夜の砂浜

 波照間島の二日目。今日のメインはダイビング。
 贅沢にも、ガイド一人に僕一人だった。午前と午後に一本ずつ。天気は薄曇り。陸上にいると暑くもなく寒くもなくという程度だった。5mmの厚さの長袖長ズボンのウェットスーツを着ているので、身構えていたほどに寒くはない。
 島の西側すぐのイリゴチというポイントが午前の一本。風力発電の大きな風車が回っているのがすぐ見えるくらいに近い。最大で深度は20メートルほどとガイダンスを受ける。潮の流れもさほどなく、楽だった。さんさんと太陽が照っているというほどではないにせよ、海の青さと透明度はかなりのものだった。
キモガニ
 さしたる大物はなかったが、珊瑚と似たデザインのキモガニが珊瑚の隙間にいたり、小指ほどの体調で透き通っているエビをガイドが見せてくれる。自分では絶対に見つけられないだろう。
 昼食は、朝の残りのご飯を配られたラップで各自おにぎりに。小さめなのを二つ作っておいたが、ダイビングの後ではむしろ足りないくらいだった。
 午後はイソマグロの群が見えるポイントを狙う。ベラによるクリーニングの場所もあると言う。そこでは、身体を掃除してもらうイソマグロが、次第に頭を上に直立していくのだそうだ。ただ、タイミングの問題で会えるかどうかはその時次第。可能性がある何カ所かで、じっと待つ必要があるとの事前説明。
 さほど強くはないが潮の流れがある場所で、珊瑚の端を片手でつかみながら、10分くらいイソマグロの到来を待つ。二、三カ所で粘ってみたものの、出会うことはできなかった。目の前の珊瑚礁を行き交う小さな魚を眺めたり、ガイドに指摘されて上層を見上げると、グルクンの群が泳いでいた。
 午後のダイビングを終え、宿のシャワーで身体の塩気を落としてしまうと、夕方前からすることがなくなってしまう。それはそれでもよいのだが、天候も今ひとつ。そして、まだフィネガンズ・ウェイクを手に取ろうという気にはならない。浜辺に出ようかとも思ったけれど、もどって来た人が「5分だけ入ったけど、寒かった」と、体調を少し崩して部屋に横になっていた。
 旅行記の文章を叩いたり、売店で買ってきたオリオンをちびちび飲んでゆるりと過ごす。
 夜は同じく大量のご飯と泡波。今夜は、天ぷらソバと鰻丼という炭水化物メニューがお膳の8割を占めていた。ソバは安っぽい乾麺で、すでに伸びきっている。この宿に慣れている人は「汁を吸って膨張するから、まずソバから取りかからなきゃ」と言っている。
 正直、美味しいものではない。量だけがある。食べ尽くす人もいるけれど、ほとんどの人の皿には食べ物が残されたままだ。あまりにもったいない。これが朝夕と毎日繰り返されているのだ。この宿なりのもてなしの気持ちなのだろうか。それにしてもと、もったいなく、そして寂しく思う。
 8時半になると、宿の主人が「みんなで歌を歌いましょう」と模造紙に大書した歌詞カードを掲げる。どさっと言う音がするほどの束が机に置かれた。「我は海の子」「トロイカ」「月の沙漠」などなど。
 たぶん、想像に過ぎないけれど、二昔くらい前の時代には、こういう歌をみんなで肩を組んで歌って友情とか愛情とかが育まれていたのかもしれない。だけど、正直なところ、少なくとも僕には、そんな文部省唱歌のような歌は、存在を知識として知っているくらいに過ぎない。それに、みんなで歌を歌って楽しいのだろうか。何より、僕は壊滅的な音痴なのだ。
 歌詞カードをめくる役に指名された札幌の若い夫婦がかわいそうだった。以前ここに来て、このイベントに出くわしたことのある人は、始まる前から、うまいこと闇に紛れて道路を挟んだ向かいに置かれた席に逃れていた。
 宿泊客は別に若者ばかりでもない。一人、50代とおぼしき女性は結構上手に歌っていた。僕はどういうことになるのだろうかという好奇心と、もしかしたら三線を弾く人でも現れないものか、という期待からその場にいたものの、3曲目くらいの合間にトイレに立ってそのまま後を追って避難所へ。
 誰にとって幸か不幸かはそれぞれだが、それから10分もせずに合唱会は自然に消滅したようだ。宿の主人がいたときには「それではもう一回」などと淡々と進行されていたが、彼が席を外すと推進力も同時に消滅。
 海に行きませんかという話しがあり、僕を含めた何人かが賛成する。
泡波
 食事の際に瓶に半分くらい残っていた八重泉を持ち出す。雲が薄くかかっているが、辛うじて星が見える。砂浜に腰掛け、瓶をラッパ飲みで回し飲み。昨夜と違って風がない。
 何年か前にここの西の浜にに建つトイレとシャワーの設備がある建物で、旅行者による殺人事件があったことを誰かが口にして、ヒヤリとした気になる。暗闇の中でその現場にいるのだから。
 だけど、一人結構な酔っぱらいもいて(僕ではない、念のため)、夜の砂浜で6人のグループが、全員同宿になったというだけの理由にも関わらず、心通わせながら団欒が続く。途中でいつの間にか星が雲の向こうに消えている。1時過ぎくらいまで、酒を飲み、砂浜での会話が散発的に続く。ゆっくりと身体の力抜けて心地よい。


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