最後の晩餐

 ユースホステルの地下の食堂で朝食をとる。堅いパン、紅茶かコーヒー、クッキー、マーガリン、ジャム。別段おいしいわけでもないけど、もそもそと口を動かし胃におさめる。
 出かけた先はアメリカ博物館。探検された側、収集された側のことを知る。探検し、収集した国において。人はほとんどおらずひっそりとしてはいる。大きなスクリーンに、僕だけのためにビデオが上映されたほどだ。が、博物館としては上等の部類に入るのではないだろうか。イメージとしてとらえて終わってしまいかねない、いわゆる的な展示品だけにとどまらず、現在の都市としての南米も描き出していて、徹底的に両者を事実として見ることができた。土着の信仰とキリスト教との対比もしかり。
 目や歯がぐわっと飛び出した面や、派手な羽根飾り、装飾品など歴史と距離を越えてマドリードにある展示品は、プラド美術館よりよっぽど精彩を放ち僕の興味をかきたてた。じっくりと見物しながら、南米への興味がわいてきた自分を感じた。
 昼寝をしてからソフィア王妃記念美術館へ向かう。途中、グランヴィアを抜けたあたりで僕の肩をたたき、「セニョール」と声をかけた男がいた。ラミネート加工された身分証のようなものを見せて、「スペイン語は話せるか?」とスペイン語で訊いてきた。僕はスペイン語は知らないけれど、そう理解した。僕はもちろん「ノー」と返答する。「パスポート」「コントロール」「ポリス」などと片言の英語で何か言ってはいるが、僕は彼のために歩みを止める気にはならなかった。それは真実味がどこにも見いだせなかったからだ。それは第一に状況である。僕は極めてまっとうな格好をして(ちゃんと長ズボンのジーンズをはいていたし、サンダル履きでもなかった)ごく普通に街の中心部の歩道を歩いていただけだ。警官から不審がられる要因は思い当たらない。第二に彼の「感じ」である。らしさがどこにもない。同じ速度を保ちつつ「あんた、本当に警察官?」と英語で質問してみたら、着いてこなくなった。
 果たして彼が本当に警官であったかどうかを確実に確かめることはできないが、僕は確信を持ってそうではないと言うことができる。じゃあ何者なんだと類推したら、それはやはり真っ当な市民ではないだろう。根拠はどこにもないけれど、旅の経験値が僕にそう判断させて正しい選択をとったのだと思う。
 推論だけで思考をすすめるが、彼はもう少し腕を磨く必要がある。どちらかというと、警察官を騙るよりも、ケチャップ強盗の一味として親切にケチャップを拭いてくれる役の方が似合いそうな男だった。
 さて、美術館。見物するにつれ僕の感想は次のように進行した。「はあ?」「だから何やねん?」そして、「なめとんのか」。以上である。かのゲルニカしかりである。確かに、ダリのいくつかはおもしろいと思ったし歩みを止めて絵を眺めた。だがそれ以外はなんだろう。「線を引いてみました」「ちょっと点を描いてみました」「とりあえず筆で描きなぐってみました」、そんな作品だらけだった。やれやれ、僕は現代美術にも素養はないらしい。
 今日の夕食もデパートの総菜売場で仕入れてきた。イカリングフライ、ポテトサラダ、トマト、食パン、それにマクドナルドでいただいてきたケチャップ。飲み物は水。少々ぜいたくな最後の晩餐。ユースの部屋の片隅でもそもそと食べる。
 うきうきと荷造りをして、バーツを取り出し、バックの底からタイの「歩き方」を引っぱり出す。そしてヨーロッパの地図帳がしまわれる。
 貧相な食生活を続けてきた身にとって、機内食とビールが心から楽しみでしようがない。


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