宴は途切れず
早朝。昨日丸一日あまりにもよく眠ったおかげで気持ちよく早起きをする。朝食まではまだ1時間ほどあるので周囲を散歩してみる。
田園に冷たい朝靄がかかり、黒々とした森の向こうからちょうど太陽が顔を出す。畑の合間をぬって歩くと、冷たい朝露が足を濡らす。心地よい一日の始まり。
ドイツにはビールを飲むためにやって来た。観光として何をするか、ということについて僕はほとんどまったく考えていなかった。そんなわけでドイツ博物館へ行くという彼らにくっついて行くことにした。
僕以外の三人は大学でドイツ語を学習していたのだが、特に藤原は熱心だった。切符の自動販売機の前でも辞書を引いて「なるほど、なるほど」とその料金体系を読み解いていたり。
ドイツ博物館はいわゆる「青少年科学館」を大規模にしたような施設で、理科系の研究や産業についての展示がなされている。それこそ宇宙からDNAまで。
とにかく広い。正午に再び玄関で待ち合わせをすることにして、それぞれで行動することになったが、再集合までの間その内の誰一人とも顔を合わせなかった。
目を引くのはやはり大きな展示物で、例えばそれはルフトハンザ機の輪切りだったり、地下に縦横無尽に張り巡らされた鉱山の様子だったり(歩いている途中で不安になるほどに暗くて広い)。もちろんBMWもあればメッサーシュミットも。とりあえずやはり「農学」という分野にも足を伸ばしたら、そこにはビールの醸造の過程の展示なんかがあった。
展示物の解説を読まなくとも、実際に見て歩くだけでお腹がいっぱいになる。
アマチュア無線の公開運用コーナーがあって、老女が一人交信していた。最近はさっぱり触れていないが、こう見えても第二級アマチュア無線技師の資格を持っている。変調された音声や、特有のノイズに親近感を覚えてしばらく見学していた。ドイツ語での会話だったけど、僕がゲストブックに国籍やコールサインなんかを記入すると「今、日本からの来られた方も横にいます」なんてことを電波に乗せてしゃべっていた。QSLカード(交信証)を記念に一枚いただいた。
さあ、昼である。向かう先はヴィクトアーリエンマルクト。広場にテーブルとイスが置かれていて、その周りにはビールと食事の店が並んでいる。それぞれの店で買ってきて、空いている場所で食事をする。大規模な屋台村といった趣。僕らにとって、ここは天国だった。
ビールのジョッキは1リットルか500ミリリットル。もちろんみんなリットル単位で飲む。昼のさなかから飲むビールは格別である。空いたジョッキは適宜さげられていくが、かなりそれ自体にも重さがあるはずなのにウェイターは慣れたもので一人で10個くらいひょいと持ってすたすたと歩いてしまう。
もちろんソーセージやプレッツェルもかじったが、やはり魚食いの民族として僕が一番気に入ったのはノルトゼーというシーフードのお店だった。ショーケースに並んだ中から、エビのサラダやニシンの酢の物なんかを指さして皿に盛ってもらう。生ガキを注文したら「2種類あって、ドイツ産とフランス産とがあるけれど、どっちにする?」と聞かれたが、答えはもちろん決まってる。
それぞれが食べ物を買ってきて、適当に分け合って食べる。その合間にジョッキが空になるのも待ち遠しく次から次へとビールの補充に席を立つ。
始めたのはちょうどお昼どきだったので、デパートの大食堂のような混雑具合だった。僕らはずっと居続けるが、隣の席に座る人たちの顔ぶれは変わってゆく。なかなかに親切で「ぶどう、食べない?」「どこから来たの?」なんてよく話しかけられる。ネクタイ姿のビジネスマンもやってきて、ビールを飲んでいる。「仕事中じゃないの?」と訊いてみると、「酔わなければだいじょうぶ」となんとも力強いコメント。うらやましい限りである。
ミュンヘンへ来た観光客としてやはり「ホーフブロイハウス」は外せないと思っていたが、その彼が言うには「ううん、あそこはトゥーリスティックすぎる。むしろホーフブロイケラーの方がお薦めだよ」と言って、地図にその場所を書き入れてくれた。これで今晩の予定もきっちりと埋まった。
とりあえずここにあるビールは全種類飲んでみようとしたが、中にラードラーというものがあった。これはビールをレモネードで割ったものなのだが、意外にもおいしい。それ自体はもうジュースみたいなものでするするとのどを降りてゆくが、口直しとしてもうまいこと働いてくれてその味の変化のおかげでまたそれ以降のビールも新鮮な感覚で飲み続けることができた。
3時くらいに僕は一度近くにある教会へ行った。その間ももちろん他のメンバーは飲み続けている。ペーター教会と言い、92メートルの高さがあって狭い階段を歩いて上れる。酔っぱらいの頭の中にはなかなか上まで到達しなかったサグラダファミリアが思い出されていたので、かなり気を入れて歩き始めたのだが、あっけないほど簡単に登頂してしまった。
見晴らしがよくくすんだレンガ色の屋根の町並みや、遠くのビル街などが見渡せる。タイミングよく市庁舎の仕掛け時計が動く様も見てとれた。
再び下界に戻るとなんだか人数が増えている。中川が話しかけて一緒にわいわいやっているんだと言う日本人とドイツ人。彼女達は大学の友人だということだ。ドイツ人の方がスベンニャという名で、日本人留学生の方は広末さん(仮名)。大学でTAをしてたのだが、そのストレスをここで晴らしに来たのだと。
しかし仲良くなるきっかけに話しかけた中川の言葉がふるっていて「Are you Japanese?」だったのだそうだ。変だ。日本人かもしれないと思って話しかけるのならば日本語でいいだろうし、もし韓国人や中国人かもしれないと考えたのならば、「Where are you from?」という尋ね方の方が中立的ではないだろうか。しかし、酔っぱらいの行動には誰も合理性を見出すことはできないのである。
さらに、かなり高齢のご夫婦もいつの間にか話しの輪に加わっている。白髪のおばあさんの方がそれはもうよくしゃべる。タバコも吸うし、ビールもよく飲む。対しておじいさんの方は物静かで(あるいは口を挟む隙が見つからないのかもしれない)たまに相づちを打つ程度である。
失礼ながらお年を聞くとなんと96才とのこと。「じゃあ、あんたは何歳だい?」と逆に聞かれたが「そうだね、当ててみてよ」と投げかけると「そうね、26才くらい?」と言われる。「いやいや、全然違う。まだ24だよ」「何を言ってるんだい、同じようなもんじゃないか」。もう脱帽である。
彼女は六カ国語ができるということで「あんたたちもしっかり勉強しなきゃ」と。藤原が気に入られたようで、「いいかい、あんたにドイツで一番長い単語を教えてあげよう」となにやらむにゃむにゃむにゃと。彼が習ってその場で何度も繰り返させられていたのは「ドナウォダンプシップファアルツカピテーン」という語。なんでもドイツ語は切れ目無しの造語が可能だそうで、ドナウ汽船交通船長という意味をこの一語に仕立て上げることができるらしい。僕にはさっぱり分からないが、彼はノートにメモをとり、しっかりと発声練習をしていた。
こういう老人になりたいものだと思う。二人で昼間からビールを飲みながら、外国から来た若者と仲良くなるなんて最高ではないか。しかしこれだけ威勢の良い彼女も足腰は弱いらしく、立ち上がるときにはおじいさんがすっと手を貸していた。
サマータイムが導入されていることもあってまだある程度明るいが。日本語と英語とドイツ語が交じった陽気な会話とビールは次々進むが、ふと気付くといつの間にやら夜の8時前であった。
さあ、夕食の時間である。河岸を変えよう。
先のビジネスマン氏に教えられた通りホーフブロイケラーというビアガーデンを目指す。お二人も誘ってみると快諾。
地下鉄で少々移動してやってきたホーフブロイケラー。やはり本場は違う。僕らが知っているビアガーデンとはその規模が比べ物にならない。年に一度のお祭りでこれだけの人が集まって熱気を醸し出しているのだと説明されても素直に納得してしまいかねないほどの人。そしてそれぞれの手にはジョッキ。
スベンニャが人から聞いたところによるとなんとここは3000人収容のビアガーデンなのだそうだ。
空いている場所もすぐには見つからない。役割を分担して僕は飲み物を、新津は食べ物を買ってくることになった。まさにビール腹の見本というような親父が樽から直接にジョッキに注ぐ。「泡とビールは7対3で、泡はクリーミーなほどに肌理が細かいのがよい」なんて御託はまったく関係ないようだ。次から次へとビールをジョッキに流し込み、泡が多いようであればすくって捨てる。並べている間に泡が消えてしまったならまたその上からだばだばとビールをつぎ足す。
人数分のジョッキを抱えて(スベンニャと広末さんはノンアルコール)席へ戻る。が、当たり前のように迷う。このドイツ人の固まりの中に日本人がいればすぐに目立つだろうと高をくくっていたが大間違い。完璧に埋没してしまっている。人波をぬうように彼らを捜すが、ある程度歩くと腕が限界を迎える。その都度「ごめん!」と謝りながらそこら辺のテーブルにジョッキを置いて小休止。「お、ビールかい? ありがとう!」って誰もが言ってくる。逆の状況にあれば僕だってそんなセリフを言っていたことだろう。
しかし再び悲壮な決意を抱いてジョッキを運ぶ。そもそも非力な上に昼間からのアルコールの蓄積があるものだから、かなり厳しい状況。「こぼすわけにはいかない」と自分に言い聞かせるものの「ジョッキごと落とすよりはましだ」と途中で諦め始めた。そんなわけで、テーブルで待ってたみなさん、ごめんなさい。幾ばくかは僕のシャツに飛び散りあるいはこのビアガーデンの地面に吸い込まれてしまいました。
ようやくと席を見つけ再々度乾杯であるが、ここまで来るとだんだんと壊れてくる。テーブルに突っ伏して寝込んだり、ジョッキを倒してしまったりする者もいた。
結局のところ、この日僕らがタクシーで宿に帰り着いたときはとっくに日付は変わっていた。京都にいようが、ミュンヘンにいようが、僕らのやることは変わらない。否、これを「ミュンヘンで」やりたくてここまで来ているのだ。本望である。
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