朝食は2個のトマトとバレンシアオレンジを一つ。近くに見つけた大きな市場には、魚介類が豊富でイカやタコも打っている。エヴァンゲリオンに登場したシャムシエルのような顔をした魚も並んでいる。お腹の大きな女性もはつらつと魚をさばいている。こういう活気に満ちあふれた市場というのは、下手な観光施設よりもよほどに楽しい。働く人々、買い物客、 そこに並べられたありとあらゆるものが生命力というエネルギーを放出している。傍観しているだけの僕もその力により気分が高揚する。
ぶらぶらとしていて見つけたスーパーで500グラムの食パンと3つセットのツナの缶詰を買う。カタルーニャ広場で簡易ツナサンドを頬張る。道端に何か人が集まっている。ひょいとのぞき見ると、台の上で数センチの厚さに切り、中をくりぬいたニンジンを3つ用意し、小さな玉をあちらへ入れたりこちらへ動かしたりしながら「さあ、それでは玉はどこに入っているだろう」というような賭が行われていた。ところがこれが哀れなくらいにへたくそで、肝心の玉がニンジンの横にはみ出していたりする。僕には100パーセント分かったけれど、客はなかなかに当たらない。なんでやねん、と思うまでに。「絶対に」5000ペセタ稼げただろうけれど、あまりにも技が稚拙なので賭けてみるかという気にもならなかった。あるいは外しているのはサクラで、実際は僕のような間抜けな自信を持った観光客を狙っていたのかもしれないが。だが、ある時ふっと荷をまとめてそこら辺をぶらぶらとし始めた。あまりにも唐突であまりにもわざとらしい仕草だったのでぐるりと周囲を見回してみると、案の定そこにはパトカーがいた。
ガウディ探索を続けよう。カーサバティーリアは海をイメージして作られた家だそうだ。バルコニーの張り出しが魚の頭骨のようだ。壁全体は青を基調としているので、そのバルコニーはまた波頭のようにも見える。
さらに歩き続けガウディ美術館へ。これは大当たりであった。ここの建物自体もやはり不思議な、しかし確固たる曲線で描かれている。屋上に並ぶオブジェは表情を持ったダースベーダーのようだ。ふと気付くと、金網や階段の手すりなどまでが「ああ、こういう空間もあったんだ」と気付かせてくれる角度に設計されている。ゆがんで見えるが、しかしそのゆがみがあまりにも心地よい。
この美術館で味わった全身がぞくぞく震える感動というのは、インドネシアで出会ったガムラン以来であった。自分は音楽にも建築にも興味や造詣といったものはほとんどないものだと思っていたけれど、そんな人間の心をすら震わせるのはやはり天才と呼んで差し支えないのだろう。
だが、続いて訪れたピカソ美術館ではこれまでのガウディで味わったのとはまったく対極の感情を得ることになってしまった。ほとんど館内を素通りで終わらせた。ずらりと並ぶ裸婦のスケッチに至っては吐き気を催すと言っても過言ではない。「この中の絵を一枚進呈しよう」と親切な申し出があったとしても、固辞する他にない。
帰り道、デパートの総菜コーナーで魚のフライを買う。ついでに明日が移動なので、ここで水を買い込んでおくことにした。暑い中をうろうろとして疲れた上に、3リットルの水も抱えつつ宿へ戻るのは重労働だった。ビニール袋の取っての部分が、がその内容物の重みで伸びて手に食い込む。
さてフライをつまみに冷たいビールを飲んでエネルギーを回復しようという心づもりだったが、どうにもフライがえらく塩辛い。少し残念。
夕方には港をぶらついたり、宿の近くにある広場でぼぅっと人を眺めてみる。四方を建物がきっちりと四角く囲み、どうしたわけか椰子の木なんかが生えていて、中央には噴水も配置されている。のんびりした感じがするが、それでもこの辺りには売人や泥棒なんかが多いらしい。
夕食にはせっかくだからと奮発してイカスミのパエリアを食べてみる。ビールをゆっくり飲みながら、期待をこめてその登場を待つ。が、少ししょっぱい黒い色のついたご飯というくらいの感想しか抱けなかった。残念。
翌朝、これまで泊まっていた宿で荷物を預かってもらえるかと確認したら「不可」とのこと。「だって、宿泊客の荷物を全部預かったらどんなことになると思ってるんだい。それに安全面でも責任は持てないし」なるほど正論かもしれないけれど、それにしてもちょっと無体な話しである。同時にチェックアウトしてもシャワーを貸してもらえないだろうかという望みも絶たれた。
仕方なくバックパックを背負い、コインロッカーの場所を教えてもらうべく 駅でツーリストインフォメーションでうろうろとする。ようやくと鉄道駅までたどりついてロッカーが見つかる。やれやれ朝から重労働だ。
マラソンコースとして聞き覚えのあるモンジュイックの丘を上りオリンピック競技場とオリンピック博物館を見物する。金メダル、表彰台、聖火台(矢で点火した例の)などいずれも実物を目の当たりにする。けれど空がどんよりとしていたせいもあってか、あるいはテレビによって強固に形作られたイメージの弊害が、スタジアムそのものは想像よりもかなり小規模であった。
地図で水族館を見つけた。インフォメーションでもらったパンフレットには「ヨーロッパ最大級」とある。水族館と聞いては、僕の足はそちらへ向かわざるを得ない。だがあまりの空腹のために、とりあえず海沿いのファーストフードで一番安いセットメニューを腹におさめる。
なるほど、水族館は悪くない。大阪にある海遊館よりも広い。水槽のトンネルが80メートルほどくぐるが、ここはゆっくりと進むムービングウォークになっていた。ただし、途中で一度止まってしまったが。
海辺のベンチで何をするでもなく時間をつぶす。ガウディの学生時代の作品が設置されているという公園を散歩する、またもやトマトとイワシフライを買って駅へ戻る。
構内のベンチで夕食にしていると、禁煙マークがすぐそこにあるにも関わらず僕のそばでタバコを吸い始めた人がいる。きっちりと注意する。
なんとはなしにあちらこちらを動き回ったが、さほど感動するものにも出会えずなんだかとても長い空白の一日であった。ようやくと10時半になり、僕はバスターミナルにいた。これがヨーロッパ最後の移動になる。マドリードへ向けてバスに乗った。だが、バスそのものはマレーシアの長距離バスの方が品質がよかったように思う。
バスは夜の高速道路をものすごいスピードで走る。時折恐怖感を感じるほどだ。それでも眠りに就いたが、その怖さは夢の中までつきまとってきた。僕は電車に乗っているが、目的の駅を速度を緩めることなく通過してしまう、そんな夢を見た。