ビール一杯1400円

2008年8月9日

スカンジナビア航空972便 00:25 バンコク 06:35 コペンハーゲン
スカンジナビア航空2862便   08:10 コペンハーゲン 09:35 ベルゲン

 

バンコク〜ベルゲン航空券
 サマータイムの実施時期なので、タイとの時差は5時間。時差ボケ予防の原則に従い、搭乗すぐに時計を午前零時過ぎから、午後7時過ぎに戻した。
 やはりと言うか、むしろ予想以上にエコノミーエクストラの座席は快適だった。SASのウェブでシートのスペックを見比べていたときは、エコノミーとさほど違いがないように思えたのだが(横幅は2センチ長く、足回りが15cmほど広く、それにフットレストがある)、実際にはその違いのおかげで11時間少々のフライトも驚くほどに楽で、それなりに睡眠も確保できた。
 搭乗の際、見た目にビジネスの座席ほどインパクトがないため、「ほら、あそこから後ろは2+4+2列やけど、ここは2+3+2やろ。フットレストもあんねんで」と僕の方から指摘してようやく妻が気付いたのは少しだけ残念だった。まあ、その分、年末年始のニュージーランドの特に復路でしんどい思いをしていた妻だったのだが、今回は到着時に「いやー、このシート楽やったわ。感謝、感謝」と合掌してくれたので救われた。
 機内食は美味しくなかったが、こちらはまあ予想の範囲。機内食の朝食のオムレツを美味しく作れる技術ができれば、それは革命的な出来事になろうだろうと思う。
 エコノミーエクストラの利点の一つに、食事時間帯以外のアルコールが無料というのがある。逆に言えば、エコノミーだと代金を支払わなければいけない。しかし結局、白ワインを一杯とツボルグ一本ですっきりと寝込んでしまったのだが。
ツボルグビール
 「せっかくだから搭乗証明書をもらおう」と考えていたのだが、「うちはやってないんですよ。すみません」と客室乗務員。詳しくは知らないのだけど、あれは航空会社によるのだろうか。ベリカードみたいに、あまねきものではなかったのか。
フライトマップ
 一般的に考えると、国際線どうしの乗り継ぎの場合、乗り継ぎの空港では入官審査を通らない。トランスファーの看板に従って、もう一度手荷物検査を受けて次の便の搭乗口へ。今回は、デンマークを経由してノルウェーというつなぎ方だが、シェンゲン協定国間の移動になる。事前に妹からも「コペンでイミグレやで」とは聞いていたものの、到着時の機内でも特に案内はなく、どうしたものかと思いながらトランスファーへ向かう。すぐに手荷物検査があった。そしておもしろいことに、その次が入官だった。
 ただ、係官はパスポートをちらりと見ると、例のシェンゲン協定国に共通の味気ない入国スタンプを押して、はいどうぞ。パスポートデータをスキャンすることもなければ、コンピューターに何かを打ち込むことさえもなかった。
 先に通過した妻も同様で、ビザをちらっと見てスタンプを押すだけ。しかも出勤してきたばかりなのだろう係官は、「あら。この人にはスタンプ押さなきゃ」といった感じで、ハンドバッグからスタンプを取り出し、傍らの紙に試しに押してみてからの作業だった。見ていた間に多くの人がパスポートの提示だけで通り過ぎて行った。
 ビザ申請時の煩雑さからすれば拍子抜けするほどだった。(タイ国籍の人がシェンゲン協定国を複数訪れる場合、最も長く滞在する国の公館でビザを取得すればよいらしい。妻の場合それはフランス大使館だった。住居登録証や預金通帳のコピー、会社からの在籍証明をはじめ、「まあ、書類が束になったわよ。日本のビザも毎回面倒やけど、ヨーロッパはそれ以上やった」だそうだ。)
 「アジアとはちゃうね。静謐が詰まってる感じがする」というのは、二人とも空港で等しく感じた。早朝だからというのを差っ引いたとしても、何か柔らかで硬質な雰囲気が一分の隙なく時間と空間を充たしている。
 コペンハーゲンから1時間少々でベルゲン到着。最前列の座席だったので、二人して一番にすたすた下りて歩いて行く。
 いきなりだけど、到着してすぐにベルゲンのフレスラン空港で用事を一つこなさないといけない。
 「免税店でカールスバーグ買ってきて。ノルウェー人もドドッとそっちに流れるからすぐ分かると思うわ。市内で買うと倍の値段してまうねん。ほんまに、北欧の物価ってのは、ぶつぶつぶつぶつ」
 空港で出迎えてくれる僕の実妹からの頼みである。ガイドも引き受けてくれるわけだし、断るわけにはいかない。
 別に仲が悪いというわけではないが、そもそもここ10年ほどは年に一度会う機会があるかどうかだった。今回は、僕らの結婚式以来だからこの五ヶ月で二度目。驚異的なペースだ。
 式のとき、冬の北欧から暑季にさしかかったバンコクまで、妹はなんでもコペンハーゲンと(やはり)、それからイスタンブールを経由して飛んで来た。気温は、一ケタ台→15度くらい→30度超と推移していたそうだ。そりゃあ、早朝とは言えチャオプラヤ川沿いの屋外で執り行った婚約式に着物姿は暑かったことであろう。
 出発前に見た天気予報によると、バンコク33度→ベルゲン15度と、その差は少ない。実際、思っていたほど寒いという感じもない。日本の秋くらいだ。長袖に軽い上着一枚。
 なるほど聞いていた通り、飛行機から降りてきた人たちはまるでそれが規定のコースであるかのように続々と免税店に入ってくる。
 6缶パックを3つ購入。二つは妹へ、一つはホテルで自分が飲むため。その他に、シャンパンとカヴァの小瓶を2本ずつ。妻はベイリーズとボンベイサファイアの小瓶。
 買い物を終え廊下を歩いていると、横がガラス張りになっていて一つ下の階が見える。と、妻が「あ! いたいた」と手を振った。ヘッドフォンをしたままの妹が下から手を振り返す。
 「ゴモルン!」
 「ところで、税関を通った記憶がないねんけど、ええんか?」
 妹が傍らのシャッターの下りた窓口を示し、「そこで人を呼びだして『申告するものありません』って言うてもええねんけど、もしご希望なら」
 僕の手持ちの現金は、わずかなタイバーツと日本円。妻はバーツと少しだけのアメリカドル。
 「あとでまとめて円でそっちの銀行に振り込んどくから、適当によろしく」とすっかり妹頼りで市内行きの空港バスに乗り込む。
 いい天気だ。起伏のある緑のあちこちに、可愛らしい家が建ち並ぶ。どちらかというとこぢんまりしている。カラフルなのだけど決して派手ではない。
 妹の中学・高校時代からの友達が二人昨夜既に到着して、彼女の家にいると言う。
 「それがさー、フランクフルトからやってんけど、夜中にディレイしてもうて。迎えに来たはいいねんけど、結局家に戻って寝たの4時前やねん」
 「いやいや、ありがとう、ありがとう。こうしてまた早朝に空港まで出てきてくれて。ほんでさ、僕ら二人はなーんも考えてへんねんけど、今日はどういうコースなん?」
 「とりあえずホテルまで連れてく。私の持ってきたカバンにおみやげ引き取るんで。そっから一回家戻って、友達を連れて来るから再合流。それまでの間、日本語の話せるノルウェー人の知り合い呼んであるから、その人に着いてって」
 空港バスを降りるとすぐに港だった。万国旗がはためき、びっしりと船が並んでいる。なんだか祝祭的な雰囲気すらある。
ブリッゲン
 「なんかな、この週末船のレースやってんねん。普段はこんなに人見たことないねんけど」
 幸いに空室があり、チェックイン時刻前だったけれど、すんなり部屋に入れてもらえた。
 主にタイ料理のおみやげをこれでもかと引っ張り出して妹に引き渡す。もちろんタイのビールもある。ここまでの荷物の重さの半分以上がここで解消できた。
 「免税で3パック買うてきたけど、一つはオレのやからな」と言うや、妹は3パックとも自分のカバンに入れ「一つは兄ちゃんの? ほな、はい、一缶」と差し出す。「アホか」と言うと、「しゃあないな、ほなもう一本あげるわ」と。横で見ていた妻が「いいじゃないの、2本でじゅうぶんでしょ」と笑いながら言う。しょっぱなから兄妹喧嘩をしてもしょうがないので、ここはぐっと大人の対応。
 妹からは「フルーツケーキを焼いたんで、よかったらどっかで食べてと」アルミフォイルに包まれたのをいただく。
 慌ただしく「ほな、後で」と妹がおみやげを満載したキャリーケースを転がして部屋を去る。
 我々も急いでシャワーを浴びて、さっぱり着替えてロビーへ。
 「日本人会のつながり」だというノルウェー人のオーゲさん。40代くらいだろうが、物静かな感じの男性。日本語はぺらぺら。英語もぺらぺら。フランス語もできるし、今は中国語も勉強しているのだそうだ。そして、もう一方、妹と同じ職場だというSさんは日本人。30代半ばくらいに見受けられる男性。ああ、理科系の研究者の方なんだという感じの風貌である。(どちらかというと、好意的な意味合いだ)
 とりあえず「魚市場に行きたい」という我々のリクエストで、「それでは」と出発。
 「聞いていたより、温かいし天気はいいし」「先週は30度近くまでいったんですよ。でも、本当、これだけ天気がいいのは珍しいですよ」「何年くらいお住まいなのですか?」「5年ですね」「冬はやっぱり寒いですか?」「いやー、それが、以前北海道に住んでいたことがあるんですが、こっちの方が楽ですよ」
 というようなアイスブレイキングな会話を僕とH氏。オーゲさんは、妻とは英語で僕とは日本語で話してくれる。「英語だけでいいですよ」と言おう言おうと思いつつも、英語/日本語がまるで一つの会話中にあるように切れ目無くスイッチするのでタイミングがつかめない。
 おもしろいことに、日本語でも英語でも彼の発声のトーンが同じなのだ。声量とか声の大きさだけでなく、抑制されたある範囲内に、しかもその範囲内においてすら振幅も少なく、耳に届く刺激量がほぼ一定。例えば僕は英語を話すときは、どうしてもアメリカ英語が学習のスタンダードだったから、アクセントとかイントネーションでけっこう起伏がある。タイ語の発音になると、自分でも何とかしなければと思っているけど、かなり日本語っぽいタイ語の発音になってしまう。
 ところがオーゲさんのそれは、常に一定なのだ。しかしそれは彼の外国語の発音が正しくないということを意味するものではない。むしろ、少なくとも僕が聞いて判断する限り、日本語も英語もパーフェクトに近い。知らずに日本語で電話で話していたら、まず分からないと思う。
 港すぐにテントをはりめぐらせて、エビやカニの他にも、うなぎやクジラ、丸のままのアンコウなんというのも売っている。軽食屋ではスモークサーモンがたっぷり乗ったオープンサンドイッチなど、いかにもうまそうだ。一軒の店では日本人女性がゴム製の前掛けを羽織ってアルバイトとして働いていた。
魚市場
 中には日本語で表示を掲げている店もある。夏場は、成田からの直行便も飛んでくるほどの観光地なのだ。
 市場の一隅には土産物屋。タイだと「とりあえず象」をデザインしておけば何だってタイ土産になると思われている節があるが、ここでの代表的なキャラクターは「トロール」と「ヴァイキング」だった。可愛いと醜いの後者に偏った森に住むトロールの人形や、ヘルメットから湾曲した角が突き出したヴァイキングの帽子が定番のようだ。あるいは、オオカミの毛皮なぞは、いかにも「ちょっと前に森から剥いできました」というくらいの勢いでぶら下がっている。
オオカミの毛皮
 市場を抜けても、通りは船のレースのために人でごったがえしている。
 すごい人出
 ブリッゲンへ。ハンザ同盟の名残を留める、港に面した木造家屋がずらりと並ぶ。正面から見ると、微妙に傾いている建物もあるが、密集しているおかげで全体として一つのバランスを形成して成り立っているように見える。
 北欧らしい雑貨が並ぶ店や、いわゆる土産物屋をひやかすが、とりたてて欲しいと思うものもない。一軒の衣料を中心とした店で、日本人女性がアルバイトしていた。
 ベルゲンに住む日本人は30人くらいで、ほとんどが知り合いなのだそうだ。それはそうだろうな、と思う。公式な数字だけで4万人を超えるバンコクとはその感じは全然違うのだと、改めて外国で暮らす妹のことを少しだけ考えた。
 妹からの連絡がないまま、既に午後1時を回った。僕は兄として、そしてお腹を空かせた妻と共にいる夫として決断を下す。
 「オーゲさん、妹たちを待たなくて良いのでお昼にしませんか」
 「ちょっと待ってください、電話をかけてみましょう」「もう間もなくだそうですよ。お薦めのお店があるそうなので、そこまで歩きましょう」
 港を後にして中心街へ。とは言うものの、5分程度である。マダムベルゲンというファストフードの店へ。
 「ここは魚のスープと、はんぺんが美味しいです」
 はんぺんという日本語をご存知のあたり、彼の語学力の奥深さに改めて感じ入る。
 そのはんぺん、いくつかバリエーションがある中で、ニラ入りのものとプレーンのものを一つずつ、それから紙コップに入ったクリームスープ。
 見た目は薩摩揚げに近く、ふわふわの食感は確かにはんぺん。スープの具にも同じようなはんぺん状の小さなすり身の固まり。
 これが熱々であれば、もう少しどちらも美味しいのではないかと思うがどうにも。食べられないわけではないけれど、なんとも気の抜けた感じのする食べ物だ。当然ながらファストフード屋さんなのでビールは置いてない。
 「食事については期待せんといてや」と、事前に何度も妹が口を酸っぱくして言っていたことが今さらながらになるほどと思われた。
 僕らが食べ始めた頃にようやく妹一行が到着。
 全員で揃って、今度はというフロイエン山に上る。標高320m。また港の方へ引き返し、ケーブルカーの駅へ。
 「なんでそもそもケーブルカーが設置されたのですか、オーゲさん?」
 「ノルウェー人はスキーが好きなので、そのために作ったのがそもそもです」
 ベルゲンは7つの山に囲まれている。そう言えば妹がブログで、5月の終わりにはその7つの山を全て登る日があると書いていたことがある。
 見晴らしや良し。ピーカンの天気も素晴らしい。
フロイエン山
 「どこが川で、どこが海なんですか?」
 「ここから見えるのは全部海です。フィヨルドです」
 入り組んでいて、時にその幅は川のように狭くとも全て海水が満たしている。
 実は妹の職場を見せてもらうことを楽しみにしていたのだが、本人には「えー」と即時却下された。「ほら、あそこの建物よ。見たからいいでしょ?」
 「家はどの辺なん?」「あっちの方」
 「通勤、どうしてんの?」「普段は自転車。雨降ったら歩く」
 「何分くらい?」「30分くらいかな」
 バンコクで30分の徒歩というのは、暑すぎてちょっと考えられない。異国である。
 さて、地上へ戻り、再びブリッゲン。お次はハンザ博物館。1704年建設の木造の商館を利用している。
ハンザ博物館
 ここで、オーゲさんの知識が遺憾なく発揮される。干し鱈の中心地であったここベルゲン。オーゲさんはかちかちになった鱈を指して「この棒鱈が…」と説明してくれる。棒鱈? どこの日本語教科書を見ても、絶対に掲載されていない単語だと思う。
 ドイツの商人は、10歳に達した我が子をここに送り、10年間の教育を受けさせたという。「丁稚、小番頭、番頭のような制度がありました」
 「ここが覗き窓になっていて、忙しい商人はここから訪問客を確認して、もし会いたくなければ、そのタンスの中の隠し階段からこっそり上階に上がって居留守を使っていました」
 「当時は横になって寝るのは死体だけ。だからみんなこの寝室で座って寝ていました」
 「木造建築が密集したこの地域では、火の使用は禁じられていました。だから食事も冷たいものばかり。エリアの奥まった一角だけ、火が使えたので、一杯飲み屋があったそうです。男性だけしか入れなかったのです。女性にハンザ商人の秘密が漏れないようにするためです」
 「この写真を見てください。沖合にずらーっと並んでいるこれらは、全て鱈を取る船です」
 妹たちはおみやげ屋を物色しに行く。僕らはお昼前にあらかた見てしまっているから適当にぶらぶら。ようやく僕はここでビールを飲む機会を得た。
 相変わらずの人出でごった返す港べりにちょっとしたカフェスペースができている。実はお昼時にも一度試みたのだが、店に入るための行列の長さにあっさりと断念していた。今改めて見てみると、満席ではあるけれど行列はできていない。何、別に席について飲む必要もないのだ。
 「ビール1杯」と出てきたのはご当地の、その名もハンザビール。お祭り会場らしく、プラスティックのカップに入っている。ずっと歩き続けの一日で、ようやく夕方になって巡り会えた。良く冷えていて、胃にしみる。
 代金66ノルウェークローネ(およそ1,400円)には驚愕する他ないが、四の五の言ってられない。
 ぐっと飲み干し、これでようやく人心地がついた。
 さあ、夕食。シーフードを食べないと気が済まない。だが、これもまた難関だった。
 オーゲさんや妹をして「ベルゲンでこんな人出は見たことがない」と言わしめるほどの賑わい。それにこちらの人数が全部で7人というのも災いして、入れる店がまったくない。これでまた1時間かあるいはそれ以上を費やして、港べりから街の中心部、ホテルのレストランあるいはさらに足を伸ばしたところまで、4、5軒は歩いた。
 「イタリアンとかでいい? 普段はノルウェー料理ってあんま食べへんねん、私も」という妹に、懇願するように「ノルウェー料理のシーフード!」と僕は主張を続ける。
 ようやく席の見つかった一軒は「ラストオーダーなので飲み物だけになりますが」という返事に涙を飲む。
 結局、ベルゲンの街を巡り巡って、最初の一軒に戻ることになった。
 ホタテのマリネ、ムール貝の白ワイン蒸し、サーモンのホワイトソースを夫婦二人で。付け合わせには一口大のジャガイモを茹でたもの。
 美味しいかと言われると、びっくりするくらいというわけでもないけれど、クエスチョンマークがつくほどでもない。何せ、空腹だったことも関係しているかもしれない。ビールの値段の高さに躊躇しつつも、Sさんが2杯目を注文したのにならって僕もお代わり。
 店を出て、オーゲさんとSさんにお礼と別れを告げる。丸一日を費やしてくれたその手間は、バンコクで人をアテンドすることの多い僕にも、それなりに良く分かるつもりだ。それに、心中は「妹をよろしくお願いします」という気持ちでいっぱいだった。
 妹の友人は「魚市場で見たオープンサンドイッチが忘れられへんから、ちょっと見てみる」とのこと。
 わざわざ日本から訪ねてくれる友人がいて、そして現地にも一日を費やしてくれる知り合いがいる。いい感じじゃないか、妹よ。
 最後に彼女が明日の予定を確認。「8時半に鉄道駅集合な。フィヨルドツアー、手配してあるから」
 素晴らしい手際の良さだ。
 「兄ちゃんたち遅れたら、おいてくで」


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