ベイカー街221b

 朝食はもちろんイングリッシュブレックファースト。コーンフレーク、オレンジジュース、ベーコン(塩辛い)、ソーセージ(もそもそしている)、目玉焼き、焼きトマト、薄いカリカリのトースト、コーヒー。

B&Bの朝食
 やはり朝方は冷え込む。ジャケットのジッパーを上まで引き上げる。にも関わらず陽光はまぶしいので、サングラスをかける。
 今日は一日をバスツアーでのロンドン見物に費やすことに決めていた。まず第一に限られた時間の割には観光するエリアが広いこと、それに事前にバスツアーを勧めてくれた人がいること、そして昨日の半日ぶらぶら迷っている間にもいくつものその手の二階建てのバスを見てしかも二階部分は屋根がないのが楽しそうだったからだ。
 とりあえずの基点のヴィクトリア駅へ向かうともちろんそれ用のバス停が立っている。走っているバスを目にした限りでも3社ほどがこのツアーをやっているらしい。たぶん、どれに乗ってもほとんど変わることがないだろうと思い、バス停にいた係員が寄ってきて説明をしてくれた「オリジナルツアー」というものに参加することにした。
 ロンドンの観光ポイントをぐるぐると循環しており、一日の間なら乗り降りも自由。またガイドによる説明もついている。それに、ちょうど創立50周年ということで、テムズ川のボートツアーまで付随してくるという。
 冷たい風を浴びながら、少し高い視点でロンドン市内をめぐる。次から次へ観光客へ説明すべき事項がバスの横を通り過ぎていくため、ガイドの説明はかなり急ぎ足で全てを聞き取ることは困難であった。だけど始めての土地のこういう巡り方は悪くない。道を間違えることもないし、的確に見たいものを通り過ぎてくれる。ビッグベン、ウェストミンスター寺院、トラファルガー広場、ネルソン提督碑、国立美術館、ロンドン塔、ロンドン橋、その他あらゆる観光ポイント。しかも有名どころではバス停到着直前に「ここからは……へ行くのに便利です」というアナウンスまでしてくれる親切ぶり。
ロンドン橋駅
 そしてお昼前にエンバンクメントの船着き場からテムズ川の上へと移動する。ここは埋め立てて堤防にした場所だから、エンバンクメント(embankment)。そう言えば、日本語にも「新田」という似たような意味合いを持つ地名がある。
テムズの上で
 川からの眺めがまた珍しくておもしろい。もちろん観光案内のテープも流れている。乗り込んだ対岸にはブリティッシュエアウェイズがやっている「ロンドンアイ」が回っている。川縁に立つ巨大な観覧車である。見ている限りでは日本のものとの違いは一つ一つのゴンドラが大きく、乗客は皆立っているようだ。なんで航空会社が観覧車なのだろうか。空を求めているのか。
 聞いてはいたが、本当にテムズ川には戦艦が浮かんでいるのだ。日本で言えば、淀川に浮かんでいるようなものである。なかなかすさまじい光景だが、物珍しいので博物館として公開されている内部を明日にでも見物しようと思う。
 各種の橋の下をくぐり、それぞれにエピソードがある。ある橋はほとんど女性の手によってつくられた。その当時、男は戦場にいたから。あるいは誰かの死体がぶらさげられていて、それは今持ってロンドンの陰気な謎の一つである。
タワーブリッジ
 再び上陸して昼食をとろうと付近を歩いていいたら、グルカ兵の銅像が立っていた。そしてその先で出くわしたのが赤い制服に銀に輝く金属製の帽子をかぶって馬に乗った兵士。観光客が集まって彼らを写真におさめている。地図とつきあわせると、近衛騎兵隊の司令部。彼らは非常にまじめな表情を崩すことなく任務を遂行しているが、その周囲の観光客は「これはおもしろいものを見た」と言わんばかりに、観光客的にはしゃいで彼らを被写体としている。もちろん僕だって。
近衛騎馬兵
 トラファルガー広場に出る。その周りにいくつかパブを見つけた。どこにしようかと迷っていたが、「伝統的樽入りエールあります」という看板が出ていた一軒が決定的だった。カウンターには数種のビールのサーバーの注ぎ口が並んでいて、それぞれにラベルがある。どのエールにしようかとカウンターの向こうに訪ねたところ「そうだな、始めて飲むのだったらこれがいいかも」と「ロンドンプライド」を1パイント。赤茶色で、飲むとギネスほどではないにしろ重量感があり、炭酸は弱い。飲むというよりも、食べるという動詞の方がふさわしいかもしれない。
 昼食メニューの中から「コテッジパイ」を頼む。適当に「カッテージチーズが入ったパイ」というのを思い浮かべていたのだが、それは少なくとも僕のボキャブラリーではパイという範疇に入るものではなかった。白い平皿に四角く盛られたそれは、下半分が挽肉で上半分がマッシュポテト。付け合わせに皿からあふれんばかりのチップス(フライドポテト)とよくよく茹でられたグリーンピース。全体にたっぷりととろりとしたグレーヴィーソースがかけられている。イモの付け合わせにイモというのもよく分からないが、とりあえず腹はふくれた。それに、想像していたほど「まずい」というわけでもない。目を見張るほどにおいしいわけでもないが。
コテッジパイとロンドンプライドエール
 食後には、人と鳩とが群れているトラファルガー広場へ。噴水の脇に腰掛けて、しばしぼんやりとする。どこにでもある光景だろう、小さな子どもが鳩を追いかけている。鳩はその瞬間は飛び散るものの、やれやれまったくという具合にすぐ近くの場所へ再び戻ってくる。昼の陽を浴びていると、上着が不要なことに気付く。
トラファルガー広場
 オリジナルツアーのバスを再びつかまえて、少し北の方に上がったこのバスの基点の一つを目指す。案内によると、かのマダムタッソーの蝋人形館が近い。だけど、僕が目指すのはベイカー街221b。そう、シャーロックホームズの住処。
 ベイカー街というのは、今さらながらうまい訳だと思う。本来は「ベイカーストリート」であるが、ベイカー通りと訳すよりも、通りが住所を表す(京都よりもさらにそれが厳密な)この土地の雰囲気を日本語に置き換えるならば、ベイカー街がふさわしい。
 シャーロックホームズ、怪盗ルパン、怪人20面相、この辺りは小学校の頃にシリーズを読破した。221のbというのはその当時から僕の頭の中にあった。
 地下鉄のベイカーストリート駅の出口には、帽子をかぶり、マントを羽織り、パイプを片手にした「偉大なる探偵」の像が立っている。この姿はドイルより後に付け加えられたイメージだとのことだが、それよりも僕は自分が本当にベイカー街へやって来たことに興奮していた。
ベイカー街
 ドイルがホームズの活躍を執筆した当時、ベイカー通りの221番地というのは実在しなかった番地だという。現在そこには、アビーハウスという金融サーヴィスを行う会社がある。そして本来の221番地から少しだけ上がった通りの同じ側に、再び「221b」と表記された建物がある。シャーロックホームズ博物館だ。
 博物館と言うには少しこぢんまりしている気もするが、まあホームズの下宿なのだからさほど広いものでもないだろう。一階はみやげ物屋。二階には彼の書斎。案内役の緑のワンピースに白いエプロンをつけた若い女性が、「写真を撮ってくださって結構ですよ」と教えてくれた。暖炉の前の小さな机にはちゃんとそのための小道具が用意されている。僕は椅子に腰掛け、鳥打ち帽をかぶり、パイプを手にした。だけど、彼女に写真を撮ってもらう前に思い直して虫眼鏡に持ち替えた。
 写真を撮ってくれた彼女に質問してみる。「もしかするとあなたがハドソン夫人ですか?」と。劇中のハドソン夫人がそれほど若くないことを知ってはいたのだが。
 答えはシンプルだった。「いえいえ、私はただのメイドです」
 さらに上の階には、いくつかの作品中の場面が実物大の人形によって再現されていた。でも僕が覚えていたいのは「ボヘミアの醜聞」「まだらの紐」「赤毛連盟」くらいのものだった。以前ここを訪れた妹が「行く前にホームズ読み返しておけばよかった」と言っていたのも分からないではない。でも、結局人形の展示に過ぎないから、それほど思い入れを持てるわけでもないけれど。
 さらに通りを数軒ほど上がったパブでビールを飲みながら旅行記をぱたぱたと打ってみた。もう少しで夕方という時間で、6時半にヴィクトリア駅すぐのアポロヴィクトリア劇場前で後藤と待ち合わせをしているから、適当に時間の隙間を埋めるために。
 またツアーのバスに乗り込む。単なる交通機関としても便利だ。何せ、路線が単純でこの街に始めて来た人間には分かりやすい。もちろん、十分な時間があるなら市バスの一日乗車券さえ買えば、ポンドの桁が一つ下がるのだけれど、今の僕には以前ほどの余裕はない。
 劇場の入り口の階段に腰掛けて、日本からやって来るはずの後藤を待つ。何度も「あ、来たかな」と視界の端を動く人物を見やったが、彼ではなかった。彼くらいの身長で、しかも彼のように黒い成りをした男性が多い街である。
 少し早めに着いていたが、待つ間に色々と起こりうる可能性を考えてみた。時間通りにここにやって来て出会うという以上にあり得そうだったのが、寝倒してまだ日本に留まっているという推論だった。彼は本当に朝が苦手なのだ。マンションに泊めてもらったことがあるが、目覚ましが鳴り、テレビのスイッチが入り、そして彼自身はベッドから床に落下したにも関わらず寝続けていたほど。
 だが、意外にもと言うべきか、当然のごとくと言うべきか、定刻に彼はやって来た。やはり上から下まで黒い服装だった。
 「さて、どうしよっか」という僕の問いかけに、間断を置かずこう返答した。「そりゃ、飲むでしょう」
 こういう反応になるからこそ、僕らは今回の旅を共にしているのだ。
 ヴィクトリア駅からすぐを適当に歩いて見つけたパブで乾杯。
 旅の準備のためにやりとりしていたメールで「実質的に」海外は始めてだと言っていたその意味するところを聞いてみたのだが、記憶のないほどの幼い頃に家族で台湾へ行ったことがあるはずだが……ということだった。それは確かに「実質的に」始めてなのだろう。現実的にここにこうして来ているのだから、さして問題もなかろう。
 僕と彼に共通している性格の一つは他人の干渉をあまり好まないという点である。だから、よほどの事がない限りは僕は旅の先達づらをしたり、先回りした行動をとる必要もないだろうし、そうすることをむしろ意図して避けようとすら思った。
 そもそもからして今回の旅行で共通しているのはグラスゴー・アイラ島の往復の飛行と、アイラ島での3泊の宿だけ。後は泊まるところもそれぞれ自分でウェブで見つけて予約をしたし、行程もそれぞれの事情に従って選択したものだ。
 夕食には「歩き方」をめくって経済的なレストランというのを見つけて、そこを目指す。ピカデリーサーカスの駅まで地下鉄で出て、地図の通りに歩いていると気付いたら中華街だった。地図を見直すとなるほどここがソーホーだと。 そうそう、ピカデリー広場はロンドンの臍であるはずなのに、そこから見上げた夜空に光る派手な看板は「サムスン」「コカコーラ」「マクドナルド」「ネスカフェ」「TDK」そして「サンヨー」などだった。大英帝国の栄華はどこへ行ってしまったのだろう。
 そのレストラン自体は残念ながら閉まっていた。いきなり中華を食べるのももったいないので、目に付いたステーキハウスを選んだ。イギリス料理とは所詮このようなものか、という他ない味であった。
 出端から地味な気持ちになり、仕方なく飲み直す。だけど、彼にも指摘されたけど、僕は少し疲れていた。なんだろう、その理由も見あたらないのだけれど。


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