光溢れる
朝食の場で毎日、その日に宿を出る人が確認される。石垣行きの何時の船に乗るのかをチェックし、宿の主人が港まで送る予定を立てる。そして請求書が渡される。朝一番は9時50分発。恒例のようで、残る人たちが見送りに行く。僕は今日は自転車で島を巡るつもりにしていたので、見送りついでにスタートを港にする。
次の目的島へ向かうため、とりあえず石垣へ誰もが出る。堤防から手を振る。内の一人は、僕が学生時代に下宿していたアパートから、たぶん直線距離で100メートルくらいの所に、同じ時代に住んでいたことが昨夜分かった。狭い世界だと思うと同時に、何の関係もないし当時の面識があったわけでもないのに関わらず、喜ばしい気持ちになった。
その、現在は結婚して奈良で看護士をしているという同年齢の女性と、どういう話しの流れだったか京都に住んでいたことがあるということになった。
「どこ?」「左京区」「私も」、「北白川」「私も」……「仕伏町なんだけど、三系統の終点の」「えー、私も仕伏町。バプテスト病院で働いてたから」「それって、あのバス停の目の前の? 僕はそっから志賀越道の方に下りてすぐの、疎水沿い」「あの辺にある銭湯によく行ってたよ」「うわ、その路地入った奥だ」「あ、もしかして神社の横?」「まさに」。こんな感じだった。
チェックインのときにもらったB4の紙の手書きの地図のコピーを参考に、まずは島内一周道路に。これも同室の人から教えてもらったのだが、右回りに行く方がアップダウンが楽なのだそうだ。港から少し上がって右折。周囲16kmほどなので、自転車でぐるっと巡っても半日もかからないのだそうだ。サトウキビ畑とたまに山羊や牛が飼われているほどの、どちらかと言うと殺風景で単調な曇り空の道を漕いで行く。
目指すは最南端の碑。この旅の目的地である。
島内一周道路に乗っていたはずなのだが、少し迷う。方角が分からなくなり、えいやと適当な方向にサトウキビ畑を縫う、舗装されていない小道を走る。おそらくはこちらだろう、と思う方へ進んでいたら標識に出会い正解だった。
「最南端の碑」という語には、二通りの解釈が可能だ。「最南端を示す碑」と「日本中に色々な碑がある中で、一番南にある碑」。実際のところ、その決して広くはない場所にはいくつかの碑が設置されていた。
四阿が置かれ、海に接する辺りは30メートルほどの高さの断崖になって、打ち寄せる巨大な波が無数の細かな白い飛沫として砕け散るその一帯にある「碑たち」は、それぞれ何を訪れた人に示すための物なのか。
北の方から順に「記念物 高那の景勝」(ここは高那崎という)、「波照間島之碑」、「日本最南端平和の碑 竹富町」、「聖寿奉祝の碑」(海に向かった裏面には、ガラスに収められた日の丸)、そして「日本最南端之碑」であった。
少なくとも日本最南端の有人島にある中では一番南に建っている。しかし厳密に考えると、国土として最南端の島は沖ノ鳥島である。寡聞にして知らないが、そこに、あるいは波照間島と沖ノ鳥島の間のどこかにでも、何がしかの碑があれば波照間の「日本最南端之碑」は成り立たなくなる。仮にそういうのは何もなかったとしたら、「日本全国にある碑の中で最南端にある」の意味だけを備えることになる。
絶壁が海に落ち込む近くまで歩いた。岩は、その昔は海の中にあったのだろうか。無数の細かな泡のような穴が開き、そのごつごつした全ての先端が尖っている。その巨大さにさえ目をつむれば、大根をすり下ろすのにふさわしいような場所だ。サンダルを履いた足で少しずつ海に近づきながら、間違っても我が身をすり下ろすことのないように、細心の注意で南へ進む。
もしかしたら潮の高い日には、この場所まで海水が押し寄せるのだろうかと思わせる物があった。脱ぎ捨てられた赤い蟹の甲羅が一つと、細かな凹凸の間にすっぽりと治まった人差し指の爪ほどの大きさの巻き貝が複数。
波の寄せ方には一定のタイミングあった。5分に一度ほどの割合で、その絶壁を乗り越えんばかりの勢いで、轟音と共に圧倒的な力で押し寄せる。激しく砕けると、真っ白な、世界中の白色の基準になるような、あらゆる光を容赦なく反射する完璧なまでの白い泡になりながら、一度高みに上がり、そして引いていく。
自滅願望のかけらもない現世に執着した人間ではあるが、そこに引きずり込まれる奇妙な誘惑の感覚が確かに手招いていた。現実的に考えて、冷たいし痛かろうと思うのだけれど、それでもなお、ふと気を許すと足が固い岩を蹴飛ばし波にまみれる快感の想像は、蠱惑的だった。
小一時間そこに滞在し、道が続くままに北東方向へペダルを漕ぐ。道は単調で、さして目に留まるものはない。相変わらずの曇天に退屈感をまとって波照間空港到着。琉球エアーコミューターが石垣島との間を就航している。空港の入り口のフェンスには、縦長の看板にこんな標語が。
「南の島の活性化/それはあなたの空の旅」
続いて、シムスケーという古井戸へ。通りから案内に従って小道を右に折れる。かつての貴重な水源には、今では虫が集っていた。小さな花が咲き、蝶や蜂が多く訪れていた。
その先にも小道は続き、海に出られるのかもしれないと思い、自転車で軽い下りを行く。が、途中で後輪がパンクしたことに気付く。海はもう少し向こうに見える。仕方なしにそこで諦めて、自転車を押して島内一周道路へ復帰。
もう少しだけ進んで、ぶりぶち公園と逆側、島の中心部へ続く道を右に折れる。一周はまた午後からでも続ければよいかと思う。サトウキビ畑の間を行く。大きなアンテナの建つNTTの中継所を越えると、学校や商店や民家などが集まっている。
売店で、酒の置かれた棚をちらりと見てみたが、やはりここでも泡波は並んでいない。代わりにというわけでもないが、埃にまみれたカティーサークの緑の瓶や、果たしてその内部がどういう状態になっているのか逆に好奇心を刺激する、これまた長い間そこに陳列されていることに何の説明も必要としない外観のワインの瓶などが並んでいた。オリオンの500mlを一缶。水分補給のつもりだったが、あまり美味しいと思えず半分近くを飲みきれないまま捨ててしまった。
汗だくになって、宿へ戻る。お握りを食べていると、島一周への勢いがなんだか失せてしまった。疲れからうつらうつらしている内に、涼しい風に汗も引いた。
さっぱりと一周は諦めて、初めて昼間の西の浜へ出ることにした。水着を履き、マスクとシュノーケル、それにデジカメとiPodをスーパーのビニル袋に入れ、この二晩真っ暗だった道を、自転車で駆け下りる。天気は相変わらず今一つではあるが、せっかくだからビーチも楽しみたい。
岩の上に着替えとカバンを置いて、波打ち際へ。飛び込みたい衝動に駆られるほどの気温と水温では決してないものの、えいやで入ってしまえば何とかなるだろう。実際、片手で数えるほどだが海の中に人もいる。その他の人は、砂浜に寝転がっていたり、あるいは四阿の下で酒を飲んでいるようだった。
薄曇りなので、透明度は低く、くすんだ明るい緑色だった。かなりの遠浅で、ずいぶんと岸から離れてもずっと足が立つ深さだった。50m、あるいはもう少し沖合いまで出ても珊瑚礁はまだ出てこない。ただ、魚はちらほらと泳いでいる。
おとといの夜に自称二十歳の誕生日を祝った人が、絵を描くのが趣味だと、賑やかな色彩のカワハギのポストカードを一枚くれた。本人は謙遜しておられたが、実物を見て、ああ、なるほどあの絵の通りの魚が泳いでいると感心した。
砂浜から続く海の色が、ぐっと深く濃くなる辺りでようやく珊瑚礁にたどり着く。残念ながらやはり光量が不足していて、さほど心動かされる光景ではない。
飽いた気分になって、浜へ戻ることにする。
せっかくなので、デジカメのモードを最高の解像度に切り替えて、海を撮る。岩の上に上ってみたり、そこに生える緑を近景に入れてみたり、波打ち際を収めたり、水平線を狙ったり、何度もシャッターを押す。海の色は、水面よりも高い位置から見る方がきれいに見えた。決して一色ではなく、目に入る中にいくつもの色の塊を形成して一つの海だった。
旅先でこうして撮影する写真は、帰宅後にパソコンのデスクトップの背景画像として用いられる。例えばこれまでは、アイラ島の波に洗われるボウモア蒸留所だったり、ギリメノ島のビーチで飲んだビンタンビールだったり、モルディブの透明な水際と桟橋だったりしてきた。
今回、それほど心揺さぶられたわけでもないが、それでも海はそれなりに美しかった。
これ以上泳ぐ気もなく、宿に戻って昼寝でもと思い、小高い場所に置いた自転車まで戻る。
ビーチとは大きな岩で仕切られた右手に防波堤があり、そこに寝転んでいる人がいた。彼を真似て、海辺の昼寝を決め込む。幅は1m弱だが、落ちることはないだろう。iPodからガムランを小さめの音量で耳に注ぎながら、コンクリートの上に横になる。熱を吸ったそれは意外にもほこほこと暖かかった。さんさんと陽が照っていないのが、かえって眠気を誘う。穏やかな暖かさの中、すぐに気持ちよく寝入っていく。
そんなに眠りこけたわけではない。せいぜい数十分というところだろう。深く眠ったのか、目覚めると爽快感があった。
いつの間にか雲が切れ、太陽が降り注ぎ、先ほどまでは曇り空に向けてさらしていたはずの身体が強烈な光線を浴びていた。鼻の頭がひりひりとするくらいだった。その光量とちりちりする痛みが、ここが南の島であることを急激に思い出させた。
風景も劇的に変化していた。海、それ自身があちらこちらで輝いている。内部から発光しているかと思うほどだ。先ほどまでのどちらかと言うと薄暗い光景は、既に過去の遺物だった。騙されていたんじゃないかと思うほどに、ここは南国で、そして海だった。
そうだよ、こういのを求めていたんだ、と心の中で興奮が湧き上がる。
もう一度ビーチに戻って、先ほどと同じ場所で同じアングルで、全く異なる世界の様子を写し撮る。ここまでの青の濃淡や透明感や、溢れる光の粒子は、デジカメには収まりきらないことを経験として知っている。それでもなお。
つい数十分前には、物足りなさを感じていたのに、今はその正反対の感情にある。どんどんどんどん鮮烈に生きた光が飛び込んで来る。できるのは、無理だと分かってもシャッターを切ること。そしてそれ以上に、その場に立ち尽くし、抱えきれずこぼれていく光子の音を聞きながら、それでも全身をさらすことだった。
この海の色を見るためにだけでも、波照間島へ来た甲斐があった。
だけど、それだけでは終わらなかった。大量のカレーと冷麦という、これまた何とも言えない夕食の後、パスポートを持ってやって来たのが最初の沖縄だと言う、50代前半に思える男性の誘いで、星を見に行った。
最初は既に僕にとっては恒例となった西の浜。もう少し長くいたかったけれど、場所を変えようと、サトウキビ畑へ。5人くらいで、ぞろぞろとまっすぐな道を歩く。
正面の地平線右より、横倒しになった菱形の部分が南十字星だった。流れ星に歓声が上がった。
その夜は宿に戻ってからも、ずっと外に出て満天の星を見上げていた。
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