波に囲まれた島

 大学の友達といつもの居酒屋で飲む。集まってくれたメンバーは、全員が後輩だけど、皆、博士課程である。僕は大学の勉強を、本当に、しなかったので、こうやって学問を続けている連中を見ると、感心し尊敬の念を抱くのみならず、たぶん、心のずっと底の方では、やっかみが少し頭をもたげる。僕が知らないことを、こいつらは知っているんだ、と思う。僕はそこへたどり着く道も、その道の存在さえもよく分からないままだった。
 「試験終了間際なのに解答用紙が白紙のまま」というのは悪夢の典型としてよく耳にする話しである。僕の場合、その夢は見たことがない。代わりに、「実はあなたは単位が足りなかったので、卒業は取り消しです」と通告されるひどい夢は時々ある。自分が大学に5年間もいながら、いかに何もしなかったのか、そしてまた、何もしなかったのに卒業証書を手にしてしまった、というところへの罪悪感が、未だにそういう形で古釘で引っ掻いた傷のように残っている。
 相変わらずの話題で、相変わらずの馬鹿話で場はこれまでと同じように盛り上がる。24時間前はまだバンコクで会社にいたなんて、嘘みたいに思える。飲み会があるから下宿から自転車で出てきた、それだけのことのように思える。
 「……が結婚して」という話しが出るあたり、年月を経ていることを感じさせる。
 居酒屋、焼鳥屋、バー、と三軒をはしごしてお開き。後輩のマンションに転がり、布団を貸してもらう。枕元に水のペットボトルとグラスを置いてくれたのがありがたい。
 翌朝、バックパックをかついで外に出ると、冷たい雨が降っていた。歩いて出るつもりにしていたが、傘を持っていないので、タクシーを拾って京阪の出町柳へ。通勤のラッシュに紛れて、K特急で京橋。ずっと眠っていた。予定より一本早く乗れたので、環状線のホームで、関空快速の到着まで半時間ばかりを持て余す。
 朝の環状線は、出発したと思ったら、もう次のオレンジ色の車体がホームに滑り込んで来る。そのひっきりなしにやって来る電車の一車両が女性専用車両。そういうものがあるというのを聞いてはいたが、目の当たりにしたのは初めてだった。京橋の駅自体は、高校の通学で毎日通っていたし、よくそこで下りて遊んでいたので馴染みのある駅だ。だけど、そこで一車両の乗客が全て女性というのは、僕の目にはものすごく奇異な光景として映った。(そのシステム自体には、諸手を挙げて賛同する。蛇足ながら)
 4月中頃の大阪の朝。Tシャツに長袖を一枚羽織っているだけでは、少々肌寒い。空腹ではないけれど、暖をとるために立ち食いソバ。なんだか、久しぶりに日本の旅をしている気がした。
 関空快速の車内も、ひたすらに眠る。目が覚めたらちょうどりんくうタウンだった。
B737-500
 チェックインして荷物を預けると、地下のローソンへ。昨夜の宿泊先に歯ブラシを忘れてきてしまったので、一本買う。そしていつも通り、ヱビスを一缶。でも、さすがにまだ脳髄に酒が残っている気がするので控えめに350ml。トイレで顔を洗い、髭を剃る。搭乗待合いで、ANKのむっちりとした小さな機体、B737-500を見下ろしながらヱビスを開ける。毎度の儀式みたいなものだ。
 ちょうど昼を挟んで2時間以上も飛ぶのだから、軽食くらい出るのだろうと予想していたが、飲み物サービスのみ。そんなものだったか。落語を聞いて「翼の王国」を読んでしまうと、何もすることがない。暇つぶしの読書にと思って、「フィネガンズ・ウェイク」を手許にしているものの、さすがにアルコールと睡眠不足がのしかかる頭ではページを開く気もしない。iPodから音楽を聴きながらうとうとしているだけだ。
 眼下はずっともこもこした絨毯のような雲が覆っていて、何も見えない。機長のアナウンスで、種子島上空だと教えられる頃に、ようやく少し雲が切れてきた。
 着陸に向かい高度を下げていく。窓から、所々に珊瑚礁にぐるりと囲まれた島が浮かんでいる。鮮やかな青い海水のところどころに、斑が入ったように濃い色があり珊瑚が群生していることが分かる。外洋からの波が、珊瑚礁で白くはじける。直線ではなく、環状に白く泡立つ波。
 海の青さというのは、その場所によって固有だ。石垣島を浮かべたそれはものすごい透明感があって、何かの化学物質の水溶液を思わせるほどに華やかだ。それに、柔らかく思える。
 空港の案内所で船の出発時刻を聞き、地図をもらう。出航まで2時間近くある。とりあえず離島桟橋へ向かい、往復の乗船券を購入。公設市場を歩いて時間をつぶすことを考えるも、何もなかった。いや、確かにニガウリがある、「おばあが作った」サーターアンダギーが並んでいる、豚の各部位が豪快に冷蔵ケースに入っている、各種土産物、雑貨、アクセサリー、シーサーの置物がある。それだけなのである。たぶん、どこかの温泉街の土産物屋で売っている物と、ここにある物をそっくり入れ替えても違和感がないだろう。シーサーではなくこけしだったり、サーターアンダギーの代わりに温泉饅頭があったとしても。
 日本の片田舎に特有の、停滞しきった、エネルギーの高揚もなければ、むしろ低調すらもない、何かを訴えかけるどころか、気がつかない内に生きる魂にじわりじわりと浸食して来るような、ある意味空恐ろしい何もなさだった。
 色に例えれば、薄い灰色だと感じて気が滅入ったのは、何も小雨を落とす雨雲のせいだけではあるまい。
 港を出ると、船は少し揺れた。でも、今度もまた、眠っている内に目的地に到着した。
 ウェブで情報をみつけた「たましろ荘」に入る。宿の主人は、人に話しをするときに目を左上方に逸らしたまま固定する。部屋は3人の相部屋だった。布団が、じっとり重たい。軒先にゴミなんだか道具なんだかが散らかっている。野菜が入っていた段ボールが雑然と積まれている。ビニル皮膜の電線が木にぐるぐると巻き付けられている。自転車のタイヤのチューブが転がっている。整理整頓という語はひっそりと波打ち際に置いてこられたのだろうか。
 探偵ナイトスクープというテレビ番組で、桂小枝の「パラダイス」ネタというのがあるが、ご存知だろうか。ここは遊戯施設ではないけれど、通底するものは共通していると思う。特定の狭い方向への努力に本人はむしろ必死。他人には苦笑か失笑。
 でも、むしろここまでだと、かえって笑い飛ばしてしまえる。と言うか、そうでもしないと身と心がもたない。別に快適な宿に来たかったわけではなくて、果てに来てみたかった、それだけだから。何かを求めるとき、できるだけその幅を絞っておいた方が、何かと楽である。それに安宿には十分に慣れている。
 幸いなことに洗濯機が使えたので、二日分のシャツと下着を洗う。二日ぶりに熱いシャワーを浴びて、蘇生した気持ちになる。売店で買って、共用の冷蔵庫に入れておいたオリオンの缶をプシュッと開けると、ようやくバンコクを出てから初めてほっと落ち着いた気になった。
 月曜の深夜にバンコクを発ち、火曜早朝に成田から電車で羽田。国内線に乗り継いで昼に伊丹。実家に数時間だけ顔を出して、夕方に慌ただしく神戸。新聞記者をやっている高校時代の友達を勤務中に呼びだして、従妹が菓子職人見習いとして働いているホテルの喫茶店でしゃべる。新快速で京都。深夜の1時か2時くらいまで飲んで、後輩の下宿。中途半端な睡眠を続けて、ここまで我が身を引っ張ってきた。
 夕食は、そこそこのボリューム。椎茸と豚肉とニンジンとこんにゃくとの中身汁が丼に一杯。半丁くらいの湯豆腐。シビのお刺身。ソーキと昆布と大根とニンジンの煮物。その量に、とてもではないけれど、おひつには手が出ない。お膳に乗った茶碗は、ずっと伏せられたまま。
 泡波という泡盛が出てくる。「幻の」と冠されるそうだ。確かに東京あたりで飲むと、ショットで2000円はするだろうと言われた。ただ、聞いた話しを総合すると、この島での生産量が限られているので、希少価値として値段が高いということのようだ。波照間に4軒ある売店ででも、見かけることも稀なのだとか。語ってくれた人は、幻の、と口にしながらも、でもまあほらねえ、生産量の問題だけだから、というニュアンスが出ているのがおもしろかった。味としては特筆すべきほどではないような気がする。普通に泡盛だった。そもそも僕は泡盛に執着する方ではないのだし。
 10人ほどの同宿の人全員が軒先の木の机を囲んでわいわいと。宿の主人の指名で今夜の司会者が決められ、自己紹介など。「たましろ初めての方は?」と訊かれて、挙手したのは僕一人だった。
 「宮古島から来ました」とか、「次は南大東島へ」とか、「波照間は6年ほど前からよく来てるんです」という発話が多かった。僕の知っている文脈になぞらえるのなら、「アンコールワットは行きました?」「いやあ、ヴァラナシのガートで」「ネパールまではバスで越えたんです」というのと同じようなところであろうかとも思う。
 なんとなく耳にしたことはあったが、離島を巡る旅に情熱をかける旅人という層も結構分厚いようだ。
 また、例えばアジアの旅行者ならば「深夜特急」という著作名を耳にすることがままあるが(僕もその一人だ)、ここでは「Dr.コトー診療所」を会話に挟む人が多かった。僕は辛うじて、それが僻地医療に携わる医者のマンガだということだけ知っているが、それだけ。「そこでコトー先生ごっこしました?」という突っ込みに笑い声が上がったが、僕には理解できなかった。家に帰ったらマンガ喫茶でも行って読んでみることにしようと思った。
 着いたばかりで話しが早いのだが、帰路では石垣島で3時間ばかり時間を持て余す。どうしたらいいでしょうと訊いてみると、さすがにみんなこの辺りに明るい。竹富島へ行けばよいということになった。石垣から船が頻繁に出ているし、航海も10分ばかり。石垣にいるよりおもしろかろう、とのことだった。
 宿泊客の一人が偶然にも今日が誕生日だった。彼女の自主申告によると、めでたくも二十歳になられたとのこと。(誰かが「思い出に残っているテレビ番組は?」と質問したら、「ひょっこりひょうたん島」と返事をしていらっしゃったが)
 宿の主人の肝入りで、八重泉の一升瓶が供され、ギターを弾く人がいて、紙吹雪が舞ってハッピーバースデー。
 ここは二度目なんだという人に声をかけてもらって、彼を含めて三人で西の浜へ出る。用意がよく、明るい懐中電灯を持っていた。前回は真っ暗で、結構大変だったから、と。試みにスイッチを切ると、どこまでが道で、どこからがサトウキビ畑なのかが見分けられない。
 Tシャツに短パンでは夜風が冷たい。真っ暗な海に、不思議と波頭の白さだけが淡く光って線となって浮かび上がる。


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