋ねた。ユースホステルで2500円ほど。これはかなり高い。別にヴェネチア観光をしたくてここに来たわけでもなく、トルコからヨーロッパを移動する手段として、(空路をのぞいて)東ヨーロッパを経由しなくてもよいからとヴェネチア行きの船を選んだまでだ。もちろんイタリア各地にも興味はあるし、できればピサの斜塔にお目にかかりたいとも思う。だが、時間との兼ね合いもあり、より強くひかれるバルセロナを次の目標に設定する。フランスは通過だけだ。
 「鉄道用」のカウンターでバルセロナまでの乗り継ぎの列車を示した表をもらい、券売の窓口へ並ぶ。だが、今日も明日もそのどれもがフランスからバルセロナ(あるいはマドリード)という最後の部分で満席だと知る。
 だが、気持ちは先へ進むことを欲している。当日になってみればキャンセルが発生することもあるだろうと期待を持って、どうにかこうにか今晩11時半のニース行きを抑えた。
 駅員は「バルセロナへ行きたいのか?」と尋ねてくる。イエス、である。ここでまとめてお金を払うことで予約票のようなものを手に入れた。あるいは乗車券なんだろうか。あまりシステムがよく分からない。
 やれやれとりあえず道はつながったと思い切符を確認するとなんと日付が明日になっている。あれこれと悩ませた彼にもう一度「今日、って言わなかったっけ?」と尋ねると、「ああ、今日だ明日だとあれこれ言うから頭がこんがらがってしまって」と今日の日付で再発行。結局800フラン(一部のトラヴェラーズチェックをフランで持っていた)と11ドルが飛んだ。
 イスタンブールからマドリードへ飛んだ方が金銭的にも安上がりだったと知る。ここで2万円ほど使い、フェリー代にも安くはない代金を支払っている。イスタンブールの旅行代理店に掲示されていた料金表を思い出して間違いを知り、やる気が少々萎えてしまう。安さだけを追求して海陸路を選択したわけでもないのだが、費やす時間や体験など勘案しても、ちょっとコストパフォーマンスがよろしくなかった。
 先ほどの船で最後まで残されていた日本人二人も駅へやってきた。二人は水上タクシーにただ乗りして駅まで来たのだそうだ。これからすぐにローマへ出て空港で泊まるつもりだと。せっかくイタリアにいるのだからと、駅の中の軽食堂でピザ(マルガリータ)とビールで乾杯。この後で水(炭酸の入っていないもの)を一本買ったら、手持ちのリラは小銭しかなくなってしまった。
 運河も見た、ゴンドラも見た、ピッツァも食べた、ビールも飲んだ。カンツォーネは歌わなかったけれど、今回のイタリアはこれでよしとしよう。
 荷物を預けるのにも5000リラかかるので、仕方なくバックパックを背負ったままで駅周辺の賑やかな通りを観光してみる。ざっと見た感じでは、(この辺りだけかもしれないが)物価は日本よりも少し高いのではと思う。
 舟の行き交う運河を眺めながら、ひたすらに夜中の列車を待つ。これほどにお金がかかろうとは、ちょっと予想が甘かった。こんなことならロカ岬も諦めようと戦略的撤退を考える。とりあえずバルセロナでサグラダファミリアを眺めてささっとマドリードへ出て、とっととタイへ飛ぼうか。こちらできゅうきゅうの生活をするよりは、タイで少々贅沢に(=ビールをいっぱい飲んで)過ごしたい。そのためにも、明日もがんばってフランスを抜けたいものである。
 それにしても、イズミルでフェリーに乗って以来、「待つ」以外にさしてすることのない時間というものが両手で抱えきれないほどにある。
 日が傾き、暗くなり、夜も更けた。駅のトイレでタオルをしぼってで身体を拭き、顔を洗って歯も磨いた。そしてようやく列車に乗った。


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