スタンプのない国境

 指定された座席はコンパートメントだった。座席はビニル張りで、背もたれは直角。異常に寝づらいが、他にすることもないし時間も時間だからなんとか眠りに就く。それでも、寝苦しさはつきまとう。しかしそんな間にも列車はイタリア半島を横切り、気付くとフランスに入国している。
 進行方向左手、うまい具合に僕の座った側から朝日に輝く地中海が見える。淡い青色の波に洗われる白い海岸や、木々の緑が新鮮な気分を引き出してくれた。列車はモナコを通過する。
 形だけでも入管審査くらいあるのだろうと漠然と考え、パスポートにスタンプがふえることを期待していたのだが、何事もなく走り続ける。モナコを実感したのは、いかにも高級そうなホテルが海岸沿いに並んでいたことによる。
 形式的にはなにもないのだが、僕の気分としては国越えの感慨を得ながらフランスへ再入国。ニースの駅に到着してまず一番に予約カウンターに並ぶ。
 目論見が当たった。昨日の時点では満席だった列車に座席を確保することができた。ニース泊を覚悟してはいたが、これで今日のうちにバルセロナへ入ることができる。
 数時間の間にとりあえず朝食をとることにした。駅前にあった両替屋で1000円札を替えたら、出てきたのは小銭ばかり。コーラの値段が10フランする。日本の2倍強である。サラミのみがフランスパンに挟まったサンドウィッチとオレンジジュースの安いセットを買い、道端でかぶりつく。
 ヨーロッパ滞在を予定より早く切り上げることはもう決めていたから、もしこの街にタイ航空のオフィスがあればバンコクへ戻る日程を変更しておこうと、ツーリストインフォメーションで尋ねてみる。「ありません」とのこと。まあ、さほど期待はしていなかったが。
 地図と駅名表示とを見比べながら、自分の位置を確認する。マルセイユ辺りで行程の約半分。地名の読み方はよく分からないが、アルファベットだからそれなりには読みとれる。しかしこんなことならフランス語をもう少しちゃんとやっておけばよかった。
 モンペリエには夕方の少し前に到着。マクドナルドなら安いだろうとこれまでの経験から店へ向かうが、残念ながら20フランと少々では心許ない。店先にショーケースを陳列したパン屋で、「これを一つ、あれを一つ」と数字のところだけフランス語で言ってみる。最後の小銭をはたいて、駅の売店で小さな袋菓子を買った。
 モンペリエを午後5時56分に発車するその列車の側面には、「バルセロナ」との表記が示されている。これに乗れば、今晩はようやくベッドで眠ることができるのだ。あとわずかに4時間少々。
 書こう、書こう(そして書かねばならない)とずっと思っていた手紙をノートに書き始めた。封筒はずっと以前、確かイズミルの街で買っていたのだが、ここに至ってようやくその中身を作り始めたのだ。(だが、結局これを投函することはかなわなかった)
 やはりフランス・スペイン間でも国境の手続きは一切なく、列車はポルトボーに入った。それなりに大きな駅だ。ちょうどこの辺りで日暮れを迎える。
 バルセロナ直前になって、列車は地下へ入った。ひさびさに都市を感じさせる。
 近くの席に座っていた、ぎゅっとしまった体格をした感じの良いアメリカ人が話しかけてきた。年齢は僕より少しだけ上に見える。一見すると日本人でも通じるような顔立ちではあったが、サンディエゴからやってきたのだと。バルセロナの情報を何か持っているかと聞かれたが、残念ながら答えはノーだった。
 ようやくと8時20分にバルセロナに到着。ところが大問題が発生する。これだけ大きな駅なのに、インフォメーションがないのである。おまけに両替所も既に閉じられている。いったい、僕はどうしたらよいのだ。全く身動きのしようがないではないか。
 ところが、運良く先ほどの彼がうろうろしていたのを見つけたので、彼がガイドブックを持っていることを知っていたから、今度はこちから話しかけて一緒に宿探しをすることにした。僕もかなり身勝手だ。
 お金はとりあえずATMでキャッシングした。
 メトロのリーセウという駅近辺に安宿があるとのことなので、彼に着いていく。よくしたものだ、なんとその駅には日本語で書かれたユースホステルの看板に出くわした。とりあえずそこで料金を尋ねてみたが、彼が「もう少し安い宿もあるから」と言うので歩く。しかし、彼はすばらしい。スペイン語が話せたのだ。
 その暑さから、彼が「まったく、水に飛び込みたいよ」と言う。「オレはビールに飛び込みたいね」と僕も相づちを打つ。話しをいていると、彼はザックの中に缶詰を持っているのだと教えてくれた。なんでわざわざそんな重たい物を、なんて僕には言う資格はない。僕もカッパドキア産のワインを一本背負っているからだ。「君は食べ物を持っている。そして僕はワインを持っている」と話しをして、今晩は楽しめそうだと思った。けれど、結局僕がワインを開ける相手は彼にはならなかったのだが。
 街はお祭り騒ぎに近いほどの活況を呈している。オープンカフェで人々は食事を楽しみ、ビールを楽しんでいた。しかし、僕らはとりあえず宿探しだ。
 結局は1800ペセタでユースホステルにチェックインすることができた。
 荷を下ろし、通りに出てみたがどうにもカフェでビールを楽しむには予算が足りない。とりあえず食事はユースと同じ建物の一階にあったケバブ屋で薄手のナンのような生地を巻いた「ケバブサンド」を頬張った。カフェの1000ペセタのビールの代わりに、ユースの片隅の自動販売機に160ペセタを入れて、「サンミゲル」のボタンを押した。イズミルからヴェネチア、モナコ、フランスを通過した四泊五日の強行軍の末に、ようやく一息ついたバルセロナの街で出会ったのが冷えたサンミゲルというのもよいものだ。
 薄暗い自販機コーナーの前に置かれた小さな椅子に腰掛けてしみじみと味わう。
 その場に新たにアメリカ人の若者がやってきて、彼ら三人で話しが始まってしまう。六割くらいしか内容が把握できない。会話に入っていけない。一つの事を理解している間に話題は次へと進んでしまう。どうにも「自分はどこそこの出身だ」とか「26日にバレンシアの近くでトマト祭りがある」なんていうことをしゃべっていたように思う。まだまだ、僕はがんばらなきゃいけない。


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