海を眺めて

 ドアのノックで起こされた。ドアを開けるとガイド君が必死の形相でノルウェイ君に言う「一泊二日のツアーの人は、7時集合だったんだ。あなたに伝えるのを忘れてた。バスがもう出るから5分で降りてきて下さい!」
 やれやれ、手際の悪いガイドだ。僕は二泊三日コースなので、今朝で彼とは別行動になる。ドタバタと彼が去った後、僕は朝食をとる。フランスパンとバターと化学的な赤色のジャム(手をつける気はしなかった)とバナナ、それにガラスのコップに入った一杯の温かな紅茶。こういう時には、砂糖をたっぷりと溶かして飲む。身体がほっと暖まる。
 食べ終わっても集合時間までにはまだ少しある。狭い道を隔てた向こうは、すぐに海である。海上に暮らす人たちの船が浮かんでいる。
 「やあ、僕はトーマスだ。君と部屋をシェアするようにガイドから言われたんだ、よろしく」「ってことは、同じく一人旅? 僕はケイだ」
 今日は午前中にキャットバ国立公園内をトレッキングする予定があるだけ。昨日よりも天気はずっとよく、朝から暑い。
 公園の入り口で、一日コースの人たちが先にスタートした。僕らはのんびりと山に入る。「それにしても今日は暑いね。5時間のトレッキングを選ばなくて良かった」とトーマスが言う。まったくもって同感である。
 時折は急な部分もありながら、概ねよく整備された山道を小一時間ほど登って頂上へ。取り立てた感慨もなく、山の連なりを眼下に見る。標高は300メートルと少しだそうだ。
 相変わらずたっぷりのご飯の出てくる昼食の後、自由行動となる。山登りでぐっしょりかいた汗をシャワーで洗い流し、新しいシャツに着替える。
 海辺の道を600メートルほど行くとビーチがある、という説明を聞いていたので、そちらへ向かう。
 途中で少し坂を上る。ヴェトナム人のカップルに(おそらくは)ヴェトナム語で何事かを話しかけられる。状況からして「シャッターを押してもらえませんか」だと思う。僕が英語で答えたら、驚いたことに「日本人ですか」と日本語で返ってきた。「私は少し日本語を勉強しています」
 そして、彼女は人差し指を立てて「旅行、一人だけですか?」と尋ねてきた。苦笑しながらも肯定する。確かに一人だけの旅行だ。
 ビーチには入域料が必要だった。英語の看板によると7000ドン。窓口で1万を出したら、チケットと共に戻ってきたのは5000ドンだった。おや、と思ったが即座に理解して、「サンキュー」という語を飲み込む。
 案の定、先ほどの看板をよく見ると、ヴェトナム語の案内の中には「5000」という数字が見えた。外国人料金とヴェトナム人料金が設定されていて、幸いなことに僕はヴェトナム人だと認識されたのだ。
 そう言えば、昨夜の夕食の席でも「ところで、君の第一言語は何?」と問われたのもおかしかった。「日本語だよ、日本人だから」と答えたけれど、その前に「来週にはバンコクに帰る」と言っていたから、誤解を招いたのだろう。
ビーチ
 ビーチは、予想の他よさげな場所だった。山のような巨大な岩と岩の間の、わずかの砂浜。そこにいる人は20人くらいのものだった。ビーチまでは階段で下りるようになっていたが、僕は別に泳ぐことが目的ではないので、一軒の店に入ってビールを頼む。
 高台のこの店から、海を見下ろしながら頭を空っぽにしてビールを飲む。海で泳ぐのは好きではない。背中や足にまとわりつく砂の感覚だとか、中途半端に乾いたときのべっとりとした感じだとかが。ダイビングにおいては、完全に海に漬かってしまうので、むしろ吹っ切れてしまうのだが、陸と海を行ったり来たりする海水浴は苦手だ。
 だから、陸地にいて海は眺める対象として楽しむ。
 その内にトーマスもやって来た。彼もビールを頼んで少し言葉を交わす。しばらくすると彼はビーチに下りて行った。
 僕は相変わらずここにいて風に吹かれている。なんでこんな所でと思いつつも、ザックから読みかけの「パルムの僧院」を読む。二回目になるはずだけど(所々のページに気に入ったフレーズがあることを示す三角の折り目が残っていた)、幸いにも内容をほとんど記憶していないので新鮮な気持ちでページを繰ることができた。
 本を読んだり、柱にもたれてうつらうつらしたり、時折下の浜からは歓声が聞こえてくる。
ビーチその2
 砂浜の向こう側の岩山に沿って、鉄骨で通路が渡されている。太陽が少しだけ傾いた頃合いに、砂浜の階段を下りる。通路を行くと、ちょうど向こうから来たトーマスとすれ違った。「向こうにもビーチがあるよ。戻って来たらまたビールを飲まないか」「オッケー」「じゃ、また」
 岩に沿って5分ほど歩くと、同じようにまた狭いビーチに出た。先ほどの所よりもさらに静かだ。でも別に泳ぐわけでもないので、何枚か写真を撮って、ビールを飲むために引き返す。岩の影になっている部分を歩くとき、空気はふいに冷たくなる。
 砂浜で寝転がって本を読んでいたトーマスと連れ立って、先ほどの店へ。店員が「あれ」というように微笑んだ。
 スイスの鉄道で働くトーマスはやはり休暇でこちらへ来ているとのこと。バンコクに住んでいると言うと、「そっか、僕は昔チェンマイに恋人がいたんだ。チェンライとか北の方はよく行ったことがある」という話しが飛び出す。
 「君にはタイで恋人はいないの?」と訊かれる。「そりゃあまあ文学部の8割方は女性なんだけど、どうにも幼い感じがするし」と返事をする。
 会話は自然に消えていく。別に気詰まりな感じがする種類じゃない。お互い、テーブルを挟んで海に向かって低い椅子に腰掛けている。時折思い出したようにビールを飲む。
 「静かだね」「良い一日だ」「まだ午後の4時だよ」という散発的な会話がたまに交わされるくらいだ。海と空気は、少しずつ穏やかな色に変わっていく。
夕陽
 宿に帰る頃がちょうど夕暮れだった。ホテルのバルコニーで、沈み行く太陽を眺めながら、することもないので相変わらず「パルムの僧院」に読み耽る。ちょうどファブリスが捕らえられる前後で、周囲の人の思惑が絡み合う。それに対して、本人は読んでいるこちらが腹立たしくなるくらいに単純に生きている。
 今日の夕食の席で出会ったのは、意外にも日本人の母娘だった。この島に来て初めて僕以外の日本人を見た。話しをすると、なんとピサヌローク(タイで最も美しいとされる仏像のある街)の大学に留学しているとのこと。休みなのでお母さんと一緒にハロン湾へ。「だったら、お父さんは?」と半ば答えの分かっている質問をしてみると、やはり「家で留守番。休みとれないですもんね」と母親が答える。
 一日のトレッキングに参加した人からは「すごい良かった」という感想を聞いた。
 「君たちは午後はどうしてたの?」
 僕らはこう言う他ない。「海を見て、ビール飲んで、ずっとのんびりしてただけ」
 


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